エンドロールまで気づかない視聴者続出? 竹野内豊、『ガス人間』で別人級の変貌
こんな竹野内豊、見たことがない。
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Netflixで独占配信中の『ガス人間』において、竹野内豊が異様な存在感を放っている。本作は、生放送中の怪死事件を皮切りに、“ガス人間”を名乗る謎の男が巻き起こすパニックを描いた超常サスペンス。配信が開始されるや否や、動画配信者を演じた林遣都や広瀬すず、カルト的映画監督に扮した高嶋政宏などの怪演が話題となった。その中でも竹野内豊の変貌ぶりは、とりわけ視聴者に大きな衝撃を与えている。
本作は、1960年の特撮映画『ガス人間第1号』を現代に蘇らせたリブート作品だ。『新感染 ファイナル・エクスプレス』やNetflixシリーズ『地獄が呼んでいる』で世界を震撼させたヒットメーカー、ヨン・サンホが脚本と製作総指揮を務め、昭和の怪人劇を令和のダークファンタジーへと仕立て直した。
物語は、テレビの生放送中に大学教授の身体が突如として浮上して、爆発するという前代未聞の怪事件から幕を開ける。パニックに陥る社会を嘲笑うかのように、“ガス人間”を名乗る謎の男が連続殺人を予告。刑事の岡本賢治(小栗旬)や報道記者の甲野京子(蒼井優)らがその実態に迫っていく。
この一連の事件の裏で、観る者に強烈な印象を残しているのが竹野内演じる森靖利だ。森は、黒い噂が絶えない上場企業の社長で、かつては裏社会に身を置いていた元ヤクザ。岡本らと浅からぬ因縁を持つ、本作のダークサイドを象徴する重要人物だ。
ロン毛のオールバックに、生気を失ったような眉なしの顔。森の全身からは、およそ清潔感とは程遠い不穏な空気が醸し出されている。歩き方ひとつとっても、こちらの生理的な嫌悪感をじわじわと逆撫でするのだ。画面に映し出されたこの男を見て、一体誰が「竹野内豊」だと直感できただろうか。
竹野内といえば、日本のエンターテインメント界において「男らしさ」と「爽やかさ」の代名詞であり続けてきた俳優だ。その決定打となったのが、反町隆史とダブル主演を務め、平成のテレビドラマ史に輝く大ヒットを記録した『ビーチボーイズ』(フジテレビ系)である。どこまでも広がる青い海を背景に、白い歯を覗かせて笑う眩いほどの快活さと、胸に熱いものを秘めた等身大の青年像。あの作品で日本中の視聴者を虜にした、文字通り太陽のような爽やかさこそが、四半世紀以上にわたり彼のパブリックイメージの根底を支えてきたことは言うまでもない。
近年の竹野内は、そうした当時の魅力をスマートに熟成させ、日本を代表する「イケおじ」としての地位を不動のものにしてきた。年齢を重ねるごとに深みを増す渋さと、大人の余裕を感じさせる装いは、作品に絶対的な安心感をもたらす。
直近の出演作である映画『雪風 YUKIKAZE』(2025年)でも、その持ち味が遺憾なく発揮されていた。実在した伝説の駆逐艦の艦長を演じた竹野内は、スクリーンに登場した瞬間から、言葉に頼らずとも周囲に安心感を与える確かな信頼感を表現。寡黙ながらも部下を静かに見守るその背中は、近年の彼がまとうような、実直な大人の男のイメージを体現するものだった。
一方で、そうした「完璧な格好良さ」だけではない、人懐っこさで視聴者を魅了したのが『義母と娘のブルース』(TBS系)シリーズだ。彼が演じた宮本良一は、底抜けに明るく、どこかトボけていて、家族を優しく包み込む最高の父親だった。二枚目俳優としての殻を破った、あの温かさとチャーミングな笑顔は、近年における彼のもう一つの大きな足跡である。
もちろん、これまでにもパブリックイメージを裏切る挑戦がなかったわけではない。映画『孤狼の血』で演じたヤクザの若頭・野崎康介役などはその筆頭だろう。出番こそ多くなかったものの、呉弁を荒々しく操り、凄みを利かせる泥臭いキャラクターは、強烈なインパクトを残し、映画ファンに新鮮な驚きを与えた。
しかし、今回の『ガス人間』がもたらした衝撃は、そんな過去の変貌すらも生ぬるく思えるほど、文字通り桁違いだったのである。
警察で岡本に取り調べを受けるシーンでは、舌を出し、目を寄せて徹底的に相手を挑発する。それだけではない。語尾をわずかに引き伸ばしながら、相手を値踏みするような視線を送り、挑発そのものを愉しんでいることが伝わってくる。そこにあるのは、格好良さとは対極にある、観る者に不快感を抱かせるような醜悪さだ。エンドロールを見るまで竹野内豊だと気付かなかったという視聴者がいたとしても、決して不思議ではない。
これまで築き上げてきた洗練されたイメージを捨て去り、ドブネズミのような卑屈さと狡猾さで画面を侵食していく竹野内豊。これまでのキャリアに対する最高に贅沢な“裏切り”であり、鮮やかな新境地を開拓した。
思えば 『新感染 ファイナル・エクスプレス』や『地獄が呼んでいる』がそうであったように、ヨン・サンホが描くディストピアのおもしろさは、モンスターそのものよりも『人間の醜悪さ』によく表れている。彼が放つその地べたを這うような生々しさこそが、ヨン・サンホが描くディストピアを、真に完成させるピースだったのかもしれない。(文=よしはらゆう)

