日本は本当に人手不足なのか? ―日本人が、対峙すべき現実―/齋藤 秀樹
1.「人がいないんですよ」で始まる会話
「人がいないんですよ。」
ある地方の製造業A社。
50代の社長は、コーヒーを一口飲んでから、そうつぶやいた。
求人広告を出しても応募は数人。 やっと入った若手は半年もたたず退職。 残ったメンバーは残業続きで、表情はいつも疲れている。「うちだけじゃないですよ。どこも人手不足でね……。」
社長はそう言うが、会議室の窓から外を見れば、
平日の昼間でも、カフェには若い人たちがスマホを眺めている。
駅のベンチには、仕事帰りかどうかも分からないスウェット姿の若者が座り込んでいる。
本当に「人がいない」のだろうか。
それとも・・・
「人はいるのに、立ち上がれないでいる」のだろうか。
この違和感から、話を始めたい。
2.数字が教えてくれる「別の現実」
まず、冷たい数字を見てみよう。
世界的な調査機関・ギャラップによると、
自分の仕事に「熱意を持って取り組んでいる」日本人社員は、わずか6%である。
世界平均は23%。日本は調査対象国の最下位グループだ。
このデータを前提にすれば100人中94人が、
「まあ、生活のためだし」 「本気を出しても報われないし」そんな気持ちを胸に、職場へ向かっている。
一方で、「職場そのもの」から離れてしまった人も多い。
15〜34歳の若年無業者(いわゆるニートに近い層)は約59万人、若年人口の2.4%。 15〜64歳の「ひきこもり」は、約146万人と推計されている。数字をざっくり足し合わせれば、
数十万〜百万単位で「社会との接点をほとんど失った人たち」がいる。
こんな光景が浮かぶ。
カーテンを閉めた六畳一間。
夜中までゲームと動画。
朝になっても、誰にも起こされない。
「そのうち何とかしないとな」と思いながら、今日も布団から出られない23歳。
彼・彼女たちを、
「やる気のない若者だ」と一刀両断するのは簡単だ。
だが、こうも言えるのではないか。
「人がいない」のではなく、
“人が立ち上がれる場”が、あまりにも少ない。
3.「人には投資しない」社会になっていないか
次に、「学び」と「投資」の観点で見てみる。
経産省などのデータでは、
日本企業の人材育成への投資(OJTを除く研修費用)はGDP比で約0.1%にすぎない。
アメリカやフランスは2%前後。文字通り、ケタが違う。
政府の報告書には、こんな一文さえある。
「日本では、企業は人に投資せず、個人も学ばない。」
この一文は、耳が痛いほど本質を突いている。
企業は「余裕がないから」「辞められたら損だから」と、教育費を削る。 個人は「学んでも給料も仕事も変わらない」と、仕事以外では学ばない。こうして出来上がるのは、
「学ばないまま何とかやり過ごすことが、社会の標準モード」
という現実だ。
ここで、一つ問いを置きたい。
あなたの会社は、ここ5年で
「人への投資」と「設備・システムへの投資」、どちらをどれだけ増やしてきただろうか?
設備やITには億単位で投資するのに、人材育成には「研修費が高い」と渋る――
そんなアンバランスが、どこかで起きていないだろうか。
4.未来を信じられない18歳たち
さらに、これから社会に出てくる若者たちの“心”を見てみる。
日本財団が行った6カ国比較の調査では、「自国の将来が良くなると思う」と答えた日本の18歳は15.3%。
中国やインドでは7〜8割が「良くなる」と答えているのに、日本だけが極端に低い。
通学電車の中。
制服姿の高校生が、ニュースアプリを眺めながら小さくため息をつく。
「年金はもらえないかも」
「物価は上がるけど給料は上がらないらしい」
「日本オワコンって、みんな言ってるし…」
厚労省のデータでは、10代・20代の死因の第1位は依然「自殺」であり、
その率はG7の中で最悪水準だ。
大人は学ばず、未来に希望が持てない若者が増え、その一部は生きること自体を手放してしまう。
この状況を見て、本当に「人手不足」という言葉だけで済ませられるだろうか。
5.日本人は「個が弱い」のではなく、「場の影響が強い」
ここで、日本人の国民性を少し掘ってみたい。
欧米では、
まず「自分」があり、その集合としてチームや会社がある。
対して日本では、
「場の空気」や「周りの目」の中で、自分が形づくられることが多い。
みんなが黙っていれば、自分も黙る。 みんなが残業していれば、自分も帰りづらい。 新しいことを言う人が浮いているのを見れば、「自分はやめておこう」と思う。つまり、
日本では、「個の強さ・弱さ」よりも「どんな場にいるか」のほうが圧倒的に影響力が大きい。
この性質が、悪い方に振れたのが今の姿だ。
「どうせ変わらない」という空気が職場を覆うと、その場にいる全員の「変わろうとする意志」が削られる。 「出る杭は打たれる」メッセージが若手に届くと、
彼らは自分の可能性ではなく「無難さ」を選ぶようになる。
その果てに現れるのが、
仕事の中で静かにスイッチを切る「静かな退職」 社会とつながる意味を見失うニートやひきこもりなのではないか。
ここで、もう一つ問いを置いてみたい。
いま、あなたが所属している「場」は、 あなたの可能性を広げているか?
それとも、縮めているか?
6.“場”をひっくり返す技術としてのチームビルディング
では、この状況をどうひっくり返すのか。
法律や制度を変えるのも大事だが、もっと手触りのあるところから始められることがある。
それが、チームビルディングである。
チームビルディングとは、「仲良しごっこ」でも「一体感づくりイベント」でもない。
“人が成長し、互いの力を活かし合える場”として、チームという器を設計し直す技術である。
たとえば、こんな物語を想像してほしい。
■ ある部署の「ビフォー」
会議は、上司が一方的に喋る「業務連絡の場」。 失敗すると、人前で叱責されるので、誰もチャレンジしない。 部下が意見を言っても、「そんな余裕はない」で一蹴される。 若手は「とりあえず3年」のつもりで、常に転職サイトを眺めている。ここに、チームビルディングの考え方を入れていく。
■ そして「アフター」へ
まず「今のうちのチームはどんな船か?」を全員で話し合う。→ 多くのメンバーが「泥舟」「流される船」と感じていることが分かる。 次に、「3つの壁(曖昧性・関係性・存在)」を見える化する。
→ 「伝えたつもりが多い」「本音を言えていない」「いてもいなくても同じだと感じる人がいる」ことに気づく。 そこから、たった一つの行動を決める。
→ 会議の最初に1分だけ「最近あった小さな良いこと」を全員が話す。
→ 失敗したことを責めるのではなく、「そこから何を学ぶか」を皆で話す。
最初は気恥ずかしい。
しかし、数ヶ月たつと少しずつ変化が起き始める。
部下が「実は、こうしたほうがうまくいくと思う」と言い出す。 上司が「それ、やってみよう」と言えるようになる。 ミスが起きても、「誰のせいだ」ではなく「次どうしようか」が自然に出てくる。1年後、その部署の若手にインタビューすると、こんな言葉が返ってくる。
「前は、ここで働き続ける未来が見えなかった。
今は、ここにいると自分がちゃんと成長できる実感がある。」
人数は増えていない。
大きな予算を使ったわけでもない。
それでも、このチームだけは
「人手不足の職場」から、「人が育ち、人が集まる職場」に変わり始めている。
7.立場別に、「今日から向き合える問い」を持つ
最後に、それぞれの立場ごとに、
「人手不足」に対して今日から持てる問いを置いて終わりにしたい。
◇ 経営者へ
>「本当に足りないのは、人か。器か。」
自社の人材育成投資を、設備投資と同じくらい真剣に議論したことがあるか。 「人手不足」を口にする前に、「人を育てる仕組みの不足」と向き合ったか。 自分自身が、いまも“学ぶ側”に立っているか。◇ 管理職・リーダーへ
>「あなたの在り方が、チームの天井になっていないか。」
部下のやる気の無さを嘆く前に、「本音を言える場」をどれだけつくってきたか。 失敗を責める言葉より、「一緒に振り返ろう」という言葉をどれくらい使ってきたか。 「正解を教える人」から、「一緒に探し続ける人」に、自分を変える覚悟があるか。◇ 若手ビジネスパーソンへ
>「会社ガチャで終わらせず、自分の一歩を問う。」
「この会社サイアク」と言う前に、「このチームを1ミリ良くする行動」を一つはしたか。 不満を言う時間と、学ぶ時間。どちらに多くの時間を使っているか。 「どうせ変わらない」ではなく、「自分がやってみて、それでもダメなら次へ行く」という選択肢を持てるか。◇ これから社会に出る若者へ
>「未来を一括りに諦めず、自分の物語を始める。」
「日本オワコン」と言う前に、自分の半径1メートルを少し良くするチャレンジをしたことがあるか。 SNSの“誰かの人生”ばかり見て、自分の問いを持つことを忘れていないか。 「どうせ自分なんて」と思う声と、「それでも一歩踏み出したい」という声、どちらを大切にしたいか。8.日本は本当に人手不足なのか?
もう一度、最初の問いに戻る。
日本は本当に、人が足りないのだろうか。
それとも――
「学び・成長し、力を発揮できる人」と、
その力を受け止める“チームという器”が圧倒的に不足しているだけ
なのだろうか。
ニートも、ひきこもりも、静かに退職していく人たちも、
「弱い人」「怠け者」と切り捨てる前に、
私たちは社会の側に突きつけられた鏡だと受け止める必要がある。
人に投資してこなかった企業。 学ぶことをあきらめた大人。 変わらない空気に適応してしまった私たち自身。日本は本当に人手不足なのか?
それとも――
「人を活かすことを、あまりにも長くサボってきた国」なのか。
この問いに、それぞれの立場から正面から向き合うこと。
それこそが、
「人手不足」という言葉の奥にある、日本人が対峙すべき現実だと、私は思う。
