「釜ヶ崎は怖い」…日雇い労働者の男性が急に近づいてきて…『伝説のストリッパー・一条さゆり』を演じた女性の身に起きたハプニング

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1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第131回

「下手くそ!」舞台上の女優に浴びせられた「罵声」…超えられない“釜ヶ崎”の「伝説の踊り子」』より続く

「帰れ」コールからの再挑戦

釜ケ崎の日雇い労働者「熊公」が、もう一度、「さすらい姉妹」にチャンスを作ってやろうと呼んでくれた。それに応じる形で制作されたのが『谷間の百合』だった。

一条は永山の処刑から2日後に亡くなっている。永山の芝居で釜ケ崎にはね返された「さすらい姉妹」が、今度は一条の芝居で再挑戦した形である。そして、「リベンジ」公演は大成功だった。桃山は言う。

「『無知の涙』とは異なり、ウケまくりました。釜ケ崎での一条さんの存在感の強さでしょう」

この芝居を書くため、桃山は一条についての本を読み、映画を観た。

「嘘で塗り固められた人生だけど、心は正直だったと思いました。結果的に永山則夫と一条さゆり。底辺に生きた人、そういうものを背負って一生を送った2人を書いたことになります」

『谷間の百合』は老いて釜ケ崎に流れ着いた伝説の踊り子「あれからの一条さゆり」(和子)と、踊り子になる「これからの一条さゆり」(さゆり)による「2人」芝居である。「あれからの一条」役の千代次も桃山と同じく、この作品にはリベンジの気持ちがあった。

「50円の栄光」過去を乗り越えその先へ

『無知の涙』で「帰れ」コールを浴びた敗北感から、千代次には「釜ケ崎は怖い」と思う一方、「いつかはもう一度勝負したい」との気持ちもあった。『谷間の百合』の初演(05年)で、幕が上がった途端、「待ってました」の声と拍手が上がった。千代次は感激した。

「一条さんを直接見たり、会ったりした人がまだ、いたんじゃないですかね」

確かに、この時点では、一条が亡くなって8年しか経っていない。

大好評のまま芝居が終わった直後だった。役者が紹介されているとき、60歳くらいの男性がつかつかと千代次に近づいてきた。「なんだろう」と思っていると、その男性は千代次に祝儀袋を5枚手渡した。その1つ1つに「さゆり様」と書かれてあった。

男性は千代次の肩を抱きながら言った。

「ありがとうな、ありがとうな。励みになる、励みになる」

芝居を観て、生きる勇気をもらったというのだ。

男性は最後に言った。

「50円しか入っとらんけどな」

中身なんて問題ではなかった。日雇いで稼いだなかから、祝儀を渡そうとしてくれた心意気が千代次はうれしかった。祝儀は役者の栄光である。彼女は「50円の栄光」に涙が溢れた。

「私を一条さゆりとダブらせて、観てくれたのかと思いました。本当にうれしい祝儀でした」

千代次は一条を演じることで、釜ケ崎での手痛い記憶を過去のものにできた。

不幸でもしょうがなかった

17回忌の公演で千代次は「あれからの一条さゆり」(和子)を演じた。相手は「これからの一条さゆり」(さゆり)役の鏡野有栖だった。

さゆり「お客さんの喜ぶ顔見てるうちに少しずつわかったんだ」

和子「(踊るのが)嫌じゃなくなったんか」

さゆり「何もかも忘れて踊れば踊るほどやさしい気持ちが胸のうちにぽつんと点るの」

和子「野の花のようなはかないともしびやねぇ」

千代次は一条について、こんな感想を持っている。

「ばかな人だったなと思います。踊りのために人生を棒にふった。自分もそういう人生を追っていると思います。釜ケ崎で死ぬという運命に自分が重なった気がしました。一般的には不幸せな人生です。でもしょうがなかった。自分も(好きな芝居をやっているから)不幸せでも、しょうがないかなと思うときはありますから」

「昭和は過ぎ去り、ストリップの時代も終わった」…二代目・一条さゆりを「引退」に追い込んだ『時代の変化』』へ続く

「昭和は過ぎ去り、ストリップの時代も終わった」…二代目・一条さゆりを「引退」に追い込んだ『時代の変化』