引退会見に臨んだ青山。「ポジションを奪えなかったから引退する。潔く辞めさせていただきます」と語った。写真:寺田弘幸

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 広島一筋21年目の秋、引退会見に臨んだ青山敏弘は清々しい表情を浮かべていた。

 現役生活に幕を下ろすことを決めたのは、今シーズンが始まる前。前強化部長の足立修氏と話し合って決め、エディオンピースウイング広島が開場する記念すべき一年で締めくくることにした。

 ただ、青山はクラブと自分で決めた決断を覆すためにシーズンを戦ってきた。最後の一年も挑戦を続けてきたから、晴れ晴れしい気持ちさえある。

「いま思い切り若い子たちが頑張っていて、その子たちが僕のポジションを奪って首位争いをしてくれているので、本当に気持ちよく引退できる。僕はポジションを奪えなかったから引退する。潔く辞めさせていただきます」

 それから丁寧にメディアの質問に応じ、噛み締めるように言葉を紡いで21年間の現役生活を振り返っていく青山が、思いが込み上げ言葉を詰まらせたのが、プロ入り前に岡山で過ごした日々を振り返った時だった。

「僕が一番、下手でした。小学校、中学校、高校もそう。周りにうまい選手ばかりいて、負けたくなかった。自分は県の代表にもなれない。それが良かったです。負けたくないっていうのが自分の原点で、プロの世界に入っても誰にも負けたくなかった。負けたくないっていう思いも、負けたくなかった。それを育ててくれたのは岡山の地だと思っているので、岡山の皆さんに感謝しています」
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 作陽高校時代には『幻のゴール』が世間の耳目を集めた。高校サッカー選手権岡山県大会決勝で延長戦に青山が放ったシュートは、ゴール内のポールに当たって外に出てきたボールを相手GKがキャッチ。これをレフェリーはノーゴールと判定した末に、作陽はPK戦で敗退。その後に巻き起こった喧噪も含め、心に大きな傷を負う出来事となったが、それさえも青山はプラスに変えてきた。

「幻のゴール。あれがなければ、プロにも入れてなかったと思いますし、プロで挫折した時に乗り越えなかったと思います。誰も経験できないような、高校生では経験しなくていいような苦しい経験を、自分はプラスにしてここまでこれたと思っている。あの時にあきらめなくて良かった。支えてもらった岡山の皆さんに感謝したいと思います」

 負けたくない――。岡山で培ったマインドは、プロに入ってすぐにブラジル代表でも活躍したボランチの姿を見て、さらに屈強なものになっていく。

「誰よりも勝ちにこだわるサンパイオ選手を見て、チームの心臓のボランチの選手はそうじゃなきゃダメだと分かった。彼が僕にとっての基準になった」
 
 何度も大きな怪我をしながら立ち上がってこれたのも、高校時代から人並み以上の挫折を乗り越えてきたからで、ずっと一人じゃなかったから。

「僕にとって怪我は、どんな挫折もそうですけど、挑戦だった。乗り越えるだけじゃなく、強くなって、進化して、戻ってやろう。手術台に立つたびに、そう思っていました。決して僕一人では乗り越えれなかったと思うし、一緒に支えてくれた皆さんに感謝したいと思います」

 常に強い心をもって、青山は広島で夢を追い続けた。

「サッカーは僕の夢。サッカーを始めた頃から、サッカー選手になりたい、それが夢でした。サッカー選手になって次の夢は、日本代表になりたい、優勝したい、ってどんどん夢が増えていきました。サンフレッチェは僕の夢を一緒に追いかけてくれる、そういうクラブです」

 サンフレッチェと共に成長し、逆境も力に変えてクラブへの愛を深め、青山はオリジナルなキャリアを築いてきた。

「優勝するたびに、強くなるたびに、チームメイトがいなくなっていく。そのたびに広島への想いが強くなっていきました。ここで優勝したい。もっと強くなりたい。ファン、サポーターと一緒に喜び合いたい。自分はそれがプロサッカー選手としての使命だと思っていました」
 
 No.1のプレーを「ファンサービスかな」と言って笑ったのは、冗談でも何でもない。苦楽を共にしてきた月日が長いだけでなく、ファン、サポーターと密に触れ合いながら特別な関係を構築してきた青山は、最後もみんなで喜びを分かち合うために、プレーヤーとして最後の挑戦に臨んでいく。

「今年の最後にピッチに立って、優勝して、この景色を見たかったんだと実感して現役を終えたい」

 夢を叶える自信は、ある。

「自分の強みは勝負強さだと思っている。今年最後に一発を狙っていきます。一番良い時に、一番良いものを持っていきたい」

 最後まで青山は、負けるつもりはない。広島と共に、戦い続ける。

取材・文●寺田弘幸(フリーライター)