なんと、「人の背丈」ほどまでに、小さくなった…「日本にしかいなかった」ゾウの意外な容姿

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新生代は、今から約6600万年前に始まって、現在まで続く、顕生代の区分です。古生代や中生代と比べると、圧倒的に短い期間ですが、地層に残るさまざまな「情報」は、新しい時代ほど詳しく、多く、残っています。つまり、「密度の濃い情報」という視点でいえば、新生代はとても「豊富な時代」です。

マンモスやサーベルタイガーなど、多くの哺乳類が登場した時代ですが、もちろん、この時代に登場した動物群のすべてが、子孫を残せたわけではありません。ある期間だけ栄え、そしてグループ丸ごと姿を消したものもいます。

そこで、好評のシリーズ『生命の大進化40億年史』の「新生代編」より、この時代の特徴的な生物種をご紹介していきましょう。今回は、「日本固有種のゾウ類」についての解説をお届けします。

*本記事は、ブルーバックス『カラー図説 生命の大進化40億年史 新生代編 哺乳類の時代ーー多様化、氷河の時代、そして人類の誕生』より、内容を再構成・再編集してお届けします。

日本の小型長鼻類

中新世の日本にやってきたステゴドン・ツダンスキー(ツダンスキーゾウ)の肩高は、約3.8メートル。そのツダンスキーゾウを祖先として進化した日本固有の鮮新世のステゴドン類、ステゴドン・ミエンシス(ミエゾウ)の肩高は、約3.6メートルだった。そして、更新世になると、ミエンシスを祖先とする新たなステゴドン類が出現した。

更新世の日本に現れたステゴドン類。その名前を、「ステゴドン・アウロラエ(Stegodonaurorae)」という。通称、「アケボノゾウ」だ。化石は、日本各地から発見されており、その繁栄のさまを今に伝えている。

アケボノゾウは、小型のステゴドン類だった。その肩高は、約1.7メートルしかない。日本の成人男性の平均身長とさほど変わらない。

ツダンスキーゾウに始まり、ミエゾウ、そして、アケボノゾウ。日本にやってきたステゴドン類は、一貫して小型化の道を進んできた。

これは、典型的な「島嶼(とうしょ)における進化」の例だ。大陸で生きていた祖先は、豊富な食料資源に囲まれていた。しかし日本列島には、その巨体を支える食料資源がなかった。結果として、小型化し、島嶼に適した小さなからだで命を紡ぐことになったとされる。

なお、アケボノゾウが日本に生息していた期間は、100万年を超える。この期間は、日本にやってきたツダンスキーゾウやミエゾウよりも長い。「小型化は成功だった」といっても過言ではないだろう。ただし、ツダンスキーゾウから始まるこの系譜は、約80万年前のアケボノゾウを最後に途絶えることになる。

日本を代表するゾウ類

ステゴドン類だけではなく、太古の日本には多種多様な長鼻類が生息していた。かつての日本は、長鼻類大国だったのだ。

そうした長鼻類の中で、最も多くの化石を残している種は、ゾウ類の「パレオロクソドン・ナウマンニ(Palaeoloxodon naumanni)」だ。通称、「ナウマンゾウ」である。

ナウマンゾウの大きな個体の肩高は3メートルを超える。頭部に最大の特徴があり、額から側面にかけて、目立つ凸構造がある。この構造があるため、ナウマンゾウは「ベレー帽を被っているような」と形容されることが多い。

化石は、ほぼ全国から産出する。むしろ、ナウマンゾウの化石を産出しない県を挙げた方が早いくらいだ。約34万年前の氷期の時期に陸化した東シナ海や対馬海峡を経由して日本にやってきたとみられている。その後、日本列島を南北に移動しながら栄え、温暖な時期には津軽海峡を泳いで渡って北海道にまで到達した。

なお、ナウマンゾウの「ナウマン」、つまり、パレオロクソドン・ナウマンニの「ナウマンニ(naumanni)」は、明治時代に来日し、東京帝國大学の教授を務め、日本の近代地質学の構築に多く貢献したドイツ人地質学者、ハインリッヒ・E・ナウマンへの献名である。

カラー図説 生命の大進化40億年史 シリーズ

全3巻で40億年の生命史が全部読める、好評シリーズの新生代編。哺乳類の多様化と進化を中心に、さまざまな種を取り上げながら、豊富な化石写真と復元画とともに解説していきます。

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