「舞台のほうが何倍も濡れた」…わいせつ罪で法廷に立ったストリップ界の女王の「子宮に飲み込まれるような一体感」の秘密

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1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。そんな人生を歩んだ彼女を人気漫才師中田カウス・ボタンのカウスが「今あるのは彼女のおかげ」とまで慕うのはいったいなぜか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第20回

『ごく普通の女性が服を脱ぐ…「他者の喜びが自分の興奮」ストリッパーの女性に隠された「刺激的な」素顔』より続く

対価としてのサービス精神

公然わいせつの罪で法廷に立ったときも一条は、「高いおカネを払って私を見にきてくれるお客さまに、満足しないで帰ってもらっては気が済みません」と述べている。「脱ぐことなら誰でもできることだけど、脱ぐまでにお客さんにあくびをさせないことが大切です」とも語っている。

幼いころから貧しく、おカネで苦労してきた。そのため彼女は、客の支払う入場料の値打ちを理解していた。男たちが汗水たらして働いて手に入れたカネである。客はそれを手に自分の裸を見にきている。その分だけはサービスしなければならない。損をしたと思わせたくない。めいっぱい楽しんでもらおうと考えているうちに、自らが恍惚の世界に入る。

お客さんは恋人

「ストリップで必要なのは色気です。肌をさらしていないときでも、色気が漂うようにしなくては。あたしの場合、お客さんがその色気を作ってくれました。舞台に出ると、お客さんがどんどん色気を出さしてくれる。そして、ロウソクショーで興奮してくると、終わったのがわからないときが何度もありました。お客さんがあたしの恋人でした」

そして、こうも言った。

「舞台では激しく燃えました。実生活のセックスより舞台のほうが何倍も濡れた。人に見られるのが、快感だったんかな」

ストリップを見続けた一色凉太は、彼女の舞台の特異性を、「まるで子宮に客が飲み込まれてしまったような一体感」と表現した。一条自身、客を我が身に抱き入れ、男たちと一つになった感覚を味わっていたようだ。

ごく普通の女性が服を脱ぐ…「他者の喜びが自分の興奮」ストリッパーの女性に隠された「刺激的な」素顔