超少子化の原因はこれ!「パパのクルマは国産車だから恥ずかしい」高級住宅地に海外旅行…韓国の「見栄文化」が子づくり世代を押し潰している

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「見栄」を充足させる高級外車

「世界で最も子供を産まない国」と呼ばれている韓国では、超少子化の背景の一つとして「見栄文化」が挙げられている。ことあるごとに階級を分けて人と自分を比較する社会雰囲気によって、人の目を重視するあまり、自分を包装してしまう見栄文化は、所得に合わない過消費を助長し、結婚と出産を控えた若年層には金のかかる結婚と出産を忌避させることもあるという指摘だ。

40代前半の私の親戚は最近、高価そうなドイツ製外車を購入した。彼によると、車の価格は彼の年収よりも高いという。彼は「小学校5年生の娘から“友達の車はみんな外車で、パパの車は国産車だから恥ずかしい”という話を聞いて、車を変えざるを得なかった」という。 「娘が私のために学校で気が引けるのが嫌だった」とも話した。

最近、韓国のインターネット上で流行っている「見栄指数」によると、私の親戚の見栄度はかなり高い水準だ。見栄指数とは、車と所得を比較して自分がどれだけ見栄っ張りなのかを測定する数値だ。具体的には、車の価格を月給の6ヵ月分で割った指数だ。数字が1.0〜1.5までなら普通、1.5〜2.0までは「ちょっと見栄っ張り」、2.0から2.5までは「高度見栄っ張り」、2.5以上なら「見栄炸裂」だ。つまり、500万ウォンを月給を受け取る人が3000万ウォンの車を買えば「普通」、6000万ウォンまでは「ちょっと見栄っ張り」、7500万ウォンを越えれば「見栄炸裂」なのだ。

自動車関連のインターネット用語の中で「下車感(ハチャガム)」という見栄炸裂の流行語もある。ネットユーザーによると、車に乗った時に感じる満足感を乗車感(乗り心地)と言えば、車から降りる時に感じる満足感は下車感だ。 要するに、車から降りたときに周囲から羨望のまなざしを集める車が下車感の良い車という意味で、いわゆるスーパーカーと呼ばれる数億ウォンの外車の下車感は「極上」なのだ。

韓国人の自動車に対する見栄文化を裏付ける統計もある。英国の名車のベントレーの昨年の世界販売台数は、韓国がアジア1位、世界5位だった。他にも、マイバッハの世界販売数は韓国が中国に続き2位を、BMWも世界5位圏に入る。韓国を訪問した日本人からよく、「韓国には外車が多い」と言われたが、これが実際に立証されたわけだ。特に自動車に対する見栄文化が強いのは、自動車社会である韓国で自動車は移動手段であるだけでなく、社会、経済的な地位を示す所有物であるためだろう。韓国のインターネット上では「自動車階級図」というランク付けも流行っている。

子供も気にする住宅による階級化

ソウル市の行政区をマンション売買価格を基準に9つの等級に分けている「不動産階級」もある。韓国で国平(国民平均)といわれる「34坪型マンション」の坪当たり売買価格が基準になるが、結局はどの地域に住むかによって自然にソウル市民の階級が分かれることになる。

不動産階級の1等級で韓国人が最も住みたい地域に挙げられる江南区は23年の広報映像で、「ソウル江南に行けば高価な匂いがする」「じろじろ見るな、田舎ものみたいじゃないか」等のセリフを入れて荒々しい非難を受けた。江南優越主義をあおるという指摘だった。

最近では、国平坪マンションの売買価格が43億ウォンを越えた江南区瑞草洞のAマンション入口に建てられた「詩碑」が論難を呼び起こした。 詩碑はAマンションを「国の顔のソウル、中でも瞳のような盤浦(パンポ)」に建てられたとし、「宮廷」だの「永遠のパラディアス」だのと称えている。マンションの住民たちを「太陽のような人材と星のような善男善女」で、「同胞の心臓になる高貴な家族」と褒め称える。インターネットでは「恥ずかしい」「北朝鮮の白頭血統称賛詩のようだ」という非難が主だったが、このような否定的な反応に対して「劣等感に陥っている」「だから金持ちになれない」という嘲弄も混ざっていた。

社会の雰囲気がこうであるため、子供たちの間でも親の経済力による階級化が行われている。 マンションではなくビラー(日本のアパートや団地に該当する共同住宅)に居住する子供たちを「ビラー貧乏」、公営賃貸マンションに住む子供は「Lサ(賃貸専門のLHマンションに住んでいるという意味)貧乏」と呼ぶ流行語があるという衝撃的な記事もでている。

子作り世代への「見栄」の圧力

最近インターネット上では「小学校4年生の息子が皆勤貧乏だとからかわれた」という投稿文が話題となった。皆勤は以前は卒業式で賞状を受けるほどの誇らしいことだったが、今や「貧乏で海外旅行に行けない学生」たちを象徴する恥ずかしい言葉になったそうだ。学期中に体験学習が可能になり、授業をサボって家族で海外旅行に行ってくる子供たちが増えたことによる流行語だ。

投稿文の作成者は「一人稼ぎで月収が300〜350万ウォンのぎりぎりの暮らしだが、息子のために国内旅行地を検索しようとしたが、息子から“友人たちはシンガポールや日本に行くのに、国内旅行は恥ずかしい”といわれた。仕方なく、妻と一緒に超低価格の海外航空券を熱心に探している」と話した。

韓国社会の行き過ぎた見栄文化は、外信でも注目を集めた。英紙の「フィナンシャル·タイムズ」(FT)は今年7月24日(現地時間)、「モンクレア・パディングが小学生たちのユニフォームになった〜韓国子供たちのブランドブーム」という記事を通じて、韓国の親が幼い子供たちにブランド品を買ってあげる消費性向に注目した。

同紙はこのような消費性向が韓国社会の特性を反映していると指摘し、「韓国人は誇示することを好む」「人がすることが自分にできなければ我慢できない」「韓国社会は競争が激しく、人々は目立ちたがる。ブランド品はそのための良い手段になった」といったマーケティング専門家の分析を掲載した。

見栄文化が結婚と出産を控えた若年層には大きな負担として作用していることは、私の周りからも聞こえてくる。来年に結婚を控えた甥は「小学生の時からどこに住んでいるか、父親の車の種類は何か、何坪に住んでいるかを問い詰める国で子供を育てる自信がない」と、「子供は産まない」宣言をした。多少極端的ではあるが、親の経済力のために我が子が差別や嘲弄を受けるならば、果たして誰が子供を産みたいだろうかとも思われる。

ソウル女子大学・社会福祉学科のチョン·ジェフン教授が書いた『0.6の恐怖、消える韓国』という新刊によると、韓国社会は時間が経つほど所得水準別出産率の差が広がる傾向が深刻化している。例えば、全体出産率を100%とすれば、低所得層が占める割合は2010年11.2%から2019年8.5%に2.7%ポイント下がり、中産層も42.5%から37.0%に5.5%に下落した反面、高所得層は46.5%から54.5%に8ポイントも増加した。もし、2019年に100人が生まれたとすれば、このうち54~55人が高所得層の子供、37人が中産層の子供、低所得層の子供は9人に満たないということを意味する。

チョン教授は著書の中でこのようなデータを分析しながら、「結果的に皆が子供を産まなくなった時代だが、高所得層はそれでも子供を産んでいて、中産層は子供を産むことを躊躇しており、低所得層は最初から出産をあきらめ始めたと推測できる」と明記した。

かつてないほど豊かな国になった今の韓国では、「(わが子に)人よりよくしてあげられないから」、または「人並みにしてあげられないから」と思う若者たちの相対的(人と比べる)貧困感あるいは相対的剥奪感が出産率により大きな影響を与えているのだろう。

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