芸人《一条さゆり》としては最高の死にざま…”女性としての生き方”を捨て舞台に立ち続けた伝説のストリッパーの「一生」

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1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第126回

周りを楽しませるために“自分”をも騙して「嘘」をつく…男たちを虜にした伝説の踊り子の知られざる「素顔」』より続く

小沢昭一の評価

芸能者として彼女を高く評価していた小沢昭一は、新聞報道でその死を知った。一条と親しく付き合い、一時は一緒に芝居を作ろうと考えていた。刑務所での面会、楽屋での食事、イベントでの対談。彼女の姿、言葉遣いが小沢の頭に浮かんでくる。

彼女の人生を、改めて見つめ直したとき、2つの感想を持った。池田和子という女性としては、あまりにつらい人生だった。

「全身やけどを負いながらも、なおかつ働かねばならなかった。しかも家族と別れ、1人で亡くなった。女の一生としてはやはり寂しいじゃございませんか」

一方、芸人一条さゆりとして考えると最高の亡くなり方だった。

「素晴らしい、一条さんらしい一生であったと感銘深く思いました。一種ののたれ死にです。それはいかにも芸人らしい消え方でした」

私との会話の最後に、小沢はこう言った。

「本当に親しくさせてもらった。彼女も信頼してくれていた。ただ、悔いといいますか、心残りなのは、僕にはあの人の生い立ちが、結局つかめなかった」

一条さゆりの「真実」

彼は一条から直接、子ども時代のことや踊り子になった経緯、そしてストリッパーとしての初期の体験を聞いている。

「それでもつかめなかった。彼女はその時々で言うことが違う。悪く言えば、嘘っぱち、大嘘っぱちとでも言いましょうか。一緒にいると、それはわかってきます。突っ込んで聞こうとしても、彼女は霧のようなものを張って、ごまかしてしまう。一条さゆりの像はいつも、スモークの向こうにうっすらとある。そこまでなんだな。それより向こうには近づけなかった」

小沢はしばらく沈黙した。彼女との会話を思い起こしているようだ。

「そのスモークを取り払って真実に迫ったとき、彼女の人生のすごさというのが本当にわかる。芸能者の歴史を一身に背負った人ではなかろうかとまで思うんです。襟を正すというのは大げさかもしれませんが、一条さゆりという芸能者の出現を考えたとき、芸能者の端くれにいる者として、身の引き締まるような感慨さえ覚える。彼女はそれほどの存在だったと思っています」

70年代にテレビ番組で何度か一緒になった作家、藤本義一も一条の終焉の地が釜ケ崎だったことに感慨深げだ。

「安住の地だったんでしょう。だから、僕はさゆりさんが寂しく死んだとは思わないな。人間にはそういう死に方もある。あれだけ、純粋な生活意識を持っている女性が、派手な舞台に出る。そのバランスを取るためにも、ああいう生き方があったんでしょうな」

「逆になってしまった」

加藤重三郎も加藤詩子から一条の死を知らされた。すぐに頭に浮かんだのは、最後に一条が事務所を訪ねてくれたことだった。

「一条さんが死んだとき、悔やまれましてね。わざわざ会いにきてくれたのに、会えなかった。何か伝えたいことがあったんじゃないかと」

ただ、そのとき、対応した事務員から、こう言われたという。

「社長、会わんでよかったです。もし、会っていたら、変わり様にびっくりしたはずです。身体が弱って、本当に老けていました」

彼が交流したのは、彼女が店の人気者となり、レコードデビューしたころだ。

「元気なころを知っている者は、いつまでもその思い出だけを持っていてあげるほうがいいのかもしれません。自分が死んだときに、葬式に来てもらいたいと思っていたけど、逆になってしまったんですよ」

「ぼろぼろになって一人で死んだ」…昭和の伝説的ストリッパー「一条さゆり」の残酷すぎる「人生の幕切れ」』へ続く

「ぼろぼろになって一人で死んだ」…昭和の伝説的ストリッパー「一条さゆり」の残酷すぎる「人生の幕切れ」