日本兵1万人はどこへ…硫黄島「滑走路下」に多数の遺骨が眠っているのか「ひとつの答え」

写真拡大 (全2枚)

なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。

民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が12刷ベストセラーとなっている。

ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。

阿久津氏は「滑走路神話」と呼んだ

硫黄島の滑走路の下には多数の遺骨が眠っている。長年ささやかれてきた滑走路下残存説に対して、阿久津氏は懐疑論を口にした。その理由を二つ挙げた。

一つは、データの不存在だ。

「結論から言うと、現時点の資料調査に基づけば、2000体の集団埋葬地以上に大きいような集団埋葬地が滑走路の下とかにあるということは絶対ないです。縦横斜めに相当資料を突き詰めていって、一つもぶちあたっていないですから」

集団埋葬地について文書を徹底調査しても、滑走路下に存在することを示す資料は見つからなかった。だから、滑走路西側の2000体のようにまとまった形で見つかることはない、という考え方だ。

もう一つとして挙げたのが米国滞在中、米国国防総省捕虜・行方不明者人員調査局(DPMO)を訪問した際のエピソードだ。DPMOで「ヒストリアン」と呼ばれる専門家と会談する時間が設けられた。米軍が滑走路下に日本側戦没者を埋葬した可能性について話が及んだとき、ヒストリアンはきっぱりとこう言ったという。「われわれだって滑走路の下にそんな遺体なんて埋めないよ。気持ち悪いじゃないか」。

むしろ滑走路として整備される予定地を外すように、集団埋葬地の場所を選んだ、という印象を阿久津氏は強めたという。戦後70年が過ぎても1万人が見つからないのは、滑走路に大勢埋まっているからだと考えるのはある意味、自然なことだ。ただ阿久津氏は、こうした考え方は「滑走路神話」であるとし、「(神話を)一度ぬぐって、資料に基づいて調査することをしなかったら、多くのご遺骨は見つからない」と指摘した。

では、資料に基づく調査とは具体的に何を指すのか。

阿久津氏は「BURY」の話を始めた。

阿久津氏は米国での公文書調査を終えて帰国後、菅氏にこんな報告をしたという。

「(菅氏が)データに基づいて滑走路の下に(遺骨は)あるのかって言うから、私は『データ上、そういうドキュメントは出てきていない』と言い切りました。ただし『BURYはある』と。そのBURYが滑走路の下にもかかっている、つまり硫黄島のどこにあるのかという大まかな地図は発見したと」

「BURY」とは日本語で「埋める」という意味だ。特命チームは公文書の調査で、米側部隊が日本側部隊と交戦し、殺害した日本兵を交戦した場所に埋めていた、という実態に辿り着いた。

BURYとは、大人数を埋めた集団埋葬地とは異なり、3〜4人などの少人数をくぼみや壕に埋めた箇所である、という認識を持った。そのBURYがどこにあるかを記録した地図を特命チームは発見したのだった。ただ、滑走路のエリアはBURYが少なかったという。

つまり、阿久津氏の見方はこうだ。

仮に滑走路を移設して地中を調査した場合、このBURYの範囲で遺骨は見つかるだろう。ただし、BURY1箇所から見つかる遺骨は数人単位だ。滑走路西側で見つかったような2000人を埋めたとする集団埋葬地は存在しないのだから、滑走路下を調査しても大幅な進展がある可能性は限られている。

確証なき滑走路下調査よりも大事なのは、島全域に分布するBURYの公文書調査だ。調査が進めば集団埋葬地のときのように、個々のBURYの緯度経度を記した資料が見つかることもあり得るのではないか。

厚労省と防衛省のメンタリティ

遺骨収集が緩慢に進んできたのは「国の不作為」だ。インタビューの冒頭で聞いた言葉が僕の頭から離れなかった。不作為とは、特定の行為をあえて積極的に行わないという意味だ。

なぜ不作為が続いてきたのか。阿久津氏の指摘は推論を含んだものだったが、興味深かった。

防衛省についてはこう語った。防衛省側とやりとりする中で「(硫黄島は)アメリカのコントロール下にあると強く思っていると感じることがあった」という。そのため、積極的に米国側に協力を打診してこなかったのではないかという見方を阿久津氏はしていた。これを「慮りメンタリティ」と呼んだ。

阿久津氏は渡米して、DPMOなどの高官と会った際の印象をこう語った。「DPMOとか、その人たちと話した感じで言うと、有事に硫黄島は大事な戦略基地になると。そのことをちゃんと説明しきれば、いろいろとやってくれると思います。全面協力すると思います。かつ、大義として、誰一人取り残さない『KEEP THE PROMISE』があるわけですから」。

まとめるとこういうことだ。米国側は日本による遺骨収集に協力的な考え方を持っている。硫黄島を有事の際に重要拠点として使うには日米の良好な関係が不可欠という認識を抱いているという。さらに、米軍は、自軍兵士に対して「KEEP THE PROMISE」(約束は守る)と伝えている。つまり、仮に戦死したとしても家族や恋人の元に必ず帰す、だから国のために戦ってくれ、と約束している。しかし、聞いたところでは、硫黄島には行方不明のままの米軍兵もいる。日本側で遺骨収集が進めば米国兵士の遺骨の発見にも繋がることになり得ると米側は考えている。しかし日本は過度な忖度により長年、遺骨収集で上陸する民間人を最小限に抑えようとしてきたのではないか。それが阿久津氏の見方だった。

一方、厚労省は「継続メンタリティ」が感じられた、と話した。「厚労省の問題点は、黙々と遺骨収集作業をやるんですよ。極めて冷静に黙々と時代の変化にかかわらず。『いつまでに終わらせるぞ』とか『ここのところ踏ん張りどころだ』とか、そういう上げ下げがない。それを悪く取ると、(担当部局の)社会・援護局を維持したいと、これからも。同じ規模で。そういう意図があるんじゃないかと。厚労省の中には、ここで全部やりすぎちゃうと、民主党政権下で、自分たちの仕事がなくなってしまうんじゃないかと思ったかもしれない」。

阿久津氏の見方をまとめると、こうだ。防衛省は、米国側に過度に忖度して遺骨収集団の上陸などを最小限に抑えたい「慮りメンタリティ」があった。一方、厚労省も遺骨収集事業の担当部署を維持したい「継続メンタリティ」があった。現状を変更したくないという思惑が一致する両省庁が両輪となり、遺骨収集はスローな速度で進み続けてきた。

インタビューの最後に、僕は核心部分となる質問をした。それは、遺骨収集を巡る「国の不作為」を打破するにはどうすれば良いのか、という問いだった。

阿久津氏は「菅政権のとき、遺骨収集は総理から全権を委ねられた特命でした。『総理案件だから』という理由で(各省庁に対する)私の要求はほとんど全部通りました」と振り返った上で、きっぱりとこう言い切った。

「国の不作為は、トップの意思の問題ですよ」

僕がすべての質問を終え、お礼を述べ、ノートやカメラをバッグにしまっていると、阿久津氏は机に置かれた僕の名刺を見ながら、こう話した。「硫黄島の問題は、地方紙記者だからこそできるのかもしれませんね」。中央から遠く離れた地に軸足を置き、在京メディアのように中央への取材が困難であるからこそ時間的な危機意識があり、前のめりに取材に駆け回ろうとする。そういった意味で阿久津氏が述べたのだと思った。

間もなく北海道に転任する僕には、エールのように聞こえた。

事務所を出ると、空は晴れ上がっていた。

つづく「「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」…硫黄島に初上陸して目撃した「首なし兵士」の衝撃」では、硫黄島上陸翌日に始まった遺骨収集を衝撃レポートする。

「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」…硫黄島に初上陸して目撃した「首なし兵士」の衝撃