「怒られるのが苦手」な精神科医・尾久守侑がラーメン二郎に挑戦 突如覚醒した能力とは
「人六倍怒られるのが苦手」
現役の精神科医でありながら、詩人・作家として文筆業にも励む尾久守侑さん。「怒られるのが苦手」と豪語する彼が、ある日訪れた“ラーメン二郎”で「にんにく入れますか」と問われると、ふいにある能力が覚醒して……。
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怒られるのが苦手である。
そら誰でも怒られるのなんて好きじゃないだろうと思うかもしれないが、人一倍どころか人六倍程度には苦手である。ちょっと怒られるだけで、世界滅亡後の暗闇に取り残され、その周りを光GENJIがローラースケートで周遊しているような絶望感に襲われる。よってなるべく怒られそうな場面を避けるようになった。
例えば二郎(じろう)である。
突然知らない人間の名前が出てきたので「なにそれ、地元の内輪ノリ?」と思う人がいるかもしれないが、これは人名ではなく拉麺(ラーメン)店の名称である。二郎には厳密なルールがあり、それを客が侵した場合叱責を受けるといううわさを聞いたことがあり、怖くて訪問できないでいた。しかし私ももう35である。いつまでもそのような思春期めいたくねくねした精神でいてはいけない。
二郎でのコミュニケーションの正解
気が付くと私は店の列に並んでいた。コの字に机が並んだ店内を外からのぞくと、店の奥側では屈強な大学生や眼光の鋭いサラリーマンなどが6人ほど並んで拉麺を啜っており、手前側ではフードをかぶった男が今にも暴れ出しそうな目をして拉麺が到着するのを待っていた。偏見である。
「にんにく入れますか」
入店し、恐ろしい緊張感のなか拉麺を待っていると店主が一番端の男に尋ねた。
「にんにく、あぶら」
端の男がぶっきらぼうに言い放った。コミュニケーションになっていない。どういうことなのだ。疑問に思っていると店主が次のサラリーマンにも同じ質問をした。
「にんにく入れますか」
「全部で」
またコミュニケーションになっていない。にんにく入れますか、と尋ねられたら、ふつうは「入れてください」とか「いらないです」とか返答すべきではないか。しかし、著しい緊張から私の文脈把握能力は高度に研ぎ澄まされ、このコミュニケーションがここでの正解であるということを瞬時に悟った。
突然覚醒した文脈把握能力
「にんにく入れますか」
店主が私に聞いていた。
「全部で」
よく分からないが、そう答えておけば大丈夫そうなので隣の人のまねをした。間もなく到着した拉麺は、信じがたい量のもやしが山を形成しており、到底人間に食べ切れる量ではなかったのだが、食べ残しをするとどうなるかしれないとおびえ、無我夢中で食べた。緊張から、なんの味も覚えていなかった。たぶんおいしかった。
怒られなかった、と安堵しながら家路に就く間、緊張の下で突然覚醒した文脈把握能力について考えていた。そもそも、私は幼少期から怒られるのが嫌で、なにかにつけ場の文脈に敏感に過ごし自分を消して適応してきた。しかし、そんな自分のままでいいのか? そろそろ怒られても自分の意見を曲げない大人になるべきじゃないのか?謎の青年“二郎”の声が私の耳に響いていた。
「にんにく入れますか」
店主が私に聞いていた。
「あ、はい」
尾久守侑(おぎゅう・かみゆ)
1989年東京都生まれ。精神科医、詩人。詩集『Uncovered Therapy』で第74回H氏賞受賞。最新刊は『病気であって病気じゃない』。
デイリー新潮編集部