大竹しのぶが語る、井上ひさしによる名作音楽評伝劇『太鼓たたいて笛ふいて』への想い
『放浪記』や『浮雲』などで広く知られる作家・林芙美子の戦中・戦後の姿を描く、井上ひさしによる音楽評伝劇『太鼓たたいて笛ふいて』。この名作が大竹しのぶ主演、栗山民也の演出で初演されたのが2002年のこと。その後2004年、2008年、2014年と再演を重ね、この2024年11月から年末にかけて10年ぶり5回目の上演を果たすことになった。
戦中は従軍記者として活躍していたはずの林芙美子が一転、戦後は反戦小説を書くようになる。実際に戦地に赴いた彼女が何を見て、いかに変化し戦争に真正面から向き合うことになったのかが、周囲の人々の人生も絡めつつたっぷりの劇中歌と共に描かれていく。初演から22年という時を経て改めてこの芝居、そして林芙美子という役に取り組む大竹しのぶに作品への想いを語ってもらった。
――『太鼓たたいて笛ふいて』には今回10年ぶり5回目の出演となりますが、大竹さんの今の率直なお気持ちとしては。
ようやく、またこの作品をやることができるという喜びでいっぱいです。演出の栗山(民也)さんとも「また(本作を)やりたいよね」という話は何度もしていたので、それがやっと実現できることがすごく嬉しいです。
――栗山さんと大竹さんは『ピアフ』など、本当に数多くの作品でご一緒されていますね。その際に「またいずれやりましょう」とお話しされていたんですか。
そうなんです。
――そもそもこの作品のどういうところに魅力を感じて、またぜひやりたいと思われていたのでしょうか。
井上さんの作品には20代の頃に『もとの黙阿弥』(1983年)という舞台に立っていまして、こまつ座さんの公演ということでは私はこの作品が初めての出演だったんですけれども。とにかく初演時は、井上さんの言葉を伝えられる喜びで毎日毎日、本当に楽しく過ごさせていただいていました。この作品をやることで私は、役者というのは言葉を伝える仕事で、それができるのは本当に幸せなことだなと気づいたんですね。その後も上演するたびにその気持ちは変わることがなく、井上さんの持っていた大きな強い意志や考え方を、また自分が伝えられるのは光栄なことだと思ってきました。それはもちろん井上さんのお考えに賛同しているからでもありますし、わかりやすく、なおかつ面白く、やさしく、でもとても大切なことを伝えるという、そういう役目を担うことが今回もできるというのは本当に嬉しく感じます。
――初演に出られているということは、つまり井上さんが大竹さんが主演であることを想定した“あて書き”で、この林芙美子という役を書いてくださったということでもありますよね。最初に台本が出来上がってきた時の気持ちを振り返っていただくと。
それはもちろん、大変嬉しかったです。
――とはいえ、やはり初演時は大変でしたか?
いいえ、大変だったという記憶は全然ないですね。井上さんですから、台本が届くのはとても遅かったですが(笑)。稽古場に行くたび最初の会話は「今日は何ページ?」「今日は3ページも来た!」みたいな、ひたすら原稿を待つ日々で、物語の展開もどうなっていくのかわからない状況での稽古でした。
――どうしても初演は、そういう思い出になりますよね。再演以降は台本はあるので、その点では安心しながら?
もうね、井上さんはものすごくニコニコしながら稽古場に来ていましたよ。初演の時は目の下にクマを作って、ひげもボウボウでしたけど。でも、栗山さんは「あれ、わざと苦労してるんだってアピールしてるんだよ」って言ってましたね(笑)。
――井上さんに言われて、嬉しかった言葉などありましたか。
幕が開いて本番が始まるとよく観に来てくださっていたんですが、いつも楽屋に入ってくるなり「いい芝居ですねえ!」っておっしゃっていました(笑)。私も「ええっ、ご自分のお芝居ですよ!」って、いつも返していました。
――きっと満足されていたんですね。改めて、栗山さんの演出を受けるにあたって、特に感じられている面白さとか難しさとか大変さとかは。
大変さは一度も感じたことがありません。毎回楽しいし、わくわくするし。井上さんの『もとの黙阿弥』に出していただいた時、演出は木村光一さんだったんですが、栗山さんがその演出助手をされていたんです。それで栗山さんに初めて演出していただいたのが、まさに『太鼓たたいて笛ふいて』だったんですよ。
――そうだったんですか。では、この作品こそが記念すべきお二人のタッグの第一弾だった。
はい。もう、栗山さんの稽古に行くのが本当に楽しくて、言葉を覚え始めた子供のように「今日は何を教えてもらえるんだろう!」という感じで通っていましたね。
――それから20年以上経って、最近になっても栗山さん演出の面白さは変わらず、という感じなのでしょうか。
そうですね。とにかく、いい芝居をすると演出席でとっても幸せそうな顔をなさるんです。それに、おかしいところで一番笑ってくれるのも栗山さんなんです。前回までキク役を演じられていた梅ちゃん(梅沢昌代)と、いつも「私たち、まるで栗山さんのためにやってるみたいだね」って笑いあっていました。泣いたりされることも多くなりました。役者としては、それはとても嬉しいことです。
――涙もろくなられた?
いえ、よく考えてみると確か初演の時も泣いていたので、純粋なんだと思います。その代わり、いい芝居をしなければ、すごく怖~い顔や、嫌~な顔をするので(笑)。「あ、気に入ってないんだな」っていうのは、すぐにわかります。私のほうも「あらら」とか、いい時は「ね、いいよね~?」って、いろいろと表情で合図するようになりましたね。
――言葉にしなくても顔を見ればわかる間柄なんですね。また今回は、ガラッと共演陣の顔ぶれが変わることも新鮮です。
最初はちょっと淋しい気もしたんですが、でもここでまた新たな気持ちでやろうという栗山さんのお気持ちもあって。このキャストの方たちが新しい生命を吹き込んでくれそうで、とても楽しみです。そうなればきっと私自身も変わることができると思いますので。実は、うちの息子が、私が出演している作品の中で一番好きだと言っていたのが、この『太鼓たたいて笛ふいて』なんです。特に、私が死んだ後の場面が好きなんですって(笑)。手で顔を覆いながら泣いたって言ってましたね。初演はまだ大学生ぐらいの時だったかな。
――大竹さんの出られている作品を、息子さんはたくさんご覧になってるんですか?
はい、全部観てくれていますね。結構細かくチェックして、いろいろと面白い感想を言ってくれます。私自身が気がつかないことも教えてくれたりします。
――この作品の林芙美子を演じるにあたって、特に意識されていることはどういうことでしたか。
やっぱり、少し独特なエネルギーの出し方をしている人なんですよね。それがすごく炸裂する場面があれば、ちょっとイっちゃってるようなところもあるので(笑)、そのあたりはいつも意識してやっています。
――また前半と後半で、その雰囲気が変わりますが。
そうですね。前半は調子に乗っていて、人気作家で浮かれながら「もっと小説が売れればいいのに」などと考えて、「よーし、日本のために私は頑張る」と勘違いしちゃう、単純なところもありますし。
――でも気づけば、素直に変わっていける純粋なところもある。
間違ったことをちゃんと「間違えていました」と言える、勇気を持っているところはすごい人だなと思います。
――共感できるところや、ご自身と重なる点などはありますか?
自分と役を重ねることはあまりしないのですが、井上さんご自身の言葉が台詞になっているんだなということは感じますね。「もっと大事なことを書いていかなくちゃね」っていうところとか、作家というものはそういうものなんだというのは井上さんの中から出て来ている言葉なんじゃないかと。そして私たち役者は、その作家の書いた言葉を伝えて世の中にそのことを浸透させていくのが仕事。だからこそ、正しいことをしっかり伝えていかなくちゃいけないなといつも思っています。
――前回上演されたのは10年前ですが、この10年間で日本も世界もものすごく変わりました。そんな中でも驚くほどいろいろなことが現在の出来事に重なってきたり、さまざまな事象を台詞から連想できてしまったりするのが井上さんの作品で。今回も不思議なくらい、今の時代に沁みて来そうな台詞や展開がありそうです。
そうですよね。以前、まだ2回目の再演の頃だったと思うんですが、出演されていた山崎一さんのお子さんがお友達と一緒に観に来てくれたことがあったんです。当時は小学生だった彼らに、楽屋で井上さんが熱弁をふるっていて。「これは昔の話じゃないんだよ。君たちが大人になる頃、もしくはこれから10年後に起こるかもしれない話なんだ。だから過去の話をしてるんじゃないの、未来の話なの」とおっしゃっていたんです。その数年後、その子たちが高校生になった時にもまた観に来てくれて。その時はもう井上さんは亡くなられていたんですけど、帰りにその男子高校生4人くらいでファミレスに寄って、井上さんのこと、今日のお芝居のこと、戦争について、日本という国について熱く討論していたそうなんです。その話を聞いて嬉しかったし、お芝居を観るってこういうことなんだ!って、改めて思いましたね。
――きっと井上さんがそうしてほしいと思っていたことを、まさに山崎さんのお子さんたちはやってくれていた。
はい。それからまた時が経って、この10年の間には、これは『ピアフ』を演じていた時に感じたことなんですけれど、初日の幕が開く少し前にロシアのウクライナ侵攻があって。『ピアフ』の物語の中で「戦争です。戦争が始まりました」って台詞があるんですが、これまでももちろんリアリティを感じながら演じていたつもりでしたけど、こうやっていきなり戦争は始まるんだということをテレビの画面でニュース映像として毎日のように見ているから、ものすごく現実に思えてしまって。その後もこうして世界の状況がどんどんひどくなる中で、あの時に井上さんがおっしゃっていた「未来に起こり得る話なんだよ」という言葉の意味が、私自身もわかったような気がしています。だからこそ絶対に目を背けてはいけないし、もう一度しっかりと考えていきたいことだなと思いますね。
――本当に、若い人にぜひ観に来ていただきたい作品です。
そうなんですよ。それをどうお伝えしたらいいか、ずっと考えているんですけれど。初演の時も、井上さんに「なんとしてでも若い人を呼んだほうがいいですよ、もう私、こまつ座の宣伝担当になります! 劇場の前でチラシを配りましょうか!」って言ったことがあるくらい。
――え、本当にチラシを配ったんですか?
いえ、それは止められちゃいました(笑)。だけど、お芝居は劇場に来て、観ていただかないことには伝わらないですからね。
――来てさえいただければ、必ず伝わるものはあるはずなのに。ぜひ、大竹さんからお誘いの言葉をいただきたいです。
演劇を観るために足を運ぶことは、もしかしたら難しいこと、面倒なことだと思うかもしれないけれど、このお芝居は本当に笑えるし、笑いながら泣けるし、いろいろなことを考えられるきっかけにもなると思います。
――忘れていた大事なことに気がつくことも、たくさんありますしね。
とにかく劇場に来ていただきたいです。ではまず、この公演の詳細のところをクリックしてみてくださいね!(笑)
取材・文=田中里津子 撮影=福岡諒祠