『ピンク・レディー』のケイこと増田惠子を新大阪駅で発見!溢れ出る″幸せな雰囲気″とスターオーラ

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8月中旬の夕方、新大阪駅構内を歩く麦わら帽子にジーンズ姿の女性。『ピンク・レディー』のケイこと、増田惠子(67)である。

昭和の音楽史に燦然と輝く『ピンク・レディー』

『ピンク・レディー』は、増田と中学生の同級生だったミー(現:未唯mie)こと根本美鶴代(66)のペアで1976年8月に『ペッパー警部』でデビュー。60万枚(オリコン調べ)のヒットとなり、その年の日本レコード大賞新人賞を獲得した。

「露出多めの派手な衣装とガニ股で踊る振り付けが話題となり、日本中に”ピンク・レディー”旋風を巻き起こします。続く『S・O・S』、『カルメン’77』もオリコン1位を獲得。『渚のシンドバッド』は初のミリオンセラーとなりました。踊りだけでなく、高音ボイスのミーと低音ボイスのケイのコーラスや表現力など、単なるアイドルとしてでなくアーティストとしての評価もすごく高かったですね」(音楽雑誌編集者)

昭和の音楽史を変えるほどのインパクトを残した『ピンク・レディー』だったが、その活動期間はわずか4年7ヵ月だった。1981年3月をもって解散し、ケイはソロ歌手「増田けい子」として同年11月にシングル曲『すずめ』でデビュー。40万枚(オリコン調べ)を売り上げている。

「低音ボイスを生かしたスローテンポのバラードで『ピンク・レディー』のイメージを一新しました。1988年にはシャンソンを学ぶためパリに留学。翌年にはフランス語と英語の楽曲ばかりで構成された10曲が収録されたアルバム『SIMPLES CONFIDENCES』でフランスデビューも果たしています」(前出・編集者)

その後『ピンク・レディー』は期間限定で何度か再結成しては、歌番組などで当時のスタイル、衣装で完璧に振り付けをこなしている。

「彼女は健康維持と体力作りのために30年以上もクラシックバレエを続けており、10年ほど前からピラティスを始め、ストレッチも毎日欠かさず続けているといいます。美唯mieもそうですが、プロのアーティストとして、徹底的に自己管理する姿勢は音楽関係者からも大きな賞賛を浴びています」(前出・編集者)

溢れ出るスターオーラ

冒頭に話を戻そう。この日、増田は翌日に大阪で行われる単独ライブのために大きなトランクケースを引いたスタッフとともに東京から移動してきていた。お盆休みの帰省期間真っ只中とあって、新大阪駅構内は、移動客でごった返していた。それでも、ライブ会場である『ビルボードライブ大阪』のボードを手にしたスタッフと無事に合流できたことで安心したのか、増田は疲れた表情ひとつ見せず、終始朗らかな笑顔で応えていた。

その若々しい姿に、増田に気づいた人からは、「ケイちゃん若い〜!」との声も。増田は以前、朝日新聞デジタル(’22年8月31日配信)のインタビュー記事で、60歳を過ぎた現在の自分の在り方について、このように語っていた。

〈若いときはがむしゃらに頑張っていても美しくて素晴らしいし、自分もそういう時代を生きてきましたが、60歳を過ぎたら、自分がまとう空気感や幸せな雰囲気を大切にしたいと思っています。

必死に頑張る悲壮感が漂っていたり、心の余裕がなかったりすると無表情で怖い顔に見えると思うので、それよりも、できるだけしなやかに年を重ねられたらいいなぁ、と。私よりちょっと若い方にも、『年を重ねるって素敵だな』と希望を持ってもらえるような生き方ができたらいいですよね〉

この日の増田の立ち居振る舞いにも、”幸せな雰囲気”が溢れていた。これからもぜひ、元気一杯の『ピンク・レディー』を見せてもらいたいものだ──。