ウィリアムズ サージェント解雇の背景に「アメリカアレルギー」も影響?過去の歴史が示すものとは【F1】
サージェントはウィリアムズから解雇された(C)Getty Images
F1イタリアGP(9月1日決勝)の前にウィリアムズとの選手契約を打ち切られたローガン・サージェント(アメリカ)が、SNSを通じて声明を発表。小さくない波紋を呼んだ。
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すでに投稿は削除はされているものの、サージェントは「やあ皆さん、今日のニュースを受けて、F1での最初のチャンスを与えてくれたウィリアムズレーシングにとても感謝していると伝えたい」と綴った。「F1での最初のチャンスを与えてくれた」との表現は1年半で途切れたF1キャリアが将来的に延長されることを念頭に入れているような内容で、最後には「過去2シーズンにわたり、このような歴史あるチームを代表できたことを誇りに思う」と締めた。
1年目の昨季は母国アメリカGPで自身初入賞となる10位を手にしたが、今季の決勝ベストリザルトは11位。ウィリアムズのアカデミー出身のフランコ・コラピント(アルゼンチン)にシーズン途中にシートを奪われるという屈辱も味わった。
それでも「アブダビで初めてF1マシンを運転できたことは一生に一度の経験だった。昨季のオースティン(アメリカGP開催先)で30年ぶりにアメリカ人としてポイントを獲得できたのは本当に特別な瞬間だった」とF1を経験できたことをプラスに捉え、「今後については適切な時期に発表する前に、時間をかけて自分の選択肢を検討したい」と前向きだった。
ただ、アメリカ人のF1ドライバーはなかなか根付かない。2000年以降はサージェント以外に15年のアレクサンダー・ロッシ(マノー)、06〜07年のスコット・スピード(トロロッソ)しか戦っていないのだ。ちなみに30年前にF1で入賞したのはマクラーレンでデビューしたマイケル・アンドレッティでこちらも1シーズンでお役御免となった。
アンドレッティは引退後にもF1の世界から総スカンを食らった。米インディカーなどでオーナーチーム「アンドレッティオートスポーツ」を手掛け、11番目のF1チームとして米ブランド「キャディラック」との提携でシリーズ参入を仕掛けたが、分配金が減ることを嫌がった既存チームの承認を得られず、F1プロジェクトは水泡に帰した。
F1運営会社のオーナー企業でもあるリバティメディアは米国のメディアグループ。1国1開催が原則ながらアメリカGP、マイアミGP、ラスベガスGPと米国内で3グランプリを実現させたほか、レース前のセレモニーなどにショート要素を採り入れて新たなウエーブを巻き起こした。
現場世界には「アメリカアレルギー」がどこかにあるのかもしれない。F1で3シーズン以上戦ったアメリカ人のは1980年代を中心にに計143戦にエントリーしたエディー・チーバーが最後。サージェントもご多分に漏れなかった。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]