「銀座の庭」から「銀座の公園」へ!新しい「Ginza Sony Park」が竣工
Ginza Sony Park プロジェクト(銀座ソニーパークプロジェクト)は、東京・銀座のソニービル(の建て替えプロジェクトの最終形として、数寄屋橋交差点にあえて低く構えることで街に余白を生み出す新しい「Ginza Sony Park」を2024年8月15日に竣工した。
1966年に「街に開かれた施設」をコンセプトにつくられたソニービルの角地で、長年多くの人々に親しまれた10坪のパブリックスペース「銀座の庭」。新しい「Ginza Sony Park」は、この「銀座の庭」を継承・拡張させた「銀座の公園」として、都会の中に余白とアクティビティをもたらし、街や人に新たなリズムをつくっていきます。グランドオープンは2025年1月を予定している。
■街や人々にリズムを生み出す場となることを目指す
今回、ソニービルのリニューアルとして竣工した新しい「Ginza Sony Park」は、地上5階、地下4階のSRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)の建物で、銀座の標準的な建物の半分ほどの高さにあえて低く構えることで、集積率の高い都会の中に余白と新しい景観を生み出している。また、ソニービルが大切にしてきた「街に開かれた施設」という設計思想と、「ジャンクション建築」「縦のプロムナード」といったユニークな建築的な要素はGinza Sony Parkにも継承されている。
かつて銀座・数寄屋橋交差点に面したソニービルの角地には、 “ソニースクエア” という10坪のパブリックスペースがあり、春には鮮やかなガーベラの花を、夏には涼しげなアクアリウムを設置するなど、季節ごとに四季折々のイベントを開催。都市を修景的につくるという思想から、余白の少ない都会の中に街との接点となる外部空間を設け、街を訪れる誰もが楽しむことができるように設計されたこのパブリックスペースは「街に開かれた施設」の象徴だった。ソニーのファウンダーのひとりでソニービルの創業者である盛田昭夫氏はこの10坪のパブリックスペースを「銀座の庭」と呼んだ。Ginza Sony Parkは50年間続いたこの「銀座の庭」の思想を継承し、「銀座の公園」として拡張させ、人々が思い思いに過ごせる多くの余白と、体験型のプログラムや飲食などさまざまなアクティビティによって、街や人々にリズムを生み出す場となることを目指す。
都市機能を内包する稀有な立地にあるGinza Sony Parkは、地上の三方が道路に面し、地下は地下鉄コンコースと地域最大級の地下駐車場に直結している。ソニービルから続く、これらの都市機能と建物を有機的に結びつける「ジャンクション建築」の考えもGinza Sony Parkは継承している。地上では数寄屋橋交差点からの動線を開放的な吹き抜け空間で受け入れ、地下動線も内と外を区切る扉や壁をなるべく設けずにシームレスにつなぐことで、銀座の街を訪れる人々が気軽に行き交うことのできる空間を実現している。さらに地下鉄コンコース接続部にはかつてのソニービルの躯体の一部を残し、進化と同時に積層された建物の歴史を見ることができる。
また、ソニービルは、「花びら構造」と呼ばれる決して広くはない敷地面積に建つ建物を如何に有効に使うかという視点で考え出されたスキップフロアによって、地上階のフロアを連続した空間でつなぐ「縦のプロムナード」を実現している。Ginza Sony Parkではこのコンセプトを進化させ、大胆に地上の外部空間を取り込みながら地下3階から地上5階(屋上)まで建物全体をつなげる一本の新たな「縦のプロムナード」をつくり出している。
さらに、Ginza Sony Parkは銀座の街の中では珍しい打ち放しコンクリート建築で、普通ベニヤ型枠を採用したコンクリート打設により、とても大らかでプリミティブな表情を見せ、重心の低い建物のフォルムとあわせて、公園の持つプラットフォーム的な要素を体現している。そのコンクリートの躯体を覆うステンレスのグリッド状のフレームは、壁面を使った様々なアクティビティを展開する機能的なファサードとして、また設備増設時の配管などを通す共同溝としての役割を担っている。それに加え、このフレームは公園と街とのゆるやかなバウンダリーとなり、その隙間から地上の大きな吹き抜け空間の中に入り込む光が、まるで木漏れ日のような変化をもたらす。
1966年に「街に開かれた施設」をコンセプトにつくられたソニービルの角地で、長年多くの人々に親しまれた10坪のパブリックスペース「銀座の庭」。新しい「Ginza Sony Park」は、この「銀座の庭」を継承・拡張させた「銀座の公園」として、都会の中に余白とアクティビティをもたらし、街や人に新たなリズムをつくっていきます。グランドオープンは2025年1月を予定している。
今回、ソニービルのリニューアルとして竣工した新しい「Ginza Sony Park」は、地上5階、地下4階のSRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)の建物で、銀座の標準的な建物の半分ほどの高さにあえて低く構えることで、集積率の高い都会の中に余白と新しい景観を生み出している。また、ソニービルが大切にしてきた「街に開かれた施設」という設計思想と、「ジャンクション建築」「縦のプロムナード」といったユニークな建築的な要素はGinza Sony Parkにも継承されている。
かつて銀座・数寄屋橋交差点に面したソニービルの角地には、 “ソニースクエア” という10坪のパブリックスペースがあり、春には鮮やかなガーベラの花を、夏には涼しげなアクアリウムを設置するなど、季節ごとに四季折々のイベントを開催。都市を修景的につくるという思想から、余白の少ない都会の中に街との接点となる外部空間を設け、街を訪れる誰もが楽しむことができるように設計されたこのパブリックスペースは「街に開かれた施設」の象徴だった。ソニーのファウンダーのひとりでソニービルの創業者である盛田昭夫氏はこの10坪のパブリックスペースを「銀座の庭」と呼んだ。Ginza Sony Parkは50年間続いたこの「銀座の庭」の思想を継承し、「銀座の公園」として拡張させ、人々が思い思いに過ごせる多くの余白と、体験型のプログラムや飲食などさまざまなアクティビティによって、街や人々にリズムを生み出す場となることを目指す。
都市機能を内包する稀有な立地にあるGinza Sony Parkは、地上の三方が道路に面し、地下は地下鉄コンコースと地域最大級の地下駐車場に直結している。ソニービルから続く、これらの都市機能と建物を有機的に結びつける「ジャンクション建築」の考えもGinza Sony Parkは継承している。地上では数寄屋橋交差点からの動線を開放的な吹き抜け空間で受け入れ、地下動線も内と外を区切る扉や壁をなるべく設けずにシームレスにつなぐことで、銀座の街を訪れる人々が気軽に行き交うことのできる空間を実現している。さらに地下鉄コンコース接続部にはかつてのソニービルの躯体の一部を残し、進化と同時に積層された建物の歴史を見ることができる。
また、ソニービルは、「花びら構造」と呼ばれる決して広くはない敷地面積に建つ建物を如何に有効に使うかという視点で考え出されたスキップフロアによって、地上階のフロアを連続した空間でつなぐ「縦のプロムナード」を実現している。Ginza Sony Parkではこのコンセプトを進化させ、大胆に地上の外部空間を取り込みながら地下3階から地上5階(屋上)まで建物全体をつなげる一本の新たな「縦のプロムナード」をつくり出している。
さらに、Ginza Sony Parkは銀座の街の中では珍しい打ち放しコンクリート建築で、普通ベニヤ型枠を採用したコンクリート打設により、とても大らかでプリミティブな表情を見せ、重心の低い建物のフォルムとあわせて、公園の持つプラットフォーム的な要素を体現している。そのコンクリートの躯体を覆うステンレスのグリッド状のフレームは、壁面を使った様々なアクティビティを展開する機能的なファサードとして、また設備増設時の配管などを通す共同溝としての役割を担っている。それに加え、このフレームは公園と街とのゆるやかなバウンダリーとなり、その隙間から地上の大きな吹き抜け空間の中に入り込む光が、まるで木漏れ日のような変化をもたらす。