永嶋 泰子 /

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価値の喪失感に向き合う


「生きる意味はあるのだろうか?」

あなたは、そう思ったことはありますか?
私には、あります。生きている意味を失いそうになったことが。
当時、私の人生は「絶望」でした。
子どもを亡くし、そのショックから食事を作ることも、電車に乗って一人で出かけることもままならなくなりました。
しかし、再び母になり子育てを経験し、私の考えは変わりました。

「自分の存在が、人に希望を与える」と心から思うようになったのです。
とは言っても、信じられないかもしれません。

しかし、あなたが存在することで、誰かの励みになっているかもしれないのです。
つまり、いまあなたが経験していることは、同じような経験をした誰かの役に立つということです。


私が絶望から救われたのは、同じ経験をした方のブログを読んだからでした。

何時間もかけて必死にインターネットから検索をし、必死にたどりついたのがそのブログ。 夜だろうと関係なく、何度も何度もそのブログを読みました。時には、涙を流しながら、「ああ、同じ経験をした人がいる。そして、こんなにつらい経験をしても笑える日が来るんだ。」そう気づけたのは、大きな希望だったのです。

思いどおりにならない人生を楽しむ方法


人生に意味を見いだせなくなった理由は、自分の人生を自分の思うようにコントロールできなかったからでした。
当時の私は、人生とは「思いどおりにするもの」というレッテルを貼っていたのでした。

これは私の欠点でした。

白黒はっきりさせたい性質を持っていた私は、何にでもレッテルを貼って「こういうもの」と決めつけていたのです。
しかし、決めつけても人生はそのようになるとは限りませんよね。「なぜ思うようにならないの?」と生きづらさを感じることが圧倒的に多かったのです。
「思いどおり」になるものもあれば、思い通りにならないものもあります。どんなに気をつけていても、アクシデントが起こるように。


子どもを亡くしたことは、アクシデントでした。
死は誰にでも訪れます。そして、それをコントロールすることは、医師でさえもできない。
当たり前のこの事実。私は子どもを亡くすことによって初めて体感し、そして「人生は思いどおりにするもの」というレッテルを見直さざるを得ない状況に追い込まれたのでした。
しかし、見直したことによって新しい発見もありました。
「生きづらい」と思っていた原因が、レッテルを貼ることにあるのだと気づけたからです。


質問から見つける本当の願い


その後、レッテルを貼ることをやめたことによって、格段に生きやすくなりました。
思いどおりにならない状況を楽しむことにしたのです。
もちろん、私も人間ですからいつでも楽しめるわけではありません。
思いどおりにならない現実に苦しくなってしまい、「なんで私の人生はうまくいかないことだらけなの?」と自分を追い詰めることも度々ありました。

あなたにも、同じような経験があるかも知れません。けれども、ここで諦めたらまた生きづらい日々に戻ってしまう…「それだけは絶対にいや」と思った私は、こんな質問を自分に投げかけるようになりました。

・自分が心からしたいことですか?

→したくないという答えが出たら、ちょっと立ち止まって「本当はどうしたいのか?」ということを考えてみましょう。

・人生最後の日、この人生で後悔しないですか?→後悔するという答えが出たら、どういう人生だったら「この人生でよかった」と思えるのかを考えてみましょう。


・1年後、あなたはこの苦しみを覚えていますか?→人は「現在」が一番苦しいものです。苦しみを覚えていないことも多いのです。もし、1年後もその苦しみを覚えていないのであれば、気持ちを切り替えることにフォーカスしましょう。例えば、自然の豊かなところに行って自然を堪能する(近くの公園でもいいです)、カフェに行ってコーヒーを味わうなど。


他人の評価に惑わされない生き方

実は、生きる意味があるかどうかということは、誰にもわからないことです。あなたの周りの人も、もっともらしいレッテルをあなたに貼ります。
そう、レッテルというのは自分が自分に貼るだけでなく、周りの人から貼られることもあります。あなたは、周りの人から貼られたレッテルどおりに生きる道もあれば、自分自身が「こうありたい」と思う方に進む道もあります。
あなた自身がどう生きたいのかを選ぶことができるのです。

とは言っても、日本は同調圧力が強いように感じますよね。「空気を読む」「阿吽の呼吸」というように。
「周りの人が正しいかもしれない」と思いたくなります。そんな時は、こんな質問がおすすめです。

・それは、あなたが心からしたいことですか?

人は、心から本当にしたいと思うことをしていれば、自分の生きている意味にとらわれなくなります。
だって、夢中で生きるということは「意味」を考える隙もないほどに自分の人生に集中するということだから。私自身の経験からいっても、夢中で生きていたときほど悩む暇さえもありませんでした。とにかく「いま、目の前にあることに集中しなければ」という心持ちでした。

結局のところ、人生の最期に「自分の人生を生き切ることができた」と心から思えたら、それでいいのではないのでしょうか。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

何かの参考になれば幸いです。