発足から2年半、大岩ジャパンは五輪8強で幕…指揮官が求め続けた「自分たちありき」と「A代表基準」

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 4日、羽田空港へ降り立ったU-23日本代表・大岩剛監督が最初に思ったのは、「暑いな、日本」だったそうである。

 スペインとの準々決勝に敗れ、失意の帰国ではある。試合終了直後のフラッシュインタビューでは感情的になる様子も見せた指揮官だが、「整理はしてきた」とすっきりした表情だった。パリ五輪での戦いについては「感情のところは置いておいて」としつつ、こう振り返る。

「やっぱり、この2年半でものすごく成長したと思うんです。彼らが20歳、21歳くらいから23歳になってレベルも上がったし、(プレーする)環境も変わった。そういう成長がU-23アジアカップでの優勝にもつながったと思うし、五輪でも『我々がやってきたことを出そう』という基準まで達していたと思う。『世界とやるには力がないから』と腰の引けた戦いをするのではなく、『攻撃的な守備と攻撃で対抗するんだ』というのをぶつけられる。そういうところまで達していた」

 日本が世界舞台で強豪国と戦うとなれば、どうしても「相手ありき」の前提になってしまう。先のカタールW杯然り、東京五輪準決勝のスペイン戦然り。そうした選択もまたサッカーのあり方なのだが、「自分たちありき」で挑戦したい。大岩監督はチーム結成以来、その前提を選手にも、そして記者にも強調してきた。そのために「A代表基準」も繰り返してきた。五輪代表という枠組みの中で求められる限界もあると知りつつ、「基準を下げることはしない」とも強調。個々の意識改革、ベース作りを促しつつ、一貫性を持ってチームを組み上げてきた。

「アジアに“対応”しない」とも明言し、実際にテストマッチは南米や欧州と組み続け、予選を前にした最後の仕上げで対戦したのもアフリカの強豪マリである。これも「本大会で自分たちのサッカーをして勝つ」ことからの逆算で、それはアジアのカオスに苦戦を強いられた遠因でもあるとは思うのだが、それもまた織り込み済み。「いまのA代表の基準を考えれば、どこにスタンダードを置くべきなのかは明らか」と、あくまで本大会までの一貫性を重視した。

「どういう大会であれ、相手がどこであろうとも、自信を持って戦い、まず相手の対策から入るのではなく、我々がサッカーをやる。そのマインドになることがまずは必要なんじゃないかと考えて2年半やってきた」(大岩監督)

 こうした「A代表基準」については、混迷を極めた選手選考にも反映されていた。当初の大岩構想はオーバーエイジ選手3名を加えてのオーダーで大会に臨むこと。ただ、「誰でもいいというわけではない」とも強調したように、求めたのはA代表の主力級の選手たち。過去の五輪ではA代表主力未満の選手をオーバーエイジとして招いたこともあるが、そうした選手たちの招集は構想になかった。若い選手に「A代表基準」を示せる選手であれば、その成長にとっても有益だが、そうでなければ、招集しても意味がないという発想だった。

 元より、積み上げてきた連係面や相互理解などを思えば、U-23の選手だけでいくほうがアドバンテージもある。だからこそ、最後に加わるオーバーエイジ選手はそれを超越するくらいの特別な力を持つ選手であるべきだという考えがあったのだろう。この枠に関して「次善の選択」はなかった。

 大会前、そうした決断について「賛否あるのはわかっている」としていた指揮官は、戦いを終えて戦力面について微塵の不満も漏らすことなく、選手たちの奮闘を称えるのみ。その上で「次はA代表」ということも重ねて伝えたと言う。

 あらためて「日本が相手に対応してサッカーをやるレベルではもうなくなってる。むしろ相手に恐れられるような、警戒されるような立ち位置にもう向かっていかなければいけない」と語りつつ、4年後の“ロス五輪”については、「このU-23のオリンピック世代は、僕の個人的な見解では今後ますます難しくなる。いろんな意味でね」とも語る。