OpenAIのサム・アルトマンとテスラのイーロン・マスクはかつては同じ志を持っていた(Photo by Muhammed Selim Korkutata/Anadolu via Getty Images)

ChatGPTを開発したOpenAIは2015年にイーロン・マスクとサム・アルトマンをはじめ6名の起業家、技術者らによって設立された。OpenAIと命名したのはマスクである。

ところが2018年、マスクは突然OpenAIを去っている。一体、何があったのか。

マスク、アルトマン、そしてグーグルを巻き込んだシリコンバレーの覇権争いの内幕に迫る。(小林雅一『イーロン・マスクを超える男 サム・アルトマン』から一部を抜粋して再構成しています)

イーロン・マスクに憧れていたサム・アルトマン

2015年、アルトマンは30歳を目前にして何か新しいことに挑戦したくなった。

カリフォルニア州の知事選に立候補することも頭をよぎったが、自身のキャリアを振り返ると、むしろ子供の頃からの夢である「人間のように考えるマシン」、この分野の専門用語で「AGI(Artificial General Intelligence:汎用人工知能)」を今こそ自分の手で実現すべきだ、という結論に至った。

AGIとは要するに、人類と同等か、あるいはそれを凌ぐほどの汎用的な知能を備えたスーパーAIだ。

そのための新たなプロジェクトを立ち上げるに際し、アルトマンはまず最初にイーロン・マスクを誘うことにした。

アルトマンがマスクと最初に会ったのは、その数年前のことだ。そのとき彼はマスクの案内で宇宙開発企業スペースXの工場を見学しながら3時間ほど話し込んだ。

当時のアルトマンは人生で初めて起業したループトを売却して間もない駆け出しの起業家だったが、彼より一回り以上年上のマスクは既にテスラとスペースXのビジネスを軌道に乗せた規格外の経営者だった。人類を火星に移住させる夢を滔々と語るマスクはアルトマンにとって憧れの的だった。

このマスクにアルトマンはメールを出し、その中で「AGIを実現するためのマンハッタン計画を始めようとしているけど興味ある?」と尋ねた。マスクは「イエス」と答えた。

マスクとアルトマンは「人類に貢献する安全なAGI」を実現するため、何らかのプロジェクトを立ち上げることで合意に達した。

AI開発で先頭を走っていたグーグル

2014年に英国の気鋭スタートアップ「ディープマインド」を買収するなど、当時AI開発で先頭を走っていたのはグーグルだった。

ディープマインドは優れたAI研究者で神経科学者、またチェスの名手でもあるデミス・ハサビスらによって、2010年にロンドンに共同設立された。2014年、グーグルに推定4億ポンド(約700億円)で買収された後も組織としての独立性は維持され、事実上はハサビスらの指揮の下で「ビデオゲームで遊ぶAI」などの研究開発に取り組んできた。

ハサビスらの開発チームは、ゲームAIの研究で培った「ディープラーニング」や「強化学習」などの先端技術を囲碁に応用して「アルファ碁(AlphaGo)」と呼ばれるAIを開発した。

アルファ碁は2016年3月、それまで世界タイトルを通算18回も獲得したトップ棋士、韓国のイ・セドルを4勝1敗で下した。当時、囲碁の世界チャンピオンを(アルファ碁のような)AIが打破するのは少なくともあと10年はかかると見られていたのに、あっさり勝ってしまったのである。

中国を起源に2500年以上もの歴史を有し、伝統的ボードゲームの王者と見られた囲碁がAIによって制覇されたことは、大きな衝撃をもって受け止められた。人間の様々な知的活動がいずれコンピュータのようなマシンによって代替される予兆とも見られた。このニュースはメディアで大々的に報じられ、世界的なセンセーションを巻き起こした。

AI脅威論者となったイーロン・マスクとグーグルの因縁

時間は前後するがディープマインドの設立から2年後となる2012年、ハサビスはシリコンバレーのつてを頼って大富豪マスクと面会するチャンスを得た。スペースXの工場を訪れたハサビスは、組み立てラインが見渡せるカフェテリアでマスクと昼食を共にしながら、自分たちの会社を売り込んだ。つまりディープマインドへの投資を求めたのである。

このワーキング・ランチで、マスクは「(スペースXが)火星に打ち上げるロケットを開発するのは、地球の人口増加や世界戦争、小惑星との衝突などの危機に備えるためだ。いざとなれば人類を火星に移住させるのさ」と壮大な計画を語った。

これに対しハサビスは「それもいいでしょう。でも、(AGIのような)スーパー・インテリジェンスが人類を滅ぼす危険性も忘れてはいけませんよ」と述べた。

これを聞いたマスクは一瞬息を吞んだ。そんな可能性もあるのか、と驚いたのであろう。ハサビスの警告に衝撃を受けたマスクはディープマインドへの投資を約束すると共に、これ以降「AI脅威論」の提唱者として知られるようになる。

このワーキング・ランチから数週間後、グーグル共同創業者・CEOのラリー・ペイジと会ったマスクはディープマインドについて彼に紹介した後で、(恐らくハサビスの受け売りで)いつの日か登場するであろう超越的な人工知能、つまりAGIが人類を滅ぼす可能性に言及するが、ペイジはその話に乗ってこなかった。

ペイジは「超越的なAIやそれを搭載したロボットがいつの日か人類にとって代わる存在になったとしても、それは(人間のような生物からAIロボットなど人工物へと)進化が次の段階に移行するに過ぎない」と考えていたのだ。

一方ハサビスらディープマインドの研究チームは、マスクや著名投資家ピーター・ティールらから調達した資金を使って、1970年代に世界的に流行した「スペースインベーダー」「ポン」「ブレイクアウト」など古典的なビデオゲームで遊ぶAIを開発した。

このゲームAIが人間のプレイヤーを凌ぐ腕前を見せるようになると、ラリー・ペイジの強い関心を惹いた。彼の肝入りでグーグルが2014年1月にディープマインドを買収すると、当然ながらマスクは機嫌を損ねた。

彼がディープマインドに投資していた金額は500万ドル(約4億円)だが、この会社がグーグルに買収されたことで、マスクは自分が投資した以上の金額をリターンとして受け取った。

つまり金銭的には得をしたわけだが、世界的な大富豪マスクの目から見れば大した額ではなかっただろう。

そんなことよりも自分の方が先に注目し、目をかけてきたディープマインドという有望企業をペイジ、つまりグーグルに奪われたような気になったとしても無理はない。後にマスクがグーグルやその傘下に入ったディープマインドを殊更意識するようになる背景にはこの一件があったのだ。

人類全体に奉仕する非営利の研究団体としてOpenAIを設立する

グーグルのような営利企業が人類の将来を左右するかもしれない重大なAI技術を、所詮は自らの利益のために開発・利用するのは危険ではないか。むしろ非営利の研究団体を立ち上げて、そこで単なる一企業ではなく人類全体に奉仕するAI、ひいてはAGIを開発していくべきではないか、とマスクやアルトマンらOpenAI創業時のメンバーは考えた。

たとえばAIの実力に関する現状認識、その進化のペース、さらに将来的な可能性や危険性について彼らは率直に議論した。そして、人間と同等かそれ以上の知能を持つAGIがそう遠くない将来に実現すること、それは人類に途方もない富や便益をもたらす一方で、誤った方向に進化すれば人類に深刻な災禍をもたらし、悪くすれば人類存亡の危機を引き起こす恐れもあること、これらの点で彼らの見解はほぼ一致した。

グーグルへの対抗勢力として、(マシンよりも人類を優先する)新たなAI研究機関がどうしても必要だとマスクは力説したが、「今から始めても果たしてグーグルに追いつくことができるだろうか」という疑問の声も上がった。

しかし最終的には「やってやれないことはないだろう」という結論に彼らは至った。

こうしてグーグルに対抗するという含みを持たせつつ「人類全体に寄与する安全なAGIを実現する」という基本構想で彼らは合意に達した。

マスクとアルトマンのプロジェクトは「非営利の研究団体」となる事が決まり、マスクがこれを「OpenAI」と命名した。この研究所で開発したAI技術やソースコード(コンピュータ・プログラム)を特許で囲い込むことをせず、むしろ論文発表などを通じて技術をオープン化して人類全体に貢献するという趣旨だった。

世界有数の大富豪マスクは、OpenAIプロジェクトに気前よく1億ドル(当時の為替レートで120億円)を出すと約束した。

開発の遅れに苛立つマスク

OpenAIは2015年末の設立からしばらくは研究活動が迷走し、実質的な成果が出せなかった。それは事実だが、客観的に見れば設立から僅か1、2年程度で目立った成果を出せというのは無理がある。しかしマスクはそうは思わなかった。

彼は技術開発陣に面と向かって「もっと早く、もっと成果を出せ」と迫った。

「もうそろそろ大きなブレークスルーを達成しないと、シリコンバレーの笑い草になるぞ」と急き立てた。そして2017年には、(必ずしもマスクが決めたとは限らないが)元々数十人程度と少ないOpenAIの研究者の一部が早くも解雇されている。

OpenAIの開発陣に辛く当たるマスクの脳裏には、ペイジつまりグーグルに奪われた英国のスタートアップ企業「ディープマインド」の存在があった。「片や(グーグルの)ディープマインドはあれほど華々しい成果を出して世界的な脚光を浴びているのに、お前たちは一体何をやっているんだ?」とばかりにOpenAIの開発陣を責め立てたのだ。

OpenAIの大きな問題は資金不足だった。マスクはOpenAIの設立に先立って1億ドル(120億円)の資金提供を確約したが、実際にはまとめてその額を拠出したわけではない。むしろ年に2000万ドル(20億円以上)程度のペースで段階的に提供していったと見られる。

もちろんピーター・ティールをはじめ他の投資家からも、同程度の資金が提供されたようだ。

それらを全部足すと恐らく年間数千万ドル(数十億円)と見られるが、この程度の予算ではOpenAIが掲げる「AGI」という壮大な目標を達成するには全然足りなかった。

OpenAIの公式ブログによれば、2017年初旬の段階で彼らは「AGIを実現するには莫大な計算機資源が必要とされ、それを確保するためには年間数十億ドル(数千億円)の資金が必要だ」と認識した。これほど巨額の資金を、OpenAIのような非営利団体として調達するのは極めて難しい、という結論に達したという。

マスクがOpenAIとテスラの合併を提案

2017年の末頃、マスクやアルトマンら首脳陣はOpenAIを事実上、営利企業化することで合意に近づいた。この際、マスクは自身が(営利企業化した)OpenAI株式の過半数と取締役会の指揮権を握って、そのCEO(最高経営責任者)になることを要求した。有り体に言えば、「OpenAIを自分の会社にしたい」ということだ。

しかしアルトマンやブロックマンがこれに難色を示すと、マスクはOpenAIへの資金供給をストップしてしまった。

最大のスポンサーであるマスクに資金供給を止められて、OpenAIはその研究者をはじめ従業員に毎月の給料を払うこともできなくなった。困ったアルトマンがリード・ホフマンに相談すると、彼は当面のつなぎ資金を提供してくれた(ホフマンはLinkedInを創業したことなどで有名な起業家・投資家で、OpenAIの初期の取締役の一人でもある)。

ただしマスクと(残された)OpenAI首脳陣との交渉はその後も続いた。

「OpenAIを自分の会社にする」という最初の提案を却下されたマスクは、次に元々自分の会社であるテスラとOpenAIを合併させることを提案してきた。

OpenAI首脳陣がこの合併案を拒絶すると、マスクはOpenAIを離脱することを決意した。

「のろま!」と言い捨てて退場

2018年2月のある日、マスクはアルトマンに付き添われてサンフランシスコにあるOpenAI本社の最上階を訪れ、その従業員らにお別れの挨拶をした。


それは儀礼的で穏やかな式典になるはずだった――マスクは自分がOpenAIを去ることを告げた上で、従業員達のこれまでの努力を讃える。一方、アルトマンもマスクがこれまでしてくれたことに謝意を示し「イーロンがOpenAIを離れるのは、テスラの仕事に集中するためだ」と述べる――そういう手はず、あるいは暗黙の了解だった。

しかし、実際にはそうスムーズに事は運ばなかった。その場にいた人達の証言によれば、マスクは別れの挨拶の途中で「自分はここ(OpenAI)を去るが、ここでやっていたようなAIの開発はテスラで続けて行う。君たちはもっと速く動く(もっと早く成果を出す)必要がある」と述べたとされる。

これにOpenAIの従業員らはムカッときた。そのうちの一人であるインターン研究員がマスクに向かって「急げ、急げと言うけど、あなたの計画は無謀ですよ」と反論した。この研究員に対し、マスクは「のろま(jackass)!」と言い捨てて、その場を立ち去った。

後日、OpenAI経営陣の一人が「のろまトロフィー」なるものをわざわざ業者に発注して作らせ、このインターン研究員に贈ったという。「あまり気にするな」という慰めと同時に「よくぞ言ってくれた」という感謝も込められているのかもしれない。

マスクと袂を分かったアルトマンは、マイクロソフトのサティア・ナデラCEOに近づき、マイクロソフトの巨額融資を引き出して、ChatGPTの開発に邁進していくことになる。

(小林 雅一 : KDDI総合研究所リサーチフェロー、情報セキュリティ大学院大学客員准教授)