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大阪地裁は8月5日、90歳父の同意を得て殺害したとして承諾殺人の罪で起訴された60代の男性被告人に対して懲役3年、保護観察付執行猶予4年(求刑:懲役3年)の判決を下した。被告人は精神的、身体的な不調から自殺を考えるようになり、同居していた父を殺害したという。傍聴をもとに事件を振り返る。(裁判ライター・普通)

●被告人が用意していた弟への遺書

起訴状によると、2024年5月、被告人は90歳の父親と心中しようと考え、自身が経営する理容室内で、父親に承諾を得た上でロープで絞殺した。被告人は起訴内容を認めた。

検察官の冒頭陳述などによると、12年ほど前に父親が手術を受けた後、被告人は父親と2人で暮らしていた。母親はすでに他界していた。

父親は日常的な介助は不要だったものの、昨年、パーキンソン病と診断され、徐々に介助の回数が増えてきた。今年に入ると、被告人自身が不調に悩まされることとなった。頚椎の病気により手足に痺れが出るようになり、日常生活への気力なども失い、理容室も休業していた。

被告人は自身の精神的、身体的な苦しみから自殺を考えるようになる。しかし、自分が亡くなった後、父のことが気がかりだったという。家庭を持つ弟に迷惑をかけたくはないが、病状が進む父を施設に入れるための資金もなかった。そのため、父との心中を決意する。弟への遺書も用意していた。

●「一緒に逝ってくれるか?」と尋ねる被告人

事件の日、事前に登山用ロープ、日本酒などを店に持ち込んだ。父親には「マイナンバーカードの写真を撮影する」と伝え、自宅から連れ出した。

理容室に着くと、被告人は「実は首の病気で苦しんでいる。一緒に逝ってくれるか?」と尋ねる。父親は黙って首を縦に振ったという。「眠くなってから、逝かせてあげるからな」と父親に日本酒と薬を飲ませた。正常な状態では行えないと、被告人も同じものを飲んだ上で犯行に及んだ。

犯行後、アルコールと薬の影響で意識が朦朧として、自殺には至らず、自ら119番通報した。自ら通報したことも、父親を殺害した状況もはっきり覚えていなかった。

●被告人を思う63名の嘆願書

弁護側の証拠として、罪の減軽を求める63名からの嘆願書が提出された。

その後、情状証人として被告人の弟が出廷した。被告人の理容室を月に一度利用するなど、連絡や会話は随時していた。被告人と父親で釣りに行っていることも知っていたため、両者の良好な関係性からも事件を聞いた際は、何かの間違いではないかと困惑したという。

弟は父親の介護の状況を把握していなかった。被告人の体調の変化についても、通院の予定などは聞いていたものの、それにより仕事を休んでいることは把握していなかった。相談を受けていなかったことから問題ないのだろうと判断し、被告人に負担をかけていたのではないかと後悔の言葉を残した。

●「保釈されても生きる気もなかった」

被告人質問で、まず事件についての思いを聞かれると「まさか、今ここで生きているとは思いませんでした。自分が死ぬのが前提だったので。保釈されても生きる気もなかったですが、今は多くの人に支えられ、仕事の再開を目指して生きている」と思いの内を供述した。

自身の首の病気については病院で「ただごとでないかも」と重大な病気の可能性を告げられた。しかし検査をしても原因はわからず、店の営業だけでなく、体が動かなくなるのではと不安な日々を過ごした。

弁護人「最初は一人で自殺を考えていたのに、どうして父親と心中することに」 被告人「警察からも『なんで、一人で逝かなかったんや』と言われました。しかし、少し前に私がコロナで救急搬送された際、家に戻ったら半分ボケてるような感じになって。それで、一人で残せないと思い」

弁護人「どうして生きることになったんですか」 被告人「飲んだ薬(首の痛み止め)は医師からアルコールと飲まないよう言われていました。ただ素面では行えないので、飲んでしまいました」

父親への思いを聞かれ、苦しまないようにと思っていたものの、警察からは決して楽に最期を迎えられていないと聞かされ、申し訳ない気持ちになったことを供述した。ただ、父親を巻き込んだことへの思いは供述されることはなかった。

保釈された当初は、常に自殺を考えているような状態であったが、弟をはじめ多くの人のサポートなどもあり、理容室の再建を目標にして日々生きている、と前を向いた。

●なぜ周囲に相談できなかったのか

検察官からは、現在の病状について質問がされた。医師からは、原因は首ではなく脳であるとし、薬の量をコントロールするように指示されるようになった。最近では左手の痺れは残るものの、その他の痺れや倦怠感は収まってきているという。

周囲に相談できなかったことを問われると、父親がデイサービスの最中に「死んだ友だちが迎えにきた」などと言っていることを聞き、それが被告人自身が自殺を思ったことと重なり、突発的に判断したという。

最後に裁判官が質問した。

裁判官「今思えば、当時どうすべきだったと思っていますか」 被告人「一人で逝ったら良かったです」

裁判官「今もそう思っているんですか?」 被告人「報道では、『介護疲れの殺人』などと書かれましたが、本当は自分で死んで父を連れて行くかという話でした。それでも、周りの人にも『死んだらアカンで』と支えられて、今では本気で店を再建しようと思っています」

と一つ一つ言葉を絞り出すように答え、最後に「店を必死に再建して長生きすることが供養になればと」と父への思いを供述した。

●判決時に裁判長がかけた言葉

判決は懲役3年、保護観察付執行猶予4年だった。生命を失うことになった重大な結果と、承諾はあったものの、自殺の道連れにしようした意思決定に刑事責任は重いと厳しく述べた。

その一方で、逮捕当初から罪を認め、事件を反省している点。そして、身体が回復しつつあり更生の意欲を見せていることから、「社会内において冥福を祈りながら日々を送らせるのが相当」と、執行猶予の理由を説明した。

最後に裁判長は被告人に対し「今回取り返しのつかない結果となった当時の判断を、人生を通して振り返ってください。ただ、嘆願書にあるように、店を再建することで、あなた自身の人生をまっとうに過ごすようにしてください」と説諭した。