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日本IBMが導入したAI(人工知能)による賃金査定や人事評価について、同社が団体交渉に応じないのは不当な団交拒否だとして、労組側が東京都労働委員会(都労委)に救済を申し立てていた労使紛争が8月1日、和解した。労組側が8月2日に記者会見して明らかにした。

日本IBMは労働組合に対して、AIによる評価項目の全てを開示すること、人事評価や賃金査定について、低評価などの疑義があった場合は、AIが出した内容を開示して説明することを約束した。

約4年3カ月にも及んだ、AIによる賃金査定や人事評価を巡る「日本で初めての労使紛争」(組合側)が決着した。組合側の代理人は「AIの評価結果を、どう人事評価に活用するのかを労組に開示しなければならないと合意できたのが大きな一歩」と評価した。今回の和解は、HRテックが広がる中、日本企業の労使交渉に影響を与えそうだ。(ライター・国分瑠衣子)

●発端は給与調整についての2019年の社員向け文書

救済申し立てをしていたのは、日本IBMの従業員らでつくるJMITU日本アイビーエム支部。

申立書などによると、日本IBMは2019年8月に、IBMが開発したAI「ワトソン」を給与調整をサポートするツールとして導入したことを、グループ社員に通達した。

組合はAIの学習データや、評価する側の上司にAIが表示する内容の開示を求めたが、IBMは「AIが上司に示す情報は、社員に開示することを前提にしていない」と、内容開示に関する団体交渉を拒否した。

組合側は、団体交渉を正当な理由がなく拒むなどの不当労働行為(労働組合法第7条)にあたるとして、2020年4月に都労委に救済を申し立てた。AI「ワトソン」の学習データや、AIが上司に示すアウトプットの内容、アウトプットと人事評価制度との関連について、資料を開示して説明することを求めてきた。

●ワトソンとは?40種類のデータを考慮、4つの要因ごとに評価し給与提案

都労委の調査を通じて、IBM側が出してきた資料によると、IBM報酬アドバイザーワトソンは「給与調整を実行をするための情報を提供するAIに基づくシステム」であり、昇給に関する提案をするために、「40種類のデータ」を考慮するという。

調査の中で、一部開示された40種類のデータは、「市場におけるスキルの多寡」「主たる担当業務の専門性」「IBMにおけるスキルの必要性」など。これらを「スキル」「基本給の競争力」「パフォーマンスとキャリアの可能性」の4つの要因ごとに評価した上で、具体的な給与提案を、パーセントで示す。

これに対して、労組側が挙げたAIによる不利益の可能性は次のようなものだ。

(1)プライバシーの侵害 個人の業績や職務遂行能力以外の情報の収集や利用は、労働者のプライバシーを侵害する懸念がある。

(2)公平性・差別の問題 会社の中で、優位性が高い立場にいる人に親和的な言動をとる人が、高く評価され、逆の人は低く評価される懸念がある。AIは正義や倫理を持たないので、差別を認識して是正することができない。

(3)ブラックボックス化 何が正しいかAIは判断できないし、判断に至った過程を説明することができない。低評価を受けた従業員はどのような理由で低評価になったのか分からないままでは、労働者が成長しようとする機会が失われる。

(4)自動化バイアス(コンピューターによる自動化された判断を過信してしまう傾向) ある組合員は、上司から「ワトソンが昇給させろと言うから、今回(賃金を)上げといたよ」と説明を受けたことがあった。日本IBMはワトソンは人事評価を「サポート」するツールと位置付けるが、自動化バイアスが働き、マネージャーはAIに逆らえない可能性が高い。

●疑義が生じた場合は評価結果の中身を出す

IBMとの和解のポイントは(1)給与調整にあたりAIが考慮した40項目全てを組合に説明する。(2)給与調整で、減額や昇給ゼロ、低評価など疑義が生じたときは、AIの提案内容を出し、内容を誠実かつ具体的に説明する。

和解の意義について、労組側代理人の穂積匡史弁護士はこう評価する。

「これまではどういった項目を評価材料にしているかすらわかりませんでした。AIを賃金査定に使う是非を考えるスタートに立ったと思います。是なのか、非なのか、ここから話し合うときにきています」

「社会のさまざまな領域でAIの利用が進む中で、賃金査定にあたってAIの評価項目や提案内容を明らかにするという透明性を確保できました。労使の合意ができたことは、非常に意義が大きいです」

同じく労組側代理人の水口洋介弁護士は「IBMという世界的なAIを開発する企業と、AIによる評価をどう人事評価に活用するかを、労組に開示しなければならないと合意したのが意義のあること」と評価する。

●政府はAIの法規制のあり方の議論スタート

IBMは今回の和解内容を社内のイントラネットに掲載することを約束した。

JMITU日本アイビーエム支部の大岡義久中央執行委員長は「現場で給与調整への疑義が生じたときに、会社は説明しなければならないと和解できたのは、大きなこと。他の企業でAIを導入する場合も、労組にしっかりと説明することが求められるようになれば」と語った。

会見があった同じ日の8月2日、政府はAIに対する法規制のあり方を議論する有識者会議の初会合を開いた。

穂積弁護士は「IBMはベンダーでありディプロイヤーでAIの中枢を知っている企業。日本政府がAIの使い方について法規制を含めた議論を始めた中で、そのような企業と労使間でこうした合意がなされたことを政府に知ってもらいたいと思っています」