すき家

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働き方改革による「ホワイト化」が話題のすき家。しかし、効率化で「温かみがなくなった」と感じている消費者もいるようです(筆者撮影)

牛丼チェーン「すき家」。そんなすき家での「働き方改革」が話題だ。

マネーポストWEBの記事「『時給も高くこんなにいい職場はない』 かつてのワンオペ問題を乗り越えて労働環境改善を実現させた『すき家の大改革』」では、すき家がデジタル化を進め、タッチパネル注文やセルフレジを導入してきたことや、深夜帯の時給が1600円〜1900円と他店に比べて高待遇であることを説明。「時給も高いので、こんなにいい職場はありませんよ」といった現役バイトの声も紹介し、X上で大いに拡散されることとなった。

もともと、すき家では深夜のワンオペがノーマルな状態が続いており、2010年代には、ワンオペの時間帯を狙った「ワンオペ強盗」も多発。すき家=「ブラック」というイメージが強かった。2014年には、第三者委員会による報告書によって、労働環境に対する数々の法令違反も指摘され、2019年頃から本格的な働き方改革に乗り出したというわけだ。

店内で「テイクアウト容器」は味気ない?

徐々にではあっても、労働環境が改善されていくのはいいことだ……と思いながら見ていると、思わぬ反応があることに気づいた。「労働環境の改善は喜ばしいけど、店内で食べるのにテイクアウト容器になったのは味気ない」といった声が一定数確認できたのだ。

現在、すき家では、従業員の作業量を減らすために、店内飲食であってもプラ容器や発泡スチロール容器、紙皿で料理を提供する店舗がある。テイクアウトで持ち帰る時の容器で、店内で食べるのだ。

【画像】「エコじゃない」「温かみがない」との声も…。「すき家」の店内「プラ容器&紙コップ提供」の様子を見る(12枚)

「丼やお椀の提供ではないことは、そんなに大きなことなのか?」

そう思う人もいるだろう。実際に訪れてみたので、レポートしていきたい。

近未来的なゴミ箱が返却口

やってきたのは神保町店。すき家の中でも、かなりDX化や効率化が進められている店舗で、今回の調査をするのにうってつけだ。


(筆者撮影)

まず、注文はカウンター横の自動券売機で行う。他の店でも券売機システムは一般的になってきた。

興味深いのが、すでに、券売機上の牛丼の写真が発泡スチロールの容器に入っていたこと。「テイクアウト用容器で提供しますよ」と、予告しているかのようである。


券売機の様子。「座ってから各席に設けられたタッチパネルを押す形式」ではなく、後ろに列ができて、やや焦りながら注文した(筆者撮影)


券売機の時点でプラや紙の容器だ(筆者撮影)

数分経たないうちに番号で呼び出され、レジまで料理を取りに行く。完全なセルフシステムである。店員さんはカウンターの外に出ることはない。

そして、問題のプラ容器がこちら。


この店舗では、プラ容器、紙コップなどでの提供となっていた(筆者撮影)

ネット上では「最近のすき家って店内でも持ち帰りの皿で食わせるのね……ここがディストピアか」といった声も見られたが、たしかに言われてみれば、近未来の食事、という感じを受けなくもない。トレイ以外はすべて使い捨てであり、極めて合理化された食事なのだ。

さらに面白いのが、返却口。なんと、ゴミ箱なのだ。一体、誰に何を返却しているのかわからない。


返却口の様子(筆者撮影)


手が汚れないのはありがたいが、「エコ…ではないよな」という気持ちになる。いや、ハンバーガー系チェーンならこれが普通のはずなのだが…(筆者撮影)

この返却口がさらに近未来的なのは、トレイを近づけると、勝手にゴミ箱が開くこと。片手でゴミが捨てられる(いや、返却か)という、スーパーDX仕様なのである。

こうしたテイクアウト用食器での提供は、全店で行われているわけではない。SNSなどで調べてみると仙台店や、下北沢店、横浜山下店など、いくつかの店で目撃情報がつぶやかれている。

この取り組みに一定の効果があるならば、やがて全店に広がっていくのかもしれない。

非難囂囂の「プラ容器」

実際に店舗に訪れて感じるのは、やはり、どことない味気なさだ。こう、せっかく店内で食べているんだから食器で食べたいじゃない、とちょっと思ってしまう。

実際、私が訪れたすき家神保町店のGoogleレビューやSNSを見ていると、次のような声があった。

「店内で持ち帰り容器? 二度と来ません」

「店内でもすべてプラ容器の提供になっている店舗ははじめてでした。洗い物がなくなり合理的なのかもしれませんが、ひどい扱いだなと思いました。食事における器の重要さを否応なく意識させられます」

「餌を出された気分です。紙の食器で食べるご飯がちっとも美味しく感じられません。すき家、テーブルがある牛丼屋で素敵だと思っていたのに。もう使いません」

「え、、、
すき家、マ、、、?
店内もプラ容器、、、?
もう完全に『食事』ではなく『餌』になったなあ、、、
もう来ないかなあ、すき家、、、」

「久しぶりにすき家に来たけど、器がすべてプラ容器で提供されて、水も紙コップのセルフになってた。器が変わっただけなのに、店で食う温かみみたいなのが全く無くて、すごく侘しい気持ちになるなコレは」

……散々である。


返却口と書いてあったが、「食べ残しは直接ゴミ箱に」との貼り紙も(同行した編集者の撮影)

とにかく、容器が変わったことによって「店内で食べる温かみがなくなった」とか「おいしさが半減」という投稿が目立つのだ。また、深く読み解くと「もてなされている感覚がなくなった」と訴えているように見える。

ここで私が難しいと思うのは、顧客側にとって望ましくないと感じられる施策でも、店側にとっては、作業量が大幅に減り、間違いなく現場の負担軽減に役立っていることである。

賃金アップをするにも限界がある現在、食事の「温かみ」や、外食しているという「特別感」を演出することと、従業員の働き方のバランスを取ることはとても難しい。

そもそも、アルバイトであることも多い店員に「温かみ」を求める私たちのほうが横暴なのかも…?とも思えてくる。

「温かみがない」と批判され続けてきたファストフード

さて、この点を考えるとき、ファストフードの歴史にさかのぼってみると、新しい視点を持つことができる。というのも、そもそもファストフードは、「温かみがない」と批判され続けてきた歴史があるからだ。

牛丼チェーンをはじめとするファストフードがここまで私たちの生活に広く浸透するようになったのは、1970年代ぐらいから。ファミリーレストランの草分け的存在である「すかいらーく」が1970年に誕生し、マクドナルドの1号店は1971年に誕生している。

牛丼チェーンも似たような時期に生まれていて、吉野家がチェーン展開を始めたのは1968年、松屋の1号店が始まったのも1968年だ。すき家は少し遅れて1982年に創業しているが、とにかく1970年代を境に、どんどんとファストフードが増えていった。

ファストフードの大きな特徴は、各店舗に食べ物を配送する「セントラルキッチン方式」を導入したことにある。これは、中心となるキッチン(セントラルキッチン)で食べ物を作って各店舗に配送して店で提供する仕組み。店舗運営の合理化を目指すチェーンストア方式には持ってこいのやり方であった。牛丼家もこうした方式を取り入れている。

ただ、このようにセントラルキッチン方式が増え、郊外を中心にチェーンストアがあふれ始めると、こうした合理的なシステムに生活が覆われていくことに対して、批判的な論調も現れてくる。

そうした批判的な意見の中には、「人と人とのコミュニケーションをこうしたチェーンストアが失わせた」なんてものもあって、まさに、今回のプラ問題で顔を出した「食事の温かみ」問題に触れるようなものもある。

例えばこの点に関してもっとも手厳しい批判をしたのが、評論家・三浦展かもしれない。彼は『ファスト風土化する日本』の中で、食材の生産者と作り手の顔が見えない、ファストフードのシステムが日本人の生活スタイルを荒廃させていて、もう一度顔が見える関係の中での食事や生活スタイルを取り戻すべきだと述べている。

しかし、今回の問題で思ったのは、このように「温かみがない」と批判されてきたファストフードも、時間が経つにつれて、人々に何かしらの「温かさ」を提供するようになってきたんだな、ということ。あるいは、人々がファストフードに慣れてきて、そこに愛着を持つようになったともいえるかもしれない。

プラ容器に入れ物が変わって「温かさがなくなった」という人は、器で食べていた頃の牛丼にぬくもりを感じていたから、そう言うわけである。

たしかに、いくつかのコンテンツでも、こうしたファストフードの空間に宿る人間の温かさや交流が描かれる作品も増えている。以前、私は、ファミリーレストランを舞台に展開される創作物を「ファミレス文学」と名付けた。『花束みたいな恋をした』や『THE3名様』などが代表作にあたるだろうか。まさにそうした作品が描かれるぐらいには、ファストフードに対して「温かみ」を覚える人が増えたのだ。

こういう意味では、今回の「すき家ディストピア化問題」(大袈裟ですみません)は、むしろファストフードがいかに我々の生活に根付き、そしてそこに「温かさ」を感じていた人が多かったのかを逆に明らかにしたともいえるだろう。

結局は、慣れていくのか?


そして、こういう歴史を踏まえると、今回のような変化も、時間が経てば、案外人々はすんなり受け入れるのでは?と思わないこともない。

今見てきた通り、初期のファストフードにはかなりの批判もあったけれど、結局は現在、多くの人がそこに不思議な愛着を感じるようになっている。これは、人間が意外とその環境に慣れてしまう、ということを表しているだろう。

であるならば、プラ容器も広がりを見せるにつれて「こんなもんだよな」となっていくかもしれない。

すき家を始めとする外食チェーンは、働き方改革と温かさを両立させられるのか? 

長引く円安による物価高や、人件費や水道光熱費が高騰するなかで、今後の展開に注目したい。

その他の写真


店内で食べても、テイクアウト感が漂う(同行した編集者の撮影)


高さのある容器なこともあり、サラダはやや食べにくい印象だった(同行した編集者の撮影)


ただ利便性は高く、店舗も清潔だった。短時間で食べるには最適で、「消費者が求めるものによって印象は大きく変わるだろうな」と感じられた(同行した編集者の撮影)

(谷頭 和希 : チェーンストア研究家・ライター)