(写真:Benjamin Girette/Bloomberg)

人が自分の人生を終える手助けを受けるべき条件とはどのようなものか? フランス社会は20年以上にわたって、家庭で、病院で、大学で、教会で、友人間で、この問いについて議論してきた。

5月以降、フランス国民議会は「死の自発的幇助」を可能にする法律、すなわち人の人生の終わりを積極的に支援する枠組み作りについて議論してきた。フランスでは中絶死刑といった他の論争の的となるトピックは決着がついているが、今後数年は人生の終わりが論争を呼び続けることは確かだ。

人生の終わりについて学ぶほど、それについてわかっていることは減っていく」と、このトピックについてフランスで最も精通している政治家の1人であるジャン・レオネッティは最近語った。

「僕に死ぬ権利をください」

「大統領閣下、僕に死ぬ権利をください」。これは事故で失明し、唖者になり、四肢麻痺になって回復の望みもない21歳の男性、ヴァンサン・アンベールが、2002年に当時の大統領シラクに公開状で行った要求だ。

アンベールは母親と医師に手助けしてもらって人生を終えることを望んでいた。端的に言って、母親らに自分を殺すよう求めていたのだ。自身も障害を持つ娘の父親であったシラク大統領はこの男性の嘆願に感じ入ったが、電話や書簡で自分にはそのような権利を与えることはできないと答えた。

その後アンベールの母親は、医師の手助けを借りて、息子の命を終わらせた。2人は殺人罪で書類送検されたが、2006年に無罪となっている。「私たちの法律はこれは殺人と呼び、終身刑をもって罰すべきとしている。だが、いかなる陪審員がかかる被告人に刑を言い渡すことができるだろうか」と、ジャーナリストのフランソワ・ド・クロゼが当時書いている。

アンベールの事件は政治的な議論の引き金となった。2005年、国民議会は「医療が無益、不相応、あるいは人工的に人を生かし続けることだけを目的としているとき」患者を生かし続けるための「不合理な強情」を禁止する法律(レオネッティ法)を全会一致で可決した。また、この法律は緩和ケアを受ける権利も患者に与えた。

その11年後、新しい法律(クレス・レオネッティ法)が患者にさらなる権利を与えた。特定の条件下では、健康状態が大きく悪化する前に自らの希望を書面にして医師に行為を指示することができるようになった一方、患者は死に至るまで鎮静剤の投与を受けることを求めることができるようになった。

医師が「積極的に」患者の死を手助け

現在、国民議会で議論されている法案は、医師が患者の死を手助けすることを「積極的に」認めるものだ。「フランスの以前の法律はまもなく死ぬ人々のためのものだった。この法案は死を望む人々のためのものだ」と、法案に反対する国民議会議員のジャン・レオネッティ医師は『ル・フィガロ』で警告している。一部の緩和ケアに関する団体は、新たな法案は適切な医療ケアを受けることができない患者を社会が見放すための都合のいい手段だと見なしている。

一方、この法案は患者に自由を与えると称賛する人々もいる。そもそもなぜ苦しまなければならないのか?「あなたの人生の終わりについての決定権を医師があなたに返すことを拒否するのを受け入れるのはもうやめよう!」とフランスの有名作家であるアンヌ・ベールは書いている。ベールはシャルコー病を患っており、2017年に安楽死を受けるためにベルギーに行った。

「鎮静剤の投与を受ける患者の隣で一晩を過ごす人は誰しも次の3つの質問を次々に自問することになる。『この人は苦しんでいるのか?』『苦しみはどれだけ続くのか?』そして最後に、『この苦しみに何の意味があるのか?』」と、フランスのベテラン医師であるドニ・ラベイルは書いている。彼は患者の死を手助けしたことを公然と認めている。

「自殺を試みた人が病院に運ばれた場合、当人の明らかな死への意志があるにもかかわらず、病院はその人を救おうとするだろう? 私たちは患者の個人の自由と、社会が患者に対して有する共同体としての責任とのバランスをとらなければならない。それが非常に慎重を要するバランスだとしても」とレオネッティは警告する。

ヨーロッパではそれぞれの国が多様な法的枠組みを採用している。一方には、あらゆる形態の安楽死を禁止するアイルランドがあり、他方には安楽死を非常に幅広く認めるベルギーがある。

例えば、ベルギーでは鬱病に悩む青少年も安楽死の対象となっている。全般的に、ヨーロッパでは「死ぬための手助け」を受ける患者の権利への支持が拡大する傾向にある。スペインやポルトガルのようなカトリックの国々でさえ安楽死を認めている。

「死ぬ権利」の議論は日本ではタブー

日本はこの問いによって最も影響を受ける国の1つだ。日本は急速に高齢化(すでに人口の29%が65歳以上となっている)しつつあると同時に、終末期に対処するための医療インフラは不足している。

例えば、集中治療室(ICU)の病床数は比較的少ない(1000人あたりの病床数は14.4だが、OECDの平均値は16.9だ)。だが、日本ではこの問いに関する公の議論は始まっていない。この身勝手で卑怯な沈黙の中で、医師と患者は残酷にも放置され続けている。そして彼らの行動には法的な影響が及ぶ可能性がある。

人生の終わりに関するタブーはすでに日本で暮らす人々にとって重い負担となっている。日本人の中にはすでに安楽死を求めてスイスへ行く人もいる。

「日本の個人が死の自発的幇助を受けるために外国に行くという違法な事件がすでに起きている。これを見過ごすことはできない。今まさに苦しみながら生きている人々がいるということを忘れてはならない」と、2023年に医療の倫理的側面に関する主要メディア『BMC Medical Ethics』に5人の日本人医師が書いている。

この論文で著者たちは「自発的幇助による死の法律制定に関する議論を今」行うことを求めている。調査によると、18%の日本人が末期患者となった場合には積極的な死を希望するとしている。作家のアンヌ・ベールは次のように書いている。「死について考えたからといって死ぬわけではない。死は私たちの生の一部だ」。

(レジス・アルノー : 『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員)