今年は5年に1度行われる年金財政検証の年。次の大型年金改革はどんなものになるのだろうか(写真:mimi@TOKYO / PIXTA)

『週刊年金実務』という、年金界のできごとを毎週まとめて届けてくれる雑誌がある。福祉元年と呼ばれる1973年、公的年金に物価スライド制、賃金再評価という年金の成熟を加速する仕組みが導入された年に、創刊されている。このたび50周年記念として「年金制度のこれまでとこれから、10人にきく」という企画が立ち上げられた。そこに書いた文章に加筆し、東洋経済編集部の協力を得てQ&A方式で上編、中編、下編に分けて記事を構成した。

下編の今回は、来年の通常国会への提出が予定される大型年金改革法案の中身について占ってみた。

「経済学者が間違い続けた年金理解は矯正可能か」(上編)

「怖い”集団催眠”専業主婦年金3号はお得でズルイ」(中編)

Work Longerが上位の政策目標

──これからの年金制度の課題は?

勤労者皆保険の実現を最優先としつつ、Work Longerという社会の上位での政策目標に公的年金という制度は合わせていく必要がある。

具体的には、基礎年金の拠出期間延長、高年齢者在職老齢年金(高在老)の縮小・撤廃、加給年金の廃止、遺族年金の有期化・ジェンダー平等化、そしてマクロ経済スライドのフル適用、年金課税の強化などの課題がある。このうち加給年金、遺族年金は、改革の推進主体がいないのが政治的な弱点となり、政策の俎上にさえ載らないおそれがある。

しかし加給年金廃止は、第6回年金部会(2023年7月)で論じたように、女性の特老厚(特別支給の老齢厚生年金)の支給開始年齢引き上げとともに、この制度の矛盾が加速していく。加給年金の改革は「時間との戦い」である。

2018年度〜2030年度にかけて、女性の特老厚の廃止(支給開始年齢の引き上げ)が進められている。いまの制度のままだと、65歳からは自分自身の立派な老齢年金を受給できる共働き世帯(または「フルタイム勤務」)の妻でも加給年金の対象となってしまい、いまでさえ存在意義が見いだせない加給年金の給付対象者数と支給総額が増えていく。加えて、加給年金は、今でも夫の繰り下げ受給の選択に悪い影響を与えている。廃止の優先順位は極めて高い。

よく話題になる、基礎年金の水準向上については、基礎年金の拠出期間延長、勤労者皆保険に含まれる適用拡大という改革案などで、すでに長く議論されてきた。

基礎年金の水準は、この年金に投入されている国庫負担を得ることができるかどうか次第であるため、他の財政支出よりも国庫の優先度をどう理由づけするかがカギとなる。

この問題を考える際には、なぜ、先に挙げた王道の年金改革が長い間実現できないままでいたのかを考えておくことが、年金周りの政治経済現象を理解するうえで役に立つ。

「政策は、所詮、力が作るのであって正しさが作るのではない」(『再分配政策の政治経済学』3ページ)は、四半世紀前から言い続けてきた言葉である。「制度、政策は権力ベクトルの均衡として成立している」とも論じてきた(『もっと気になる社会保障』261ページ)。そうした力関係で決められた制度が、非正規の利用を事業主に推奨し続けた社会保険制度であり、当面の基礎年金が高めに推移して、これらのせいで将来の基礎年金がかつての想定よりも低くなってしまう日本の公的年金制度だったのである。

岸田文雄首相も出席していた第12回全世代型社会保障構築会議(2022年12月16日)で次の発言をしている。

2月に自民党のある会議で、勤労者皆保険、かかりつけ医の話をしますと、終わった後に1人の先生が、おっしゃることはそのとおりなのですが、それってわれわれに支援者と戦えという話ですよねということになって、今のようにみんな大笑いになったわけですけれども、そこにいた長老の先生が、われわれも変わらなくてはいけないということだよとおっしゃられて、非常に面白い会議でした。

第11回全世代型社会保障構築会議では「政治経済学者から見る社会保障論のキーワードはレントシーキング」との発言もしている。そうした政策形成過程での力学を押さえたうえで、年金周りの政治経済を考えることが必須となる。

基礎年金への国庫負担増を、マクロ経済スライドの調整期間一致という聞こえのよい、心理学上のフレーミング効果をねらった角度から進めていこうとすると、基礎年金に依存する人の生活苦、貧困を救う必要、再分配の強化を始点に置かざるをえなくなる。

そこからスタートした論の帰結が、先ほどまで貧困の話をしていたはずなのに、この案に賛同して報道する(高所得の)記者たち自身をはじめ、多くの高年金受給者への税の投入が増えて彼らの基礎年金をも高めてしまうという矛盾が生まれる。

無理のある論から生まれるこのトリッキーさをつかれて、国庫の問題を絶えず考えている人たちから高年金受給者へのクローバック(一定所得層以上の基礎年金を減額する制度)が求められた時、どのように反論するのだろうか。

2013年の社会保障制度改革国民会議以来、長く論じられてきた適用拡大や被保険者期間の延長ではなく、厚生年金と国民年金の積立金を混ぜるという比較的新しく言われるようになった方法で、基礎年金を上げたい本当の理由を言うことを避けようとして、スキがある論になっているようにも見えるし、高在労廃止という、高所得者優遇と批判されることもある目標を掲げる同じ時代に再分配の強化を声高に言うのもおかしな話である。

かつての社会保障・税の一体改革時代に協力し合っていた厚労・財務の戦略的互恵関係を崩している一因になっているようにも思える。

経済界や労働界が財務省の財宝を山分け?

年金部会で、私が「政策形成過程に焦点を当てる政治経済学という俯瞰的な観点から見れば、(財務省から)財宝を奪ってきて、(経済界や労働界)みんなで山分けしましょうというのと似た話に」と話しているように、マクロ経済スライド調整期間の一致という改革案は、基礎年金の給付水準が上がる他の方策と比較して、これが一番政治家の支援者を守ることができる話ではある。

しかし、一体改革に沿う2013年の社会保障制度改革国民会議から続く論は、「被保険者期間の延長」「1号から2号へ」などに優先順位をおいて年金改革を進めるなかで、将来の基礎年金の水準が自ずと上がるというものであり、その際、国庫負担増加分の財源確保策について速やかに検討を進めるというものであった。この角度からのほうが論のベクトルの方向性が揃っていよう。

年金部会などでは、年金局がセットする議題に沿って、マクロ経済スライド調整期間が一致しないのはおかしい、ゆえに調整期間の一致を支持するという論もでてくる。しかしながら、なぜ、国民年金と厚生年金の調整期間が不一致であれば問題があるのか。年金部会では、そうした議論もしてもらえればと思う。

ただし、調整期間の一致の必要をいう際に基礎年金の水準を上げて貧困を解決する話に触れると、先に論じたような、貧困とは無縁の論者自身の国庫負担が増えるという矛盾に衝突する。

なお、基礎年金の水準論を昔から好む「基礎年金グループ」とは異なり、私は、これまで一度も基礎年金の水準論を行ったことがない。しかし、被保険者期間の延長、適用拡大、マクロ経済スライドのフル適用という、将来の基礎年金の給付水準が上がる政策は誰よりも強く言い続けてきた。

──今後の年金制度改革のヤマ場は?

Work Longerという社会全体の上位の政策目標に照らし合わせ、社会制度全体のインセンティブ・コンパティビリティー(誘因両立性)を考えることが今は最も大切であり、その観点に立てば、高在老の廃止はかなり高い優先順位を持つことになる。

なぜ高在老の廃止が重要なのか

しかし、この改革はなかなか難しい。2018年11月の年金部会で、「これまでの在老は見直し、廃止を視野に入れた検討項目として、長い間、いろいろと会議とか報告書で触れられてきたわけで、恐らく私の読みでは5年後の年金部会でも在老をどうするかの議論をしていると思います」と発言している。

出口治明委員から、「権丈先生のお話でショックだったのは、5年後にもまだ在老を議論しているかもしれないという見通しだったのですけれども、(中略)決して金持ち優遇でも何でもないので、いろいろな問題点があるとしても、基本的には廃止すべき方向で、ここで議論していったらいいのではないか」との発言があった。

そして、あれから5年以上経った今も、年金部会では高在老の話をしている。政策形成過程では、高在老改革は高所得者優遇の一言に負ける、そういう話である。

正直者がバカを見るこの制度のおかしさ、社会がWork Longerを唱えておきながら、それを実践する人がペナルティを課される矛盾を理解するにはかなりの知識が必要となる。ゆえに多数派は、高年金者の給付カット財源4500億円(2021年度末)を用いて所得代替率をわずかにでも上げている現状を良しと考えたままになる。年金部会の中でさえもそうだ。

高在老は、保険料率を下げるための財源措置として、公的年金制度の理屈を無視して設けられたものであり、ここからいくつもの矛盾が生まれている。しかも、高在老による支給停止対象額は、年々増えており、2018年度末4100億円であったものが2021年度末には4500億円となっている。これは、対象となる多くの人が高在老ゆえの就業調整をしていないことを示唆している。

これからは多くの人たちが、高在老に起因する制度の矛盾に直面し、そろって、いわば泣き寝入りのままこの制度に従っていくことになる。それは、公的年金、さらには政治というものへの不信感、再分配制度への嫌悪感を高めていくのだろうと思う。

その状況を避けるためには、公的年金の税の優遇措置を見直して、そこで得られる財源をもって高在老を廃止することが理想ではある。しかしそのためには、5年に一度の年金改革と税制の抜本改革がタイミング的に一致する僥倖が必要となる。

そこで次善の策として、厚生年金保険料の上限を若干引き上げて、その財源で高在老の縮小・撤廃の道を考えている。高在老に起因する高所得周りの問題は高所得者同士で解決する。これにより、高在老改革で必ず出てくる高所得優遇の批判を封じる。

年金課税と他の施策についても触れておこう。

老齢年金には手厚い公的年金等控除があり、遺族年金は全額非課税である。これらが、医療保険、介護保険の保険料や患者・利用者負担の両面において、支払い能力に応じた負担面で不公平をもたらしている。さらにこの影響は、財源調達のルールとして医療保険制度を活用する子ども・子育て支援金制度にまで及ぶ。さまざまな面に公平さを欠く影響を与える大きな源に年金課税がある。

これからのヤマ場は、適用除外規定を持つ年金をはじめとした社会保険制度そのものが、市場において使用者との「交渉上の地歩(bargaining position)」が弱い労働者を低賃金・非正規雇用にすることを促し、格差、貧困を生む原因となってきた問題を克服するための勤労者皆保険の実現になる。

「厚生年金ハーフ」で勤労者皆保険を実現せよ

これは上編で論じた勤労者皆保険を提示した自民政調報告書にあるように、「所得の低い勤労者の保険料は免除・軽減しつつも、事業主負担は維持する」という厚生年金ハーフの形をとる。これは、社会保険の本家であるドイツが導入しているミニジョブと類似の形であり、保険料の負担に労使折半の形をとってはいない。


この点、過去を検討して、「本来」「そもそも」の根拠を求める手法に馴染んだ法律家には理解が難しいことは想像できる。彼らの中には、2004年年金改革時のマクロ経済スライドにも、最初は無理解を示す人が多くいた。彼らが手にしている学問の手法では、必然、後追いの理解になるのであろう。ちなみに、勤労者皆保険の形は、健康保険との整合性も容易にとれる。

具体的に言えば、3号は配偶者の被用者保険に、1号は国民健康保険にカバーされている。勤労者皆保険で徴収した使用者負担の健康保険料は、彼らが利用する健康保険に拠出する。となれば、短時間労働者を雇っている企業からすでに被用者保険を適用している企業に保険料がシフトすることになり、勤労者皆保険の支持層は広がることになる。

今年は公的年金の財政検証の年である。これから、年金改革論議は賑やかになっていくのだろうし、不安産業、特にメディアは、過去にトンデモ年金論を唱え、間違いを正され、ゆえに(?)今はとにかく「年金の王道の話は歪んでしか見えない」(『ちょっと気になる社会保障 V3』9ページ)日本の年金を悪く言う人たちを重用していくのだろう。メディアの多くも不安産業の一部をなしている現代では、それは仕方がない。前回2019年の財政検証後の連日の報道もそうであった。

日本の公的年金は、事業主負担を避けようとするレントシーカーとの戦いであった。強いレントシーカーを前に、日本の公的年金改革は、他国では例をみることがない、非正規を生む原因として存在し続けてきたのである。そのことを多くの人たちが十分に理解しておかなければ、これまでの歴史を繰り返すだけである。

年金部会は、財政検証と年金改革のために5年サイクルで開かれるのであるが、5年前の最後の年金部会(2019年11月)で次のように話していた。

これ(適用拡大)は何が難しいかと言いますと、・・・審議会というのは、こういう人たち(利害関係者)が全員参加してきてほぼ拒否権を与えられるという制度なのですね。・・・いろいろな意見があるというのはいつも当たり前のことです。当時者から見れば冗談じゃないという抵抗は絶対に示していく。そして、それを全員一致でまとめていかなければならない審議会の報告書は読み方というのがあって、さまざまな意見というものは国民全体の幸福の観点から出ているのか、わが国全体の発展に資するような意見として出されているのかというようなことをしっかりとマクロ、長期的な観点から読者は判断していただければと思っております。

それが、「社会保障審議会年金部会における議論の整理」(2019年12月27日)の最後に書かれた次の文の意味である。

最後に、公的年金制度の在り方については、さまざまな意見があるが、国民全体の幸福、わが国全体の発展に資するような改革が何かを十分に検討し、今後も、将来世代のための改革の議論を続けていくことが重要である

年金が政治の季節に入る前に、「子供の頃教わらなかった大人の世界の民主主義」にある、「あなたは第何象限から発言されていますか?」の意味を理解してもらえればと思う。

(権丈 善一 : 慶應義塾大学商学部教授)