「ただ生きて死ぬだけ。人生に意味はない」モヤモヤがスーッと晴れて心がラクになる仏教の教え
※本稿は、名取芳彦『達観するヒント もっと「気楽にかまえる」92のコツ』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■“マイ・ルール”が自分を苦しめる
「こだわる」は、「他人からみればどうでもいい(きっぱり忘れるべきだ)と考えられることにとらわれて気にしつづける(『新明解国語辞典』)」という意味です。
つまり、こだわるのは良くないこと、というのが一般的な考え方なのです。仏教も「こだわれば、心おだやかではいられない」と説いており、私もそう思います。
こだわりは、「こうあるべき」「こうすべき」という、いわばマイ・ルールです。ルールがあれば、人はそれを守らない人を許せません。許せなければ、心は乱れます。その意味で、仏教の分析は実に明解なのです。
こだわりから離れて心おだやかに暮らすには、物事がどうなっているのかを冷静に観察する必要があります。
自分がこだわっていることを何とも思っていない人は、何をどう考えているのか。その人たちの根拠は正当なのか。自分はなぜ、そのこだわりを持つようになったのか。
観察をもとに分析してみれば、自分のこだわりなんて大した問題ではないと思えることがたくさんあるものです。
■人生は「どっちでもいい」ことだらけ
人間関係は、都合のぶつかり合いのようなものです。
愛着のある服を、私は「まだ着られる」と言い、妻は「ヨレヨレでおかしい」と言います。
私は余計な争いを避けるために、妻の都合を優先して古い服を処分します。
都合のぶつかり合いは自分の中でも起きます。寝ないと明朝すっきり目が覚めない、しかし、まだやりたいことがある。お酒の席は楽しく過ごしたいが、どういうわけだかいつも礼に始まり乱で終わるなど、数え上げればきりがありません。
私たちは、自分の都合のうち何を選択するかによって、周囲に迷惑をかけることもあれば、周囲を幸せにすることもできます。
とはいえ、私たちの日常の多くは「どちらでもいい」ことだらけです。その選択がどんな結果につながるかは予知できないし、正解はあとにならないとわかりません。
食事は心身の健康を保つため、車は安全に走るためなど、木で言えば幹に当たる本質さえわかっていれば、枝葉末節は大した問題ではありません。
自分の都合というこだわりの枝葉から離れて、幹を大切にしましょう。
■こんな“打算“が、あなたを孤立させる
「損得」は経済で使われる用語です。
同じ商品なら安いお店で買うほうが得です。海外の観光地にある土産物店は、どこでも同じようなものを売っているので、なるべく安いところで買いますが、別のお店へ行くともっと安かった、という失敗をしたことがあるのは私だけではないでしょう。
あるときガイドさんに愚痴をこぼしてしまい、「自分は一番安く買ったと思えばいいんです。他のお店で同じ商品の値段なんか見てはだめです。観光地ってそういうものですよ」と諭され、妙に納得したのをおぼえています。
ところが、経済用語の損得を人生に当てはめてしまう人がいます。「PTAの役員なんか受けたら損だ」「人に親切にしても何の得にもならない」「あなたと結婚して損した」などは、巷でよく耳にする言葉です。
香りが徐々に物にしみ込むように、損得勘定を疑いもなく人生にしみ込ませていけば、待っているのは孤立です。損なら良いこともせず、得になるなら人を裏切ることも辞さない、そんな人は誰からも信用されず、相手にされなくなるのは自明の理です。
■“終わったこと”に心を注がない
私たちは、時間を“流れ”として考えることがあります。そう考えるなら、過去はどこかへ流れ去ってしまったので、過去に縛られずにすむはずです。
それなのに過去に縛られる人が多いのは、時間が積み重なっている感覚も持ち合わせているからでしょう(私は積み重なる感覚しかありません)。
自分の人生の頂点(現在)の下には、膨大な経験の積み重ねがあります。過去に縛られてしまう人は、下層に輝いていた時期や、逆に嫌なことがあるのでしょう。
昔は良かったと過去の栄光をふり返れば、現在の自分が惨めになります。惨めさに埋もれて、これから何をしたいか、何ができるかを考えられないので未来を失います。
嫌な思い出に縛られて、その出来事を現在の惨めさの原因にすれば、そこに安住することになるので、やはり未来を志向する気が起きません。
「あの栄光は、あれで素晴らしかった。しかし、今の私にはやることがある」「あんな嫌な思いは二度としないぞ」と割り切り、過去を踏み台にして、未来につづいている階段を上っていきたいものです。
■良くも悪くも「明日は明日の風が吹く」
「下手の考え休むに似たり」は、囲碁や将棋の世界で、下手な人がいくら長く考えても休んでいるのと変わりなく、何の効果もないことをいった言葉だそうです。
これと似たことを、元ニッポン放送の村上正行アナウンサーのワークで指摘されたことがありました。見て感じたことをすぐに言うワークでした。
「三歳の子どもが床に座って、画用紙に夢中で絵を描いています。クレヨンが画用紙からはみ出しても気にしません。それを見て、何と言いますか。名取さん!」
気の利いたことを言おうとして「えーと」と考えていると、東京下町育ちの村上さんらしい言葉が飛んできました。「あのね、悪い頭は使っちゃダメです」。
また、支援学級の先生をしている友人は、「“今日できることを明日するな”って言うけど、支援が必要な子どもたちには“明日できることは今日しなくてもいいんだ”と伝えることがしばしばある」と教えてくれました。
その日のことは棚上げにして、今日は悪い頭を使わず、明日の風に自分がどう対応するかを楽しみにする好奇心と勇気があれば、楽になることがたくさんあるものです。
■生きて、死ぬだけ。人生に意味はない
心おだやかな人生を探求してきた仏教僧の私が「人生に意味はありません」と言えば、がっかりされるかもしれません。
ただ、私が申し上げたいのは、あなたの人生は“未意味”(まだ意味が決定していない)ということです。もし人生に決まった意味があれば、それに合わせた生き方をしなくてはならず、とても窮屈でしょう。
それでも人は、「自分がここにいる意味」を問おうとします。人生の意味がわかれば、使命感に燃えて自信のある生き方ができるからです。
多くの宗教は人生の意味をあらかじめ提示してきますが、特定の神を設定しない仏教は「決まった意味なんかない。それはあなた自身が作っていくのだ」とします。
それはまるで、一枚のキャンバスに絵を描いていくようなものです。一度描いたものは、消してなかったことにはできませんが、重ね塗りは何度でもできます。失敗の上に成功を重ねることも、裏切りに信頼を上書きすることも可能です。
あなたが描いている人生という絵に、あなたはどんなタイトルをつけますか。それがあなたの今現在の人生の意味です。そのタイトルは、これからも変わりつづけます。
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名取 芳彦(なとり・ほうげん)
元結不動密蔵院住職
1958年、東京都江戸川区小岩生まれ。密蔵院住職。真言宗豊山派布教研究所所長。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。密蔵院写仏講座・ご詠歌指導など、積極的な布教活動を行っている。主な著書に、『気にしない練習』『人生がすっきりわかるご縁の法則』『ためない練習』『般若心経、心の「大そうじ」』(以上、三笠書房《知的生きかた文庫》)などベストセラー、ロングセラーが多数ある。
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(元結不動密蔵院住職 名取 芳彦)