『国歌を作った男』宮内 悠介 講談社

 宮内悠介の新しい短篇集。SF、ミステリ、純文学作品とさまざまな傾向の十三篇を収める。

「パニック――一九六五年のSNS」は、改変歴史SF。過去の時代を舞台に、現実の歴史よりも遙かに進んだ科学技術の普及によって、社会や文化がグロテスクに変容した世界を描く。その点ではスチームパンクと同様だが、この作品で選ばれた過去世界が一九六五年の日本というのが独特だ。日本は高度経済成長を背景に、世界に先駆けて大型汎用機を開発。それを中心として、政府主導による全国民情報化構想を推進する。一人ひとりが端末を持ち、それを白黒テレビにつなぎ、電話回線経由で匿名掲示板にアクセスするのだ。この情報文化はピーガーと呼ばれた。接続時の通信音に由来する。

 ピーガーにおいてはじめて起こった大炎上。糾弾された対象は、ベトナム戦争の現地取材に赴いた作家、開高健である。開高は前線でいっとき行方不明になり、のちに救助された。掲示板を席巻したのは、ヒステリックに「ジコセキニン」を叫ぶ声だった。

 世界初の炎上事件はなぜ起きたのか?
 それは集団の狂気とでも呼ぶべきものだったのか、それとも仕掛け人がいたのか?

 当時のできごとを、筆者(わたし)が現在から振りかえり、検証していくスタイルで作品は綴られている。降りかかった理不尽を記録した『輝ける闇』を書きのこした開高健、社会問題化した事態に影響され運命がかわった三島由紀夫、評論『文学の輪郭』でピーガーと文学のかかわりを論じた中島梓......そうしたネタをもっともらしく織り交ぜていくのが、いかにも宮内悠介らしい。

 真相をめぐるわたしの検証は、終盤で意外な方向へと急展開し、ざらざらした余韻を残して幕を閉じる。

「死と割り算」は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスのメタフィジカルな味わいのミステリ「死とコンパス」のパロディ。ボルヘス作品と同様、神の御名を表す文字にからむ連続殺人が起きるが、最後はプロレス技が炸裂するかのような結末がつく。その雰囲気は、ボルヘスよりアーサー・C・クラーク「90億の神の御名」のほうに近いかも。

「十九路の地図」では、交通事故によって植物状態になった祖父に対し、脳と機械をつなぐブレイン・マシン・インタフェースを応用にしたリハビリが試みられる。情報伝達の制限を回避するために考案されたのが、囲碁盤をイメージしたコミュニケーションだ。祖父は本因坊にまでなった名人である。相手をつとめるのは、幼いころに祖父から手ほどきを受けたことがある孫の愛衣(あい)だ。彼女は進学した中学でうまくなじめずにいたが、祖父との対局を繰りかえすうちに、考えが前向きになっていく。ストレートな感動作。老人と孫の物語として、筒井康隆『わたしのグランパ』を思わせる爽快さがある。

 そのほか、韓国にほど近い対馬を舞台に近未来まで物語が進む「国境の子」、経営の岐路にあるソフトウェアハウスで"幽霊バグ"と格闘する技術者の苦闘「夢・を・殺す」、精神科医の主人公、彼のクリニックで働く看護師、近所の整体院で不思議な力を発揮する中国からの留学生の三人が織りなす「三つの月」が、とくに印象に残った。表題作「国歌を作った男」は、直木賞候補となった長篇『ラウリ・クースクを探して』の原型となった作品。

(牧眞司)