民衆の心をつかむため、政治家の話す言葉には、巧妙なテクニックが用いられていることがあります(写真:metamorworks / PIXTA)

アメリカ・ノースウエスタン大学で心理言語学を研究しているビオリカ・マリアン教授はルーマニア語を母語とし、ロシア語を第2言語、英語を第3言語として使いこなす「マルチリンガル」です。

ビオリカさんは著書『言語の力 「思考・価値観・感情」なぜ新しい言語を持つと世界が変わるのか?』で、新しい言語の習得が人間の脳にどのような影響を与えるのか、といった点を明らかにしています。

例えば社会には人々に特定のものを買わせたり、特定の誰かに投票させたりする言葉のテクニックが存在しますが、複数の言語に通じた人なら微妙なニュアンスの違いや言葉の使い分けをより敏感に察知すると言います。

同書から一部を抜粋・編集し、政治や広告の世界における言葉や言語の使い分けで、人々がどのような影響を受けるのか、いくつかの例をご紹介します。

政治的な目的を達成するために、言葉が巧みに操作されることがある。

たとえば人間の記憶には、最初に提示されたものをよく覚えているという「初頭効果」や、意思決定において最新の情報や出来事の影響を受けやすいという「新近効果」という傾向が確認されている。

最初や最後に提示された情報のほうが、真ん中に提示された情報よりも印象に残りやすいということだ。

スピーチの名手が使う方法

他には「頭韻法」と呼ばれるテクニックもある。頭韻法とは、隣接する単語や文を同じ音で始めるという手法であり、こうすると人々の印象に残りやすいという効果がある。

たとえば、バイデン政権の「Build Back Better Budget (アメリカをよりよく再建するための予算案)」や、クリントン政権の「Save Social Security First! (社会保障を守ることが第一だ!)」というスローガンなどが頭韻法だ。

他にも、ある物事を表現するのに、それと強い関連がある物事の名前で置き換える「換喩」というテクニックもある。

たとえば、アメリカ政府の最高執行機関を「ホワイトハウス」と呼んだり、金融セクターを「ウォール街」と呼んだりするのが換喩だ。換喩もまた、民衆の意見を操作する目的で利用される。

政治家は、聴衆に合わせて話し方を変えている。たとえばバラク・オバマ元大統領は、黒人に向かって語りかけるときと、白人に向かって語りかけるときで話し方を変えていた。

カマラ・ハリス副大統領も、民主党予備選挙の討論会で言葉を微妙に使い分けていた。たとえば、アフリカ系というアイデンティティを強調したいときは、アフリカ系アメリカ人に特有の発音や文法を取り入れていたのだ。

冷戦時代のもっとも有名なスピーチの1つで、ジョン・F・ケネディはドイツ語で「Ich bin ein Berliner」と言った。

これは「私はベルリン市民だ」という意味であり、ベルリンの人たちとの連帯、アメリカと西ヨーロッパとの結びつき、そしてベルリンの壁建設に反対する姿勢を伝える役割を果たしている。

当時、この言葉があんなにも強い印象を残したのは、英語のスピーチの中で突然登場したドイツ語だったからだ。

ほとんどのドイツ人は、若い人から年配の人まで、ケネディ元大統領のこの言葉を知っている。そしてヨーロッパ各国の学校でも、でもこの歴史的な瞬間について生徒たちに教えている。

ケネディが直感的に理解していたのは、あの日の西ベルリンで聴衆に向かって彼らの母語で語りかければ、英語で語りかけるよりも聴衆の心に深く響くということだ。

多くのスピーチの名手と同じように、ケネディもまた、言語は頭だけでなく心でも理解するものだということを知っていた。

ゼレンスキー大統領のテクニック

ベルリンでのスピーチから数十年後、今度はウクライナの戦場で、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領がウクライナ語とロシア語を巧みに切り替えながらスピーチを行った。

ウクライナ語を使うときはウクライナ人に語りかけ、そしてロシア語を使うときはロシア人に語りかける。英語圏のメディアや政治家を相手にするときは英語を織り交ぜてスピーチやインタビューを行い、そして外国人に語りかけるときは、その国の言葉を自分の発言に取り入れる。

外国語に堪能でない政治家でも、外国語を母語とする有権者が多くいるコミュニティでスピーチを行うときは、彼らの言葉を積極的に取り入れようとする。

しかし、相手の言語で政治的なメッセージを伝えるという戦略は、わざとらしい、媚びを売っているという印象を与え、裏目に出る危険もある。

アメリカでは、ヒスパニックの有権者を相手にスペイン語を使うという行為に対して、「hispandering(ヒスパニックに媚びる)」という表現もあるほどだ。

アメリカ政治では、ヒスパニックの有権者を意識してスペイン語を使うと、ヒスパニックの支持は得られるが、白人の英語話者からの支持が減るという弊害もある。

消費者に買わせる言葉づかい

意思決定の操作に言語を利用しているのは政治家だけではない。たとえば広告業界は、消費者に買わせるための正しい言葉づかいを日夜研究している。

広告の言語は、たとえ商品は同じでも、ターゲットとなる顧客層によって変わることが多い。

たとえば同じポテトチップスでも、ターゲットが上層階級の場合、重視されるのは商品の質の高さだ。「自然」、「加工食品でない」、「人工的な添加物不使用」といった点が強調される。

対してターゲットが労働者階級であれば、重視される価値は「家族」と「地元」。アメリカらしい景色が登場し、伝統的な家庭のレシピでつくられている点が強調される。

食品の広告に使われる言語を対象にしたより一般的な研究によると、高価格帯の食品の広告では「入っていないもの」(低脂肪、無添加、動物実験していない、など)が強調され、低価格帯の食品の広告では「入っているもの」(30パーセント増量、など)が強調される。


「〇〇が入っていない」「〇〇を含まない」という表現には、それを買う人に「自分は特別だ」という感覚を抱かせる効果がある。

政治と広告における言語の力はとても大きく、使う言語を変えるだけで、同じ人にまったく正反対の意見を持たせることさえできる。マルチリンガルは、政治姿勢を問う調査で、使う言語によってより保守的になったり、よりリベラルになったりする。

政治的な意見や、誰に投票するか、何を買うかといったことから、より広い社会的な行動一般までが、使う言語によって変化するのだ。

(翻訳:桜田 直美)

(ビオリカ・マリアン : 心理言語学者)
((監修)今井 むつみ : 慶應義塾大学環境情報学部教授)