スーパーフォーミュラ&スーパーGT
「最年少二冠王者」宮田莉朋インタビュー後編

◆宮田莉朋・前編>>「背中を押してくれたトヨタ会長モリゾウさんに感謝」

 2023年のスーパーフォーミュラとスーパーGT(GT500クラス)でチャンピオンを獲得し、最年少24歳での国内ダブル制覇を果たした宮田莉朋(りとも)。

 実は、幼少の頃からF1に興味を持ち、現在アルファタウリで活躍する1歳年下の角田裕毅とはカート時代から切磋琢磨してきた仲でもある。

 インタビュー後編では、これまであまり語られていなかった「宮田莉朋とF1」というテーマで話を聞いてみた。

   ※   ※   ※   ※   ※


宮田莉朋がF1と角田裕毅について語ってくれた photo by Kai Keijiro

── F1を初めて見たのは、いつ頃ですか?

「僕が覚えているのは、2007年シーズンですね。ルイス・ハミルトンとフェルナンド・アロンソがマクラーレンでバチバチとやり合っていた時です。

 当時は地上波放送でF1の中継があって、毎試合テレビで見ていましたし、すべて録画もしていました。当時は小学2年生でしたけど、その時はすでにカートを始めていて、『F1ってカッコいいな』『ドライバーは過酷なんだな』と感じていました。

 なかでも衝撃的だったのは、その年にF1デビューしたハミルトンが僕の担任の先生と同じ年(22歳)だったことです。子どもながらに『22歳で世界の一番上のカテゴリーを走って、優勝をしているのってすごい!』と思いました」

── その当時、憧れていたF1ドライバーはいましたか?

「特に誰というのはなくて、ドライバー全員を追いかけていましたね。ハミルトンは若くて速いし、レースでも優勝をする。しかも、いきなりトップチーム(マクラーレン)に入ってきたので、どういう経緯でポジションを掴んだのか興味が湧きました。『どうやったら、そういうふうに成り上がれるのだろう?』と思っていましたね。

 アロンソも『2年連続チャンピオンになったルノーから、なんでマクラーレンに移籍したんだろう?』とか、ハミルトンと争っているのを見て『相手はルーキーなのに、なんで互角なんだろう?』とか思って見ていました。

 フェラーリはその年、ミハエル・シューマッハがいなくなって、キミ・ライコネンとフェリペ・マッサのコンビになりました。ライコネンは気がついたらトップを走っていて、みんなハミルトンに注目しているけど、実はライコネンのほうが優勝しているという印象が強かったです」

── 2007シーズンは佐藤琢磨選手がスーパーアグリ、山本左近選手がスパイカー、中嶋一貴選手がウイリアムズでドライブしました。

「2007年にテレビでF1を見ていた時、中嶋一貴さん(元F1ドライバーでル・マン24時間3度優勝/現TGR-E副会長)はGP2(現FIA F2)に参戦していたんですけど、ハンガリーのレースに父の中嶋悟さんが現地へ行っているのを知って『親子2世代でドライバーをやっているんだ。すごいなぁ』と。

 日本人ドライバーがF1で活躍した歴史は知っていましたけど、一貴さんが悟さんの息子だということが当時は僕の頭の中でリンクしていなくて。『日本人で、親子2世代で、ここまでの舞台に来ている人がいるんだ......』と思ったのは今でも覚えています」

── サーキットまで現地観戦に行くことはなかったのですか?

「現地まで観戦に行ったことはなかったです。F1日本GPも見に行ったことはなかったですね。ただ、冬に開催されていたトヨタ・モータースポーツ・フェスティバルには行ったことがあって、そこで初めて生でF1が走っているところを見ました」

── 現在、F1には角田裕毅選手がフル参戦中です。同世代なので一緒にレースをしたこともあると思いますが、当時の印象はいかがでしたか?

「ずっと一緒でしたし、彼がカートを始めた時も見ていました。当時は千葉にあるサーキットに行ってカートをしていて、そこで小高一斗選手や佐藤万璃音選手と一緒に走っていました。

 全日本のジュニアカテゴリーの時は出るレースが少し異なりましたけど、ほとんど同じクラスで争っていましたね。全日本の一番上のクラスの時には一緒に走りました。キャラクターは今と変わらないというか、当時から"あのまんま"です(笑)」

── 当時の角田選手は、レースでどんな印象でしたか?

「あくまで僕が見た感覚ですけど、予選から調子よく走れていたら、その週末はずっと速い──という感じでしたね。

 2018年のFIA F4は角田選手がチャンピオンを獲りましたけど、あのシーズンは彼がほとんど優勝していました。ただ、彼が勝てなかった時のレースは、週末のなかで何かしらミスをしているんですよね。そのミスが週末の最後のレースであれば特に影響はないんですけど、例えば早い段階(練習走行や予選など)でミスをしたら、その週末はずっとダメな印象でした。

 それが、僕からしたら彼の弱点。カート時代もそうでしたが、逆にそのきっかけを僕たちが作ってしまえば、こっちが週末の流れをうまくコントロールできるなと思っていました。ただ、こっちが(ミスを)誘ってもそれを交わして突っ走られると、こっちとしては厄介というか『どうやって対抗しようかな......』というふうになりました。それができるのも、彼のすごいところ。

 2017年のFIA F4が、僕と彼が一緒に走った最後のシーズンでした。カート時代から彼の弱点を知っていてうまくやれたから、あのシーズンは彼に勝てたと思います」

── 角田選手にそんな弱点があったのですね。

「そこから彼も(弱点を)修正できたから、F1に行って今のポジションがあると思います。彼が波に乗った時は、手につけられない時もありました。しかし『絶対に勝てない』という感じにもならなかったですね。

 あと、彼は(周りを)気にせずに発言するタイプ。やっぱり外国人ってこっちから声をかけていかないと向こうから話してくれることはないですよね。彼は小さい頃からインターナショナルスクールに行っていたし、外国人っぽい雰囲気も持っていたと思います。

 だから向こう(海外)に行っても特に問題はなかっただろうし、海外では彼のそういうところが好かれているからファンも多いのでしょうね。いろんな部分で海外と合うところがあるのかなと思います」

── 角田選手とは、今でも連絡を取り合っているのですか?

「彼がF2に乗っていた時(2020年)はオンラインでつないで一緒にゲームをしていましたが、(角田が)F1に乗るか乗らないかというくらいになってから、お互いに連絡を取る機会は極端に減りました。誕生日の時はお互いにメッセージを送りますけど、それ以外で連絡をとることはなくなりましたね。

 何かを意識し始めたのか......当時は『角田選手がF1に行ったんだから、僕も行けるんじゃないか。絶対に僕もF1に行く』という想いがあったので、ちょっと一歩引いていたのかなと思います。

 ただ、2022年のF1日本GPに行った時に、久々にパドックで会うことができました。彼は僕の奥さんのことを以前から知っているので『結婚おめでとう!』と言ってくれたのですが、『もう(結婚して)1年経っているよ!』みたいなやり取りはしましたね(笑)。

 カート時代からサーキットで会っているので、僕たちの互いの親同士は昔から仲がいいんですよ。だから、よく角田家からうちの両親のもとへ電話がくるらしいです」

── いよいよ来季は、海外のサーキットを転戦することになります。そのなかで走るのが楽しみなサーキットはありますか?

「ドライバーとして走ってみたいのは......スパ・フランコルシャン(F1ベルギーGPの舞台)ですね。スパの人気はeスポーツでも高いです。eスポーツのスパ24時間レースも出ましたが、その時も観客は多かった。実際に走ってみると、どんな感じになるんだろうと、楽しみです。

 シミュレーターはクラッシュしても痛くはないので、いろんな走り方をトライしています。でも、実際にスパのコースを走ったら『オールージュは最初、アクセル全開ではいけないだろうな......』という恐怖もあります。でも、みんなが『走っていて面白い!』と言っているので、その意味をスパに行って知りたいですね」

<了>


【profile】
宮田莉朋(みやた・りとも)
1999年8月10日生まれ、神奈川県逗子市出身。両親の影響により幼少期からモータースポーツに興味を持ち、レーシングカートで数々のタイトルを獲得。フォーミュラ転向後も快進撃は止まらず、2016年〜2017年には2年連続でFIA F4選手権のチャンピオンとなる。2020年は全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権を制す。2023年にスーパーGTとスーパーフォーミュラでダブルタイトルを獲得。2024年はFIA F2選手権に参戦。身長171cm、体重67kg。