スーパーフォーミュラ&スーパーGT
「最年少二冠王者」宮田莉朋インタビュー前編

 2023年シーズン、日本のモータースポーツ界を24歳の宮田莉朋(りとも)が席巻した。

 スーパーフォーミュラではVANTELIN TEAM TOM'Sから参戦し、2勝を含む6度の表彰台を獲得。初のシリーズチャンピオンに輝いた。その一方で、スーパーGT(GT500クラス)では坪井翔と組んでau TOM'S GR Supra(ナンバー36)から参戦。8戦中3勝を挙げるシリーズ史上でも類を見ない快進撃で、こちらも年間王座を奪い取った。

「国内二冠」を達成するのは、2020年の山本尚貴以来5人目。なかでも24歳の宮田は、最年少での快挙達成となった。

 その成果が海外でも評価され、2024年はFIA F2とヨーロピアン・ル・マン・シリーズへの参戦が決定した。宮田が夢に描いてきた「世界への挑戦」──その想いを聞いた。

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最年少24歳で国内二冠を達成した宮田莉朋 photo by Kai Keijiro

── 最年少での国内二冠王者となりました。実感は徐々に湧いてきましたか?

「ダブルタイトルを獲ってから2024年シーズンに向けた状況が大きく変わったので、正直、バタバタしています。『お祝いをしたい!』と言ってくださっている人は多いのですけど、それに応えられず申し訳ないな、という日々が続いています(苦笑)。

 でも、時間が経つにつれて、スーパーGTで年間8戦中3勝も取れたことに対して『すごいことを成し遂げたんだな』と実感も湧いてきました。特にスーパーフォーミュラに関しては『(チャンピオン獲得は)無理だろう』と思って最初は戦っていたので。まさかダブルタイトルを獲れるとは......。自分が想像していなかったようなシーズンになりましたね」

── 今季のスーパーフォーミュラやスーパーGTで印象に残っているレースやシーンは?

「スーパーフォーミュラでターニングポイントになったのは、第3戦・鈴鹿での初優勝です。開幕2連戦の富士でいいものを見つけられて、そこから鈴鹿で優勝できたことで『このベースセッティングで鈴鹿以降も戦える』という手応えを得られました。それが大きかったです。クルマとの一体感みたいなものが出てきて、コース上でも自信を持って追い抜けるようになりました。

 スーパーGTはひとつに絞るのは難しいですが、開幕戦・岡山でしょうか。予選で下位に沈んでしまいましたけど、相方の坪井翔選手が第1スティントでトップまで追い上げてくれて、雨に強いミシュランタイヤ勢にも対抗して2番手で僕にバトンをつなげてくれました。

最後は残念な結果(ピットミスによりコースサイドにストップ)でしたけど、あのままレースをしていれば確実にポイントを獲れたレースでした。でも、あれがあったから、翌レース以降はスーパーフォーミュラも含めてピットのミスはなく、みんなが確実に作業をこなすことを意識してくれるようになりました」

── 2024年から海外のレースに挑戦することになります。改めて日本のレースカテゴリーを経験してきたなかで、今後につながる「収穫」はなんでしたか?

「基礎的な部分で勉強になったなと思います。特に覚えているのが2018年の全日本F3。当時は坪井選手がチームメイトで、基本的に彼がクルマのセットアップをやっていました。そこで出来上がったものに僕が乗ってタイムを出しに行く、という感じでした。

 その状況下で、クルマの走らせ方やコンディションの変化に対して、どう対応していくのか。そういう基礎的なことをずっとやらされていました。当時は自分でセットアップできずに『なんだよ!』と不満を抱えながらやっていましたけど、与えられたクルマを乗りこなさなければいけない経験は、今でも活きているなと感じています。

 上のカテゴリーに行くと、練習走行の時間が限られています。その短い時間でクルマ側の妥協点をなくし、直しきれないところはドライビングでなんとかカバーする──それができるようになったのは、当時のTOM'Sのやり方が活きているのかなと思います」

── 宮田選手は以前から「世界に行きたい」と公言してきましたが、具体的に世界を意識し始めたのは、いつ頃ですか?

「2015年ですね。その前の年に全日本カート選手権のKFクラスでチャンピオンになって、この年はタイヤ開発がメインで同じクラスに参戦していました。

 僕より少し上の福住仁嶺選手たちの世代で、たくさんの日本人が海外のカートレースに挑戦していました。それを見て『自分も行きたいな』とずっと思っていましたが、僕の世代くらいから世界選手権に挑戦できるスカラシップ(奨学金制度)がなくなってきていました。僕が全日本カート選手権でチャンピオンになった時も、世界へ行く道筋のようなものがない状態でした。

 その時、カート時代からお世話になっている高木虎之介さんから『世界選手権に出る機会があれば、挑戦してみるか?』と声をかけていただいて。家族にお願いしてお金を出してもらい、初めて世界選手権に挑戦しました。

 そして世界選手権に行ってみると、チームの規模やケータリングなど......日本との違いを感じました。もちろんレベルも高くて、雑誌でしか見たことがなかった人たちとレースができ、F1を目指しているドライバーとも競り合うことができました。とにかく刺激が多くて、彼らとレースをしたことが強く思い出に残っていました。

 その頃から『1年に1回は世界選手権に行きたい』という想いが強くなりましたね。ただ、4輪レースにステップアップしてからは、僕はトヨタの育成ドライバーだったので、世界の舞台となるとマカオF3くらいでしたが、当時から『早く海外に行きたい』と思っていました」

── 来季はFIA F2参戦が決まりました。その話を聞いた時は、どんな心境でしたか?

「最初にトヨタさんから連絡があった時は、声のトーンが低くて『来年の活動プランが変わることになった』と言われて、『海外挑戦のプランがなくなったのか?』とネガティブに考えてしまったのですけど......実際にはまったくの逆で、F2の話が出てきました。

 その時にチーム名(名門のロダン・カーリン)も言われて『断る理由はないな』と思いました。答えとしては『イエス!』か『ハイ!』しかないくらい(笑)。内心は動揺していましたね。『これは夢なのではないか?』と。

 しかも、それを聞かされる前日にはTGR-E(トヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ)と2024年の拠点を決めていて、家族にも説明をしていたので、『1日でそんなに急に変わる?』と思いました(笑)。でも、僕は世界に行きたいと思っていたので、背中を押してくれたモリゾウさん(豊田章男トヨタ会長)をはじめ、TGRのみなさんには感謝しています」

── 世界挑戦への扉が開いた次の目標は何ですか?

「来シーズン、僕はWEC(FIA世界耐久選手権)のプログラムがメインで、その一環としてFIA F2とELMS(ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ)に挑戦するので、まずは結果を残すこと。そこでの経験をつなげれば、WECのハイパーカークラスでTGRから乗れるのではないかなと思っています。

 F2に関しては、僕にとって予想外のことでした。もともとは来年もSF(スーパーフォーミュラ)で『フォーミュラカーのレースは日本でやる』という感覚でしたから。それがヨーロッパをメインで転戦するF2で、F1の直下カテゴリーというのは想定外でした。

 F2ではF1の関係者に見られるレースに出られます。ELMSにも各メーカーのファクトリードライバーが参戦していますし、僕はかつてトヨタのWECで活躍していたニコラ・ラピエールさんのチームで走ります。いろんな部分で幅が広がっていくので、どちらのカテゴリーでも成績は残していきたい」

── F1直下であるF2への参戦が注目されがちですが、WECハイパーカークラスへの参戦も重要な目標となっているのですね。

「そうですね。あとWECに関しては、両親がレース好きで、僕は小学生の頃から父に1980年代のレース映像や地上派で放送されたル・マン24時間レースを見せられていたんです。その後、家族旅行で(ル・マン24時間の舞台である)サルト・サーキットに行ったんですけど、当時の僕はF1をメインで追いかけていたので、正直あまりその場所に興味が湧きませんでした。

 でも、父と母は『ここで昔、マツダが優勝したんだよね』みたいな話で感動していて。サルト・サーキット全体の4分の3は公道を使用しているので、レースの行なわれていないこの日はタクシーに乗って、コースになっている部分を回りました。親は感動していましたが、僕は『早く帰りたいな』くらいの感覚でした(笑)」

── ル・マンでそんなエピソードがあったとは。

「でも、その経験を経て今年ル・マンに行った時、『当時の両親はこの感動を僕に伝えたかったんだな』と感じました。家族旅行で行った当時とはメインゲートの場所が変わっていたり、新しく博物館ができていたり......すごく感慨深かった。レースも24時間まったく寝ずに見ましたし、レース後の表彰式も間近で見ました。

 もちろん、ドライバーとして目指す先はF1ですけど、自分にレースのことを教えてくれた両親に恩返しをするのであれば、まずはル・マン24時間を走らないといけないなと思っています」

(後編につづく)

◆宮田莉朋・後編>>カート時代から知る角田裕毅は「当時からあのまんま。彼の弱点は知っていた」


【profile】
宮田莉朋(みやた・りとも)
1999年8月10日生まれ、神奈川県逗子市出身。両親の影響により幼少期からモータースポーツに興味を持ち、レーシングカートで数々のタイトルを獲得。フォーミュラ転向後も快進撃は止まらず、2016年〜2017年には2年連続でFIA F4選手権のチャンピオンとなる。2020年は全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権を制す。2023年にスーパーGTとスーパーフォーミュラでダブルタイトルを獲得。2024年はFIA F2選手権に参戦。身長171cm、体重67kg。