三井化学社長・橋本修「会社が何かをするのではなく、社員の自主的、自律的な発想ができるような環境づくりを」
─ 攻めと守りの両方をやっていく必要があると。
橋本 そうです。我々は千葉県の市原地区と大阪府の泉北、高石にコンビナートがあります。市原地区は日本最大の化学製品の生産出荷拠点ですが、我々1社だけでは最適化はできませんから、自治体や他社、お客様と連携して進める必要があります。
具体的には、すでに丸善石油化学、住友化学と当社の3社で検討を始めており、この地区におけるコンビナートのグリーン化を意識した新しいコンビナート構想の検討を進めています。
また、大阪地区には当社のナフサクラッカーしかありませんから、近隣の大阪ガス、関西電力と協力して、将来のグリーン化を睨んだ取り組みをしています。
三井物産、関西電力、IHIとは、水素・アンモニアのサプライチェーン構築に向けた共同検討を進めていますし、大阪ガスとはコンビナートから出るCO2を回収し、メタンやメタノールなどの原料にする「CCU」や、地下に貯留する「CCUS」に関する検討も始めています。
ベンチャーとしてのDNAを思い起こす
─ 日本は「失われた30年」と言われ、成長できずに来ましたが、活力を取り戻すための国と民間の連携をどう考えますか。
橋本 私自身は、まず民間は民間でできることを、きちんとやらなければいけないと考えています。
その先に、日本の経済安全保障や産業政策の中で、石油化学をどう考えるかということがあると思います。今、国は半導体や電池の強化を進めていますが、半導体は石油化学から出てくる原料を使ったチップの上に乗っています。
では、ベースとなるチップが中国、韓国の製品でいいのかというとそうではないと思うんです。半導体や自動車につながるものの上流の部分をきちんと残す必要があります。それはまさに経済安全保障、産業政策そのものだと思うんです。そこはぜひ、経産省などに音頭を取ってもらってとりまとめていただきたいと思います。
我々は、民間としてできる最大限の努力をする。そうした官民双方が最大限努力することによって初めて、日本の成長がなし得るのだと思います。
─ まずは民間としてできることをやるのが大事だということですね。
橋本 そうです。CO2削減の中でバイオ系の原料を使うにしても、間違いなくコストが上がります。それを国民が自分達、子ども達の未来に対して禍根を残さないために、価値を認めてもらって社会実装できる形にしていくことが重要だと思います。その意味でも国と連携することは大事ですし、どちらが欠けてもうまくいきません。
─ ロシア・ウクライナ戦争やコロナ禍など、予測できないことが起きる時代ですが、その中を生き抜く時には、自らの得意技をつくることが大事になりますね。
橋本 そう思います。我々として得意技、強みをつくっていくことが重要だということと、「人」が構成して会社になっていますから、社員が自律的に、モチベーションを高く持って動けるような企業体質にしていくことも重要だと思っています。
かつての高度成長期は、ある程度方向性が決まっていて、みんなで一生懸命やればよかったという時代でしたが、今は新しい価値あるものを創造し、そこからさらに再生産してスパイラルアップしていく構図が求められています。
会社が何かをするのではなく、社員が自主・自律的に発想、協働し、チャレンジングなことに取り組み、失敗しても粘り強くやっていく。それを会社が後押しする環境にして、全社的に持ち上げていくことが必要だと考えています。
─ 会社のあり方を見つめ直す作業でもありますね。
橋本 我々は、石炭工業から出てくる副生物であるガスを使って肥料や合成染料事業を起こした第1の波、石炭化学から石油化学への転換を捉えた第2の波の中でベンチャースピリッツをもって歩んできた会社です。
そして今、化石原料からグリーンケミストリーに向かうという第3の波が来ています。この環境の中では自主・自律的に取り組まなければ新しい発想は生まれません。しかし、ベンチャーのDNAが我々の中にはあります。それを呼び起こし、第3の波を乗り越えてサステナブルに成長していかなければなりません。
─ 創業の原点に帰るのだと。
橋本 そうです。我々は決して安定した中で事業を展開してきた会社ではありません。ものすごく大きな波の中で、何度も厳しい中を乗り越えて、ここまで来ているのです。そのために創業時のベンチャー精神を思い起こして、会社の中身を大きく変えていく。石炭から石油化学に、石油化学から次に変えていかなければなりません。これまで以上の大きな波が来ているという意識で、これからも取り組んでいきます。