日沖 博道 / パスファインダーズ株式会社

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先日、埼玉県の自民党県議団が、小学校3年生以下の子どもだけで公園で遊ばせたり留守番させたりすることを禁止する、いわゆる「留守番禁止条例案」(正式には「埼玉県虐待禁止条例改正案」)を県議会に提出したところ、保護者などから「子育てをしている人の現状を理解していない」「現実的ではない」という声が多数上がり、撤回されたことは記憶に新しい。

条例案が「子どもを放置する虐待行為」とみなして禁止しようとしていた「放置」の内容には、次のような内容が含まれていた。

小学校3年生以下の児童が「子どもだけでおつかいに行く、公園に遊びに行く」「不登校の子どもが家にこもっている状態で、親が買い出しや仕事に行く」「ゴミ捨てに行くため留守番させる」「18歳未満の子と小学校3年生以下の子だけで一緒に留守番をさせる」「車などに(短時間であっても)残していく」「小学校1年生から3年生だけで登下校させる」…等々。

確かに子育てのリアリティーからあまりに乖離している。「子どもの安全を守りたい」という気持ちを否定するつもりはさらさらないが、非現実的な内容だと言わざるを得ない。子どもを家に囲っておけば安全という発想だし、特定の道徳観も透けて見える。

提案した自民党県議団はずっと家にいられる母親を想定していたのだろう。「母親が自宅にいて子育てをすべきだ」という昭和の伝統的な家族観に凝り固まっているようにも見える。

一体、彼らは世の家族の実態をどれほど見聞きしてきた上で、今回の条例案を起案したのか。その視野の狭さには愕然とさせられる。

彼らは自分の家族、自分たちの親の家族、熱心な支援者の家族といった周辺のケースしか見聞きしていなかったのではないか。そうした「恵まれた立場の人たち」の家族であれば、今でも誰か専業主婦がずっと家にいて、子どもから目を離さずに付きっ切りで世話をすることも可能なのだろう。

さらにもしかすると自民党県議団の中には、海外先進国に留学したり仕事で駐在したりした際に、現地では子どもを守るためにその放置に対する厳しい規制があることに感銘を受けて帰国した人もいるのかも知れない。

しかし一口で「家庭」といっても、一人親もいれば、病気や介護すべき家族を抱えながら子どもを育てている人もいる。両親とも昼間は働いていて子どもは託児所などに預けている家庭もあれば、託児所が見つからないまま子どもたちだけで留守番せざるを得ない家庭も少なくないのが日本の実態だ。

確かに夫婦ともに時短勤務をしていれば、親のどちらかが子どもと一緒にいることも非現実的ではない。それがままならない場合、海外先進国ではベビーシッターを使うなどの他の選択肢が存在する。しかし日本では「正社員の時短」が大企業を除くとあまり普及しておらず、親は子どもの行事や病気の時を除いて会社を休みづらい雰囲気があるのが現実だ。

共働きの夫婦に子どもがいる場合、常にどちらかの親が子どもについていることは、今の日本だとかなり難しい。かといって赤の他人であるベビーシッターを雇うという選択肢は、経済的にも、そして(お手伝いさんに留守宅を任せるという習慣のない普通の家庭には)心理的にもハードルが高い。

こうした世の中の実態をしっかりと視野に入れておけば、今回のような「市民に負担を押し付ける」条例改正案をいきなり持ち出すことは、不見識のそしりをまぬがれないことは明白だ。

地域における学童保育(公設のもの、保護者運営の共同保育、民間運営のものなどがある)の施設や補助金を増やすなど、自治体としてすべきこと/できることはまだまだ多い。そこに知恵を出し、実現のために汗を流すことこそが県会議員として「先にやるべきこと」だろう。