22歳ながら京都で主将を務める川。写真:松尾祐希

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 今年6月の出来事だ。海外組の選手たちがずらりと顔を揃えるなか、A代表のメンバーにその名前があった。

 国内組が中心だった昨年7月のE-1選手権を除くと、パリ五輪世代ではすでに主軸として活躍している久保建英(レアル・ソシエダ)、3月に初めてA代表に招集されたバングーナガンデ佳史扶(FC東京)と半田陸(G大阪)に続く抜擢だ。

 昨年3月に立ち上がったパリ五輪を目ざすU-22日本代表において、当初は序列が高いとは言えなかったが、この1年でメキメキと力をつけて、所属する京都では今季から22歳の若さでキャプテンを任されるまでに成長を遂げた。

 パリ五輪世代で期待のタレントをディープに掘り下げるインタビュー連載。第4回目は川粼颯太に話を聞いた。どのような歩みでキャリアを築き、この1年間で何が変わったのだろうか。

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 ボランチやインサイドハーフの一角で、強度の高いプレーでチームを牽引し、攻守に違いをもたらす。今や京都に欠かせない存在になっている。高校入学のタイミングで京都にやってきた男は自信に溢れ、表情もグッと凛々しくなった。

 1年半前に行なわれたU-22日本代表の海外遠征では、苦虫を噛み潰したような表情で、どこか様子をうかがいながらプレーしていたが、振る舞いもキャプテンらしくなり、言動も変わった。

「キャプテンがビビってボールを受けられないチームは勝てない」

 頼もしい言葉を言えるようになったのも、地道な積み重ねがあったからこそ。特に昨季から今季にかけての成長は著しい。この1年の間に何が起こったのだろうか。

 今から1年半前、川粼はアラブ首長国連邦にいた。2022年3月上旬に立ち上がったU-22日本代表の活動に参加し、初の海外遠征となるドバイカップに参戦。パリ五輪を目ざすチームで己の力をアピールし、大岩剛監督のもとでアピールする……はずだった。しかし、現実はそう甘くなかった。

「何もせずに終わっちゃった大会。(一世代下で当時プロ1年目だった)松木玖生(FC東京)とダブルボランチを組みましたが、自分より彼がチームを動かしている感じがありましたし、攻守にわたって効いていた。

 一方で自分は海外慣れしてないし、暑さにもまったく対応できなくて...。ボールも少なからず種類が違うので、そういう些細な変化もストレスに感じていた。全然上手くいかなかったですね」

【PHOTO】サンガスタジアムに駆けつけた京都サンガF.C.サポーター
 唯一の先発出場となった第2戦目のU-22カタール代表戦では、ダブルボランチの一角でプレー。しかし、存在感を示したとは言い切れず、64分に山本理仁(シント=トロイデン)との交代を余儀なくされた。

 しかも、その山本が終了間際にスーパーボレーを決めて勝利に導く大活躍。松木だけではなく、同じポジションのライバルに出し抜かれた格好となり、22年6月のU-23アジアカップではメンバー入りを果たせなかった。

「もっと自分はできるはず。そんな気持ちがあった。だけど、ダメでしたから」

 そう話した一方で、川粼は焦っていなかった。

「ドバイカップの後は膝の怪我とかもあり、怪我だからしょうがないなって思うようにしていたのもありましたし、今、代表に行っても、上手くいかないんじゃないって思っていましたから」

 昨季リーグ戦の10節から12節は負傷の影響で欠場。だからこそ、川粼は今を大切にしようと心掛けていた。できることは何か。状態が悪くても成長できる機会はないのか。もう一度、自分と向き合い、全力でサッカーのために日々を過ごした。

「守備だけをやっていてはダメだと思っていましたし、もっともっと攻撃で顔を出さないといけない。代表のサッカーと、京都のサッカーは微妙に違ったので、そういう面ではもっと代表のスタイルにシフトすべく、もっとボールを受けるプレーをしないといけないと感じた」
 
 ピッチに立てない時期を経て、13節から戻ってきた川粼は目覚ましいパフォーマンスを見せる。持ち前の守備力に加え、攻撃面で臆さずにボールを受けてパス回しの中心を担った。そうしたプレーができたのは、今までに積み上げてきた自信があったからだという。

「前のシーズンにJ1で1年間、戦った経験は大きかった。ある程度は対戦した選手でビビらなくなったし、チームの中で自分が恐れながらボールを持っていても仕方ないと思えるようになった。自分よりも若い選手や大卒1年目の選手もいたので、そういう面でも自分がもっと自信を持ってプレーしないといけないという気持ちを持てたんです」

 2022年シーズンは最終的に28試合に出場して1ゴール。自信を深める一年となったが、その成長を語るうえで欠かせない人物がいる。京都でプロ2年目から指導を受けている者貴裁監督だ。

 2021年シーズンからチームを指揮する者監督からは多くのことを教わった。印象的な出来事が指導日の初日だ。練習後にいきなり活を入れられた。

「前の年のプレー映像を見せられたんです。軽いプレーやボールを受けようとしないプレーを指摘されて、『これ、なんだ?』みたいな感じで言われて」

 守備面ではガツガツいく一方で、攻撃面ではビビってしまう。逃げるようなプレーの根底にあったのは何だったのか。指揮官の指摘にハッと気づかされた。

「自分のプレーだけをやっていればいい。自分のポジションだけでいい。そう思っていましたから。(自分ができること以上に)欲張って、ミスをして失点に関わるのは嫌。つまり逃げのプレーですよね。できる範疇だけで、なんとかやろうとしていたんです」

 そこから川粼は意識を変えたが、思うようにプレーができない。

「練習から常にチャレンジするようにして、ボールを受ける怖さは徐々になくなってはいましたけど、やっぱり攻撃センスが全然ないなと思っていました。自分が試合に出ても、相手に押し込まれる展開であれば、自分の守備力が活かされるからいいと思うけど、相手が引いて守りを固めてくるのであれば、自分よりも庄司(悦大/現・岐阜)さんのほうが良いプレーができると感じましたから。やっぱり庄司さんが試合に出たほうがボールを散らせるから、自分が出ないほうがいいと思ってサッカーをしている時期もありましたね。その頃は辛かったです」

 シーズン序盤からもがき苦しみ、「チームのリズムを止めている感じがすごくするし、周りに迷惑をかけている感覚があった」という。しかし、そこから積み重ねて、“人は人”、“自分は自分”と思えるようになっていくと、プレーが変わり始めていく。

 後半戦に入る頃には自信を掴んで堂々とプレーできるようになり、J2リーグで41試合に出場を果たす。ルーキーイヤーは16試合の出場に留まっており、2年目の活躍は大きな前進だった。
 
 3年目に入ると、前年のパフォーマンスが評価され、3月にU-22日本代表に選出。前述の通り、苦い経験を味わったが、そこから再びギアを入れ直す。1年を通じて安定したパフォーマンスを発揮し、気がつけば京都で中心的な役割を担う選手に成長を遂げた。

 すると、シーズンが終わったタイミングで指揮官にまたしても呼ばれ、こう告げられた。

「キャプテンをやらせようと思うんだけど」

 指揮官のゲキから2年。逃げずに戦ってきた男は名実ともにチームを引っ張る存在になった。

「自分としては任せてもらう嬉しさがあった。他にもキャプテンに相応しい人がいたかもしれないけど、チームを見渡した時に自分がやるしかない気持ちになった」

 新たなスタートを切る川粼だったが、迎えた2023年シーズンは、また違った苦しみを味わう。しかし、そんな事になるなど、まだ気がついていなかった。

※本稿は前編。後編は9月21日に公開予定です。

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)