え、銀座になぜ踏切!? 都心一等地の「廃線跡」道路 残ったのが奇跡?
銀座のはずれに古びた踏切信号機がポツンと1本佇んでいます。その先でカーブを描く小さな道路、やはり「鉄道」だったようです。
「銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機」
銀座をぶらぶらしていると、突如として「踏切」に出くわしました。正確にいえば“×”形の警標がついた踏切信号機ですが、だいぶ古びています。
銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機。「浜離宮前踏切」という(乗りものニュース編集部撮影)。
場所は築地や汐留に近い銀座8丁目、首都高八重洲線の高架が上空を貫く海岸通り沿いにある銀座郵便局の脇です。「銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機」との立て看板があり、保存理由を示した銘板には、銀座の3つの町会の連名で、次のように記されています。
「大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。都民の暮しの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当り捨て去られるのにしのびず、(中略)ここに永久保存されることになりました。 昭和62年(1987)12月」
踏切信号機の先に続く道は、ゆるくカーブを描き、朝日新聞の本社脇へと続きますが、環2通りにぶつかって途切れます。この道路は環2通りの側道にあたり、2022年12月に“本線”のトンネルが開通しましたが、小道の先にはそのトンネルの換気塔が行く手を阻むかのように立っていました。
幹線道路どうしを結ぶひっそりとした小道、古い地図で確認してみると、やはり元「鉄道」でした。ここは150年前の鉄道開業時に誕生した初代新橋駅、後の「汐留貨物駅」から、築地市場に延びていた引き込み線の跡を道路にしたものです。
かつての線路は、朝日新聞社脇からさらに築地市場の外周に並行する形でカーブを描き、市場内の貨物駅「東京市場駅」へと延びていました。各地から水産品や青果などが貨物列車で市場へ運ばれてきていたのです。
東京市場駅は1984年、汐留駅は1986年に廃止。線路は撤去されても、東京市場駅の貨物施設は築地市場でそのまま使われ続けたといいます。
2023年現在、汐留駅周辺は再開発されて高層ビル群となり、豊洲移転後の築地市場も完全な更地になってしまったため、300m弱のカーブを描く小道は前後が途切れて孤立した状態です。銀座側に残る踏切信号機「浜離宮踏切跡」が、鉄道の記憶を伝えるほとんど唯一の存在となっています。