ナゾの「関越学園」 高速道路が学校名に? 実は「大泉学園」の副産物だった
東京の練馬区西部、関越道近くに「関越学園」との名を冠した交差点やバス停が存在します。道路名をとった学校名かと思いきや、そんな学校をいくら探しても、見つかりません。一体何なのでしょうか。
「関越学園」はどこにあるのか?
東京の練馬区西部、関越道近くに「関越学園通り」という交差点名とバス停があります。その近くには「関越学園通り北」「関越学園坂下南」「関越学園坂下北」という交差点も。これらは文字通り、関越道の高架近傍に位置しています。
関越学園通り交差点(乗りものニュース編集部撮影)。
しかし、この近くをいくら探しても、「関越学園」という学校は見当たりません。
ツイッターでも、「『関越学園通り』という地名はあるが、『関越学園』があるわけではなさそうだ」と気付いた人が少なくないようです。そのなかのある書き込みが、“答え”を示していました。
「関越学園通りって名前の由来は関越学園/通りじゃなくて関越/学園通り」
「関越学園通り」の交差点は、西武池袋線の大泉学園駅から北へ延びる地域の目抜き通り「大泉学園通り」が、関越道の高架をくぐる地点です。それをランドマーク的に表現したのが「関越学園通り」というわけです。
もっと言えば、駅名にもなっている「大泉学園」という学校自体、実は存在しません。
大泉学園駅は、西武グループのルーツにあたる箱根土地という企業が、大学などを誘致する前提で“学園都市”として開発を行い、その最寄り駅として東大泉駅から改称したものです。しかし結局、学校誘致は果たせず、名前だけが残る形となりました。その学校不在の学園都市である「大泉学園町」と駅を結ぶルートとして、大泉学園通りは戦前から存在。やがて大泉学園町の範囲は拡大し、関越学園通りのあたりも含まれるようになりました。
大泉学園通りが白子川を渡る橋の名は「学園橋」であるなど、この地域では“学園”が地名のように使われるケースがあります。ちなみに、「関越学園坂下南」「関越学園坂下北」交差点はそれぞれ、大泉学園通りから関越道に沿ってやや西の、坂の下に位置しています(近くのバス停名は単に「坂下」)。このことからも、関越学園通りだけでなく、“関越学園”そのものも地名のように使われているのかもしれません。