2023年1月、大阪湾に迷い込み、大阪市民に愛されて「よどちゃん」と呼ばれた大型のマッコウクジラは死亡後、沖合に運ばれて沈められた。生物学者の郡司芽久さんは「海洋投棄は自然の法則に沿った決定と受け止められましたが、調べたところ、そもそも自然界ではマッコウクジラの遺体は長期間、海上を漂うそうです」という――。
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淀川河口付近に迷い込み、死んだことが確認されたマッコウクジラ=2023年1月13日、大阪市内 - 写真=時事通信フォト

■ライブ配信もされ注目された“海のお葬式”

クジラの仲間は、死後沈むものと、沈まぬものがいるらしい。

詩の一節のようなこの事実を知ったのは、1月半ばのことだった。きっかけとなったのは、淀川に迷い込んだマッコウクジラ、通称「よどちゃん」だ。

1月9日に淀川河口で発見されたこのオスのマッコウクジラは、1月13日に残念ながら死亡し、1月19日に紀伊水道沖に海洋投棄されることとなった。彼の遺骸の行く末については大きな注目を集め、投棄の様子がライブ配信されるほどであった。

海底に沈んだクジラの遺骸は、多数の生物のよりどころとなり、独自の生態系を構築することが知られている。いわゆる「鯨骨生物群集」と呼ばれるものだ。1987年にその存在が初めて報告されて以来、さまざまなメディアに取り上げられ、多くの生き物好きに知られる現象となった。それゆえ、今回の海洋投棄についても「鯨骨生物群集が作られるのだろうか?」という声を数多く目にした。

■自然界では「沈まぬクジラ」を沈めたのはなぜか

私自身は「陸上に埋設して骨格標本にするのかな」と思っていたため、海洋投棄が決まった時には、正直複雑な気持ちであった。が、同時に「ふむ、たしかに海に沈めたらどうなるのだろうか?」と興味も湧いた。そこで、日々のランチタイムや就寝前のまったり時間を駆使し、鯨骨生物群集について“調べ学習”をしてみることにした。

今回の記事ではその成果を紹介するので、今回の海洋投棄について「それが“自然な状態”だよね」と思った方にぜひ読んでいただきたい。なぜなら、今回海底に沈むこととなったマッコウクジラは本来「沈まぬクジラ」と言われているからだ。

■キリン解剖学者がクジラのことを調べてみた

本題に入る前に少しだけ自己紹介をさせていただきたい。筆者は、大学院生時代を大学附属の博物館で過ごし、その後も任期付研究員として博物館に在籍し、現在は大学教員を務めている。主に動物園で飼育されている大型動物の解剖に携わり、博物館に多数収蔵されている標本資料を活用して研究を行っている。キリンやゾウの解剖は国内でも屈指の経験値をもつが、大型鯨類の解剖調査には過去2回ほど手伝いにいっただけの「にわか」程度だ。

その程度の経験値なので全く知らなかったのだが、冒頭に書いた通り、クジラの仲間は、死後速やかに沈むタイプと沈まないタイプが存在するそうだ(参考1)。多くのクジラ類は、死後その場で沈降するが、マッコウクジラやセミクジラ、ホッキョククジラなどはすぐには沈まず、海上を浮遊しながら腐敗が進み、少しずつ分解されていくそうだ。

今回の事例では、クジラとともに30トンのコンクリートブロックを沈めたそうだが、それは「すぐには沈まないクジラだから」というのが大きな理由なのだろう。沖にそのまま投棄してしまったら、海洋に浮遊する遺骸と船がぶつかって事故になってしまうかもしれない。場合によっては、海流に運ばれ、数カ月後に再度海岸へ漂着してしまうリスクもある。大阪以外の自治体に再漂着してしまったら、処理費をどちらが負担するかなど、責任問題へと発展するだろう。こうした問題を回避するには、重りをつけて沈めるしかないのだ。

■沖縄のクジラは2カ月間も沈まず海上を漂流

「沈まぬクジラと言っても、ただの遺骸なのだから、数週間もしたら沈むのでは?」と思う方もいるかもしれないが、どうやらそんなことはないらしい。調べてみると、大変興味深い事例を見つけた。

2020年、那覇空港近くに漂着したマッコウクジラは、さまざまな事情によってすぐに処理されず、結果として2カ月間にも渡ってそのまま放置されることとなったそうだ。埋設処理に至るまでの2カ月間の様子はきちんと記録され、報告書にまとめられている(参考2)。それによると、時とともに腐敗が進み少しずつ骨が脱落しつつも、遺骸はずっと沈まずに海洋を漂っていたそうだ。報告書の最後には「マッコウクジラの海洋投棄をする場合は、数カ月後でも再浮上して船との洋上事故が起こる可能性がある」との注意喚起がなされている。

■マッコウクジラの骨は鯨骨生物群集を形成しない?

つまり、今回の海洋投棄のように「マッコウクジラが全身丸ごとで海底に沈む」という現象は、実は自然界ではあまり起きていない可能性が高いということだ。彼らの遺骸は、死後、長期間、海表面を浮遊し、少しずつ分解され、ポロポロと海底に骨を落としながら漂流していくのだろう。

『月刊海洋』2008年7月号に掲載されている「浮く鯨と沈む鯨 その分解過程から推定される異なった鯨骨生物群集の成立プロセス」という記事の中では、「頭蓋骨と脊椎骨が同所的に存在する可能性は低いと思われる」と書かれている(参考資料1)。とはいえ、鯨骨生物群集ができないというわけではなく、おそらく、個別に海底に沈んだ個々の骨をよりどころに、小さな鯨骨生物群集がいくつも形成されるのだろう。

ちなみに、2002年に鹿児島でマッコウクジラ14頭の集団座礁が起きた時には、1頭は救助、1頭は埋設され、12頭が海洋投棄となっている(参考3)。この時、海洋投棄になったものたちについては、2003〜2005年に無人探査機ハイパードルフィンを使った海底調査が行われ、鯨骨生物群集の形成に関わる貴重な知見が得られている(参考4、5)。ただし、そこに成立した生物群集は、自然界のマッコウクジラのそれとは異なる可能性も指摘されている(参考1)。

写真=iStock.com/NaluPhoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/NaluPhoto

■遺骸の海洋投棄は自然に沿った行いなのか

さて、今回、陸上への埋設と海洋投棄の二つの選択肢が挙げられていた。SNS等の投稿を拝見していると、埋設を「ヒトの手による不自然な行動」、海洋投棄を「より自然界の流れに沿った行動」と考える方々が一定にいるような印象を受けた。

今回の調べ学習を通じて改めて思ったことは、ヒトの手が加わる以上、どうしても自然界での現象とは若干のズレが生じてしまうということだ。当然のことながら、遺骸の埋設は、自然界では生じない。しかしそれは海洋投棄も同様で、マッコウクジラの遺骸がそのまま全身で沈むことも自然界ではめったに起こらないようだ。

私たちは、こうした自然界との“ズレ”の影響がどれほどなのかをまだほとんど知らない。どちらも自然界では起こりにくい“不自然”な現象といえる気もするし、どちらも「海中・土中の生き物によって少しずつ有機物の分解が進む」という点では“自然”の流れの一部とみなせるような気もする。現時点の知見では、どちらがより自然でどちらがより不自然なのか、判断するのは難しいだろう。

■埋没処理し骨格標本にしたいという希望も

処理費についても、「海洋投棄の方が埋設に比べて明らかに低コストである」と思っている方が多いように見受けられた。今回、多くの専門家が「陸上に引き上げて埋設し、可能ならば骨格標本にしましょう」という意見を挙げていたが、これについて「陸上での作業の方が間違いなくコストがかかる」「専門家はコスト度外視だ」といった意見を見かけた。しかし、国立科学博物館が公開している「海棲哺乳類ストランディングデータベース」を調べてみると、海岸に漂着した大型クジラを埋設した場合は1頭約200万、埋設と焼却を組み合わせたケースでは約400万、海洋投棄したケースでは400万ほどかかっていることがわかる(参考6、7、8)。

ただし、ほとんどのケースでは処理にかかった金額は記載されていないため、かかった費用を知ることができるのはごくわずかな事例のみだ。これらが平均的な金額なのかは判断しかねる。さらに気をつけなければならないのは、従来の埋設事例の多くは「海岸に漂着したクジラをその場で埋めた」というものであるため、川岸から埋設地まで曳航して移動する必要があった本件とは状況は異なっている。曳航や引き上げには手間暇も費用もかかることは想像に難くないので、今回の例は従来よりも随分高額になるのではないかと予想される。

■土運船で紀伊水道沖まで運んだ今回の費用は…

一方で、海洋投棄にも、錘つきのクジラを積載できる大型の船(今回は土運船)を動かすのに必要な燃料費がかかる。今回のケースでは、従来の海洋投棄例よりも随分遠くまで移動しており、紀伊水道沖までの片道10時間ほどの燃料費がかかっている。素人の私からすると一体それがいくらになるのかは想像もつかないが、決して安いものではないだろう。

費用以外の観点でも、埋設処理の場合は、土地の確保についても考えなくてはならない。海洋投棄も同様に、「漁業に影響が出ず、再浮上したとしても再漂着や洋上事故が起こらない投棄ポイント」を調整する必要があっただろう。また、海洋投棄は埋設処理に比べて事例が少ないため、経験やノウハウの蓄積があまり多くないという難しさもある。

これらのことを踏まえると、今回の件は「こちらの処理の方が明らかに安価で自然に沿った方法である」と第三者が簡単に判断できるものではなかったように思われる。予算・経験値・時間など、複数の要素が混じり、関係者の方々が議論と検討を重ねて「海洋投棄」との判断になったのだろう。

■博物館の骨格標本がいかに貴重なものか

今回の調べ学習を通じて、「自然界の流れに沿っているように“思える”」「より安価な“気がする”」ことが、本当にそうなのかは、きちんと調べて確認する必要があるのだなと改めて感じた。また、各地の博物館が保管・展示している大型クジラ類の骨格標本がいかに貴重なものなのかということを再確認するきっかけとなった。1990年から2021年までに大阪湾にたどり着いた計7頭のクジラたちは、全て骨格標本となって今もなお保管されている。これらは決して当たり前のことではなく、予算獲得や現場作業、もろもろの調整に奔走した方々のおかげなのだ。貴重な骨格標本がじっくり観察できることに、改めて感謝したい。

最後に、今回の記事は、あくまで生物学者である私の視点からの考察だ。当然、見落としている観点や「素人の浅知恵での勘違い」はあるだろう。それでも「実際はどうなんだろう?」と調べてみることで、新たなことをたくさん知ることができたことは間違いない。

写真=iStock.com/typhoonski
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/typhoonski

■「調べ学習」ができるのは先人たちの研究があるから

こうした調べ学習ができたのは、先人の研究者たちの地道な活動と、国立科学博物館の「海棲哺乳類ストランディングデータベース」などの知見の蓄積があったからだ。日本国内には、年間300頭ほどのクジラ類が漂着しているとも言われ、多くの方がその都度対応にあたっている。「海棲哺乳類ストランディングデータベース」では、漂着した点にポイントが打たれた地図を見ることができるし、過去の事例の詳細を確認することもできる。

例えば、1987年には漂着したクジラを食べて集団食中毒が起きたこと(参考9)、2008年には定置網に入り込んで死亡したクジラを販売して集団食中毒が起きたこと(参考10)、などの事例も掲載されている。2000年に静岡県内の海岸に生きたマッコウクジラが流れ着いた際には、救助に844万円を費やしたものの、最終的には残念ながら死亡してしまったとの事例も記録されている(参考11)。

■埋没されたあと骨格標本になったザトウクジラ

データベースを眺めていくと、かつて筆者が解剖に参加した「2010年に千葉県館山の海岸に漂着したザトウクジラ(体長約10m)」の事例を発見した。作業後の状況を全くフォローしていなかったのだが、このザトウクジラは一度埋設されたあと、沖縄県名護市から「骨格標本として引き取りたい」との要望があり、3年後に無事掘り起こされたらしい(参考12)。

こんなふうに複数の自治体によって標本化が達成されることもあれば、骨格標本にする予定で埋設したものの、予算の折り合いがつかず、埋まったまま放置されることもよくあるそうだ(参考13)。埋設時にかかる費用は、骨格標本にするかしないかで大差ないので、たとえ掘り起こせなかったとしても損するわけではない。海洋投棄が「海に還した」ならば、埋設後に放置することとなったケースは「土に還した」というわけだ。

今回の記事では、オンラインで読むことができる記事や、誰でも利用できるデータベースを多数引用して執筆した。これらを利用することで、誰でも“調べ学習”を行うことができるはずだ。「よく知らないけれど、きっとこうだろうな」といった印象で終わらず、少し調べてみると、新たな知見や意外な発見が待っているかもしれない。

※参考文献
1.大越健嗣(2008)『浮く鯨と沈む鯨 その分解過程から推定される異なった鯨骨生物群集の成立プロセス』(『月刊海洋』40号)
2.岡部晴菜et al. (2021)『那覇空港に漂着したマッコウクジラ 腐敗の経過観察と鯨体の処理方法について』(令和3年度沖縄ブロック国土交通研究会)
3.村田敏雄(2002)『マッコウクジラ集団座礁の顛末記』(海洋政策研究所ニュースレター第42号)
4.窪川かおる et al. (2007)『鯨骨生物群集の形成とその特殊性』(化学と生物Vol.45, No.6)
5.藤原義弘(2004)『集団座礁したマッコウクジラのその後―無人探査機「ハイパードルフィン」を用いた潜航調査概要』(日本ベントス学会誌,59)
6.科博登録ID:3534
7.科博登録ID:5563
8.科博登録ID:4418
9.科博登録ID:993
10.科博登録ID:5693
11.科博登録ID:2556
12.科博登録ID:6591
13.田島木綿子(2021)『海獣学者、クジラを解剖する。 海の哺乳類の死体が教えてくれること』(山と溪谷社)

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郡司 芽久(ぐんじ・めぐ)
解剖学者
東洋大学生命科学部生命科学科助教。東京大学農学部を卒業し、同大学院農学生命科学研究科で博士号を取得。帝京科学大学アニマルサイエンス学科非常勤講師、国立科学博物館学振PD、筑波大学システム情報系研究員を経て2021年4月より現職。キリンの解剖学者として知られ、『キリン解剖記』(ナツメ社)、『キリンのひづめ、ヒトの指 比べてわかる生き物の進化』(NHK出版)などがある。
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(解剖学者 郡司 芽久)