人は最期を迎えるにあたって意識が混乱する「せん妄」の状態になることがある(写真:mapo/PIXTA)

人は死を迎える直前、突然、人格が変わったかのような変化を見せることがあります。家族は戸惑いや不安を覚えますが、事前に知識を得ておけば不安や悲しみを緩和することができます。本稿は緩和ケア医・四宮敏章さんの著書『また、あちらで会いましょう』を一部抜粋・再編集のうえ、末期の患者によくみられる「せん妄」の状態や、その原因・治療法などについてご紹介します。

人格を豹変させる「せん妄」とは

患者さんが亡くなる最期の数週間で起こる症状として、夢と現実の間を行ったり来たりするような状態があります。会話のつじつまが合わず、いつもと違う行動を取ってしまうことが、最期の数週間にはよく起こります。人によっては、激しく興奮したり、点滴を抜いたりするような行動を取ったりもします。

その様子から、急に認知症になってしまったのではないか、麻薬を使って頭がおかしくなったのではないかとご家族は不安に思います。しかし、こうした変化は認知症や精神疾患によるものではありません。「せん妄」と呼ばれる状態であることが多く、原因を取り除くことで治療が可能です。

「せん妄」とは、体調の悪さなどが原因で、一定の期間、意識が混乱することです。ぼーっとして、注意力が散漫になった状態を考えていただければ、わかりやすいと思います。その結果、さまざまな精神症状を起こします。

まず、時間感覚や場所などがわかりにくくなります。これを見当識障害といいます。また、夜眠れなくなり、昼間に寝てしまう、昼夜逆転も起こります。急に怒り出したり、暴れたりする人もいます。幻覚が見えるようにもなります。

これらの症状は1日のなかで変化します。昼間はしっかりしていたのに、夕方になると急に暴れ出すといった人もいます。こうした急な変化にご家族が驚かれるのは当然です。

前述したとおり、せん妄には原因があります。その原因を突き止め、対処することでせん妄は改善していきます。私たち医療者は、せん妄の原因を3つに分けて考えており、それぞれ「準備因子」「直接因子」「促進因子」といっています。

準備因子とは、その人がせん妄になりやすい要素をもっているかどうかの因子です。具体的には、70歳以上の高齢であること、認知症や脳の病気があること、以前せん妄を起こしたことがあるなどです。

薬剤が要因になることも

直接因子は、せん妄を起こすきっかけとなるもののこと。まず薬剤。医療用麻薬、ベンゾジアゼピン系といわれる安定剤、睡眠薬などが多いです。次に、身体の状態です。感染を起こしたとき。脱水が起こったとき。さらには、肝臓、腎臓が悪くなったとき。脳転移や脳の血管障害などでも起こります。

最後の促進因子は、せん妄を促進する原因です。直接にはせん妄を起こしませんが、これらがあると、せん妄が悪化してしまいます。痛み、呼吸困難、便秘といった不快な症状がそれにあたります。環境の変化、感覚障害、精神的ストレスなども促進因子と考えられています。

一例を挙げて、せん妄はどのようにして発症するのか考えてみたいと思います。78歳のがん患者さんが、肺炎で入院しました。翌日、眠れないのでベンゾジアゼピン系の睡眠薬を服用したところ、病院にいることがわからなくなり、家に帰ろうとして看護師に引き止められました。

この場合、まず患者さんが高齢であることが準備因子です。そして肺炎という身体の状態、睡眠薬という薬剤の服用が直接因子です。入院するという環境の変化は促進因子となります。これらの因子が関わることで、せん妄が起こったと考えられます。

この患者さんについては、肺炎の治療をし、せん妄を起こしやすいベンゾジアゼピン系睡眠薬から、せん妄を起こしにくい睡眠薬に変更して、入院生活に慣れることで落ち着いてきました。

場合によっては、せん妄に対する医療者の認識不足が原因で、患者さんとそのご家族がつらい思いをされることもあります。もし、がんの進行が悪化している状態で、おかしな言動を取るようになったとしても、医療者から何の説明もないこともあるかもしれません。

でも、本稿を読まれたみなさんは「せん妄」だとおわかりになりますよね。ですから、患者さんの言動に対して否定するようなことを言うのではなく、「不思議だね、でもみんなそばにいるから大丈夫だよ」などと言って安心させてあげてください。

実際に、正しい診断ができていなかったと思われる患者さんが、ホスピスでの治療によって正常な意識に戻った例もあります。

80代の男性の患者さんで、前立腺がんで骨転移があり、抗がん剤治療をしていましたが、病状が進行して治療ができない状態になったので、ご本人とご家族の希望でホスピスに入院しました。入院時はほぼ寝たきりで、食事もほとんど取れず、意識もかなり低下しており、会話も成立しないような状態でした。

1週間の治療で意識は正常に

娘さんは「前の主治医からは残された時間は1〜2週間くらいだろうと説明を受けており、覚悟はしています」と話されました。画像や検査データを確認したところ、がんの進行は思ったほどではないように見受けられました。しかし、電解質の検査データ、特にカルシウムの値が異常で、それが原因でせん妄になっているのでは、と予測を立てました。

そうお伝えすると、娘さんは「じつは前の病院で夜中に刃物を持って暴れたので、警察も呼ばれて大騒ぎになったんです。それでもうこれ以上は入院させられないと言われ、ホスピスを紹介されました」とのこと。

私は前の病院からの申し送りがなかったので驚きましたが、ご家族に「患者さんは、がんで身体のバランスが崩れ、それが原因でせん妄という精神症状になっている可能性があります。前の病院で暴れたのも、その症状かもしれません。もし治療ができるなら、患者さんの症状は回復する可能性もあります」とお伝えしました。

その後、電解質バランスを整える治療を行ったところ、1週間くらいで患者さんの意識は正常に戻っていきました。

彼はホスピスに来たときのことをまったく覚えていませんでした。前の病院でのことを尋ねると、「前に病院に入院していたとき、悪魔のようなものが私を殺しにきた。それで自分やみんなを守ろうとしていただけなんだ。本当に怖かった。あんなつらい目にはもう二度と遭いたくない」とおっしゃっていました。せん妄が患者さんを苦しめていたのです。正しい治療を行うことで患者さんは元気を取り戻し、ホスピスを退院し、自宅へ帰ることができました。

せん妄も、終末期が近づくにつれ回復が難しくなってきます。これを「終末期せん妄」といいます。終末期になり、余命が近づいてくると、さまざまな症状が出現します。痛みや呼吸困難、倦怠感、食欲低下、嘔気・嘔吐などの身体症状は多くの方が経験します。さらに、気持ちのつらさやせん妄といった精神症状も起こります。

終末期におけるせん妄は90%近くの方が経験するともいわれています。つまり終末期には誰しもが経験する精神症状です。しかも終末期せん妄は、原因が多岐にわたることに加えて、それらが悪化するため回復が困難になっていきます。

会話ができないままのお別れも

終末期せん妄となった患者さんの多くは、夜間の不眠を訴えます。これを放っておくとさらに悪化してしまい、患者さんを苦しめます。だから薬剤を使用して、睡眠を確保してもらうことが大事です。

せん妄になると、意識がぼんやりとして、きちんとした会話ができなくなります。最期はしっかりと、お別れの言葉を言ってから見送ろうと思っていても、終末期せん妄になると、患者さんからの言葉がないままのお別れになるかもしれません。

そのような最期を避けるため、ご家族には次のようにお伝えします。「終末期せん妄は、大事な方とのお別れのサインのひとつです。ご家族にとって重要な話は、患者さんの意識がはっきりとした元気なうちに話しておくことをおすすめします。また、せん妄で意識がぼんやりしているといっても、ご家族がそばにいて、手を握ってあげると、患者さんはとても安心されます。ご家族がそばにいることは、必ずわかるのです。私たち医療者は、せん妄によるつらい症状を放っておくことはしません。苦痛は必ず取れるので安心してください」

せん妄は患者さんご本人にとっても苦しく、また終末期せん妄はしっかりとお別れができないという点で、ご家族もつらい体験であるとお話ししました。

しかし、終末期せん妄は単につらいだけではありません。むしろ、気持ちが穏やかになったり、死の恐怖が減るといったプラスの側面もあるのです。

せん妄の症状のひとつに、幻覚・幻視があります。ありえないものを見たり感じたりすることです。がん患者さんの場合、一般的に幻視が多いように思います。小人がいる、小さい虫が這っているなどです。

終末期せん妄の患者さんも同様に幻視の症状が起こりますが、そのなかで、両親などのすでに亡くなった人や、クリスチャンであればマリア様のような自分が尊敬していた人物が現れ、自分を迎えにきたとおっしゃるケースが少なくありません。


宮城県で在宅医療をされていた岡部健先生がこのことを「お迎え体験」と名づけました。岡部先生はこの「お迎え体験」を調査し、なんと4割以上の患者さんが「お迎え」を体験したと報告しました。また、「お迎え」を体験した患者さんは在宅で亡くなった患者さんに多く、しかもその方々は、ほとんどが穏やかな最期であったそうです。

岡部先生は「お迎え体験によって、患者さんは死に対する不安感が解消され、ご家族も安心して見送れる」と述べています。

私も看取りの現場で、終末期になったがん患者さんのお迎え体験を何度も経験しています。お迎え体験は、あの世に帰る予行演習のようなものではないかと思えたりもします。夢と現実を行ったり来たりすることがせん妄だといいましたが、この世とあの世とを行ったり来たりするのが終末期せん妄かもしれません。

あの世が本当に存在するのか、人は死んだらどうなるのかについては、誰にもわかりません。人それぞれの死生観や宗教観に基づく考えがあるだけです。私自身は、医学という科学の世界で仕事をしていますが、同時にあの世の世界を信じています。

(四宮 敏章 : 奈良県立医科大学附属病院教授、緩和ケアセンターセンター長)