大手メディアが統一教会以外の宗教団体に関する報道に消極的なのはなぜなのか

安倍晋三元首相への銃撃事件を受け、盛んに報道されるようになった世界平和統一家庭連合(以下、統一教会)の2世問題。しかし、大手メディアは統一教会以外の宗教団体に関する報道には消極的だ。宗教2世問題を追い続けてきた筆者が、オウム事件以降の宗教報道を振り返る。

前編「統一教会以外の宗教団体名を伏せる大手メディア」

「空白の30年」と呼ばれる期間も、「カルト問題」のうち目を引く事件や騒動、スキャンダルはそれなりに報道されてきた。しかし調査報道や問題提起報道は活発ではなかった。

私自身、2004年にライターとして開業したものの、カルト問題について書ける媒体がほとんどなかった。そこで2009年に、ジャーナリストの鈴木エイト氏などの仲間たちと「やや日刊カルト新聞」というニュースサイトを開設した。それ以降、一般メディアがいかにカルト問題を避けているかを一層痛感することになる。

スキャンダルにも反応しなくなった10数年

統一教会と国会議員の関わりについては、2004年に朝日新聞が、自民党の衆議院議員(2021年に落選)が関連団体から献金を受けたことを報じている。しかし献金に関する報道はこれが最後。献金以外については、前編で触れた2006年の安倍晋三官房長官(当時)らによる教会への祝電問題が最後だ。

昨年、安倍氏銃撃事件が起こるまで、国会議員に関するこの手の新聞報道はなかった。2021年に安倍氏が関連団体の大会にビデオ出演した時ですら、新聞・テレビは反応しなかった。

この空白期間に、統一教会と政治家の関係を記事にしてきたのは、鈴木エイト氏と、鈴木氏の記事を連載してきた扶桑社の「ハーバー・ビジネス・オンライン」(2021年にサイト全体の記事配信を停止)。そして単発だと、鈴木氏や私のルポを掲載した雑誌や「日刊ゲンダイ」くらいだった。安倍氏のビデオ出演も、「やや日刊カルト新聞」で第1報を出したのは鈴木氏だ。

統一教会以外についても同様だ

「やや日刊カルト新聞」創刊直前の2009年夏、幸福の科学が「幸福実現党」を結成し衆院選に337人もの大量の候補者を立てた。このこと自体は全国ニュースになったが、この教団の過去の問題を報じた新聞は当時ゼロだ。

2014年に、詐欺罪で服役していた法の華三法行教祖・福永法源氏が出所し、翌2015年に信者たちを集めて「復活祭」を開催。福永氏は詐欺罪とは認めないと言い放ち、信者たちと相変わらずの「最高ですか〜!」「最高で〜す!」の掛け声を披露した。まったく反省はなかった。

これを時事ニュースとして報じた一般紙やテレビはない。私は潜入取材の映像を「やや日刊カルト新聞」で公表した。複数のテレビ局から映像を貸してほしいと依頼が来たが、「潜入取材の映像は使えない」「すでに罪を償った人の顔や名前は出せない」という理由で、結局、放映されることはなかった。

2015年に山梨県河口湖町で高校生が祖父母を殺害する事件が起こった。幸福の科学の2世信者で、教団が運営する学校への進学費用目当ての犯行だった。『週刊新潮』がこれをスクープし、「やや日刊カルト新聞」が公判の傍聴レポートを掲載したが、新聞は幸福の科学にいっさい言及しなかった。

2016年の参院選では、浄土真宗親鸞会の現役信者・柴田未来氏が、石川選挙区の野党統一候補となった。民進党(当時)が擁立し、機関紙「しんぶん赤旗」で親鸞会を名指しでカルトと報じていた日本共産党までもが推薦した。「日刊ゲンダイ」がスクープしたものの、ほかの一般メディアは完全に沈黙。もちろん「しんぶん赤旗」もだ。

第2次安倍政権下の2017年。宗教団体「不二阿祖山太神宮(ふじあそやまだいじんぐう)」の関連イベントで、安倍昭恵氏が名誉顧問を務め、70人近い与野党の現役国会議員、首長、地方議員が顧問についている問題を「日刊ゲンダイ」がスクープ。偽歴史書に基づくオカルト的歴史観で「富士古代王朝」の存在をアピールする内容もあるイベントなのに、教育委員会や文科省まで後援についていた。

イベント紹介記事を掲載した一般紙はいくつもあったが、昭恵氏や政治家や行政機関の関係を報じたものはない。それどころか、地方メディアのほか、全国紙では朝日新聞社や読売新聞西部本社まで後援についていた。

2019年に、医療否定の教義を持ちワクチン接種も控えるよう指導していた「救世神教(きゅうせいしんきょう)」で、2世信者たちの、はしかの集団感染が発覚。東海地方では信者以外の人々にも感染が広がった。

当初、教団自身も行政も団体名を公表せず、一般メディアはこれに従った。団体名を特定して報じた「やや日刊カルト新聞」の記事は、鈴木エイト氏の単独スクープだった。

事件やスキャンダル含みの出来事すら大手の報道がなかったケースは、枚挙にいとまがない。おかげで「やや日刊カルト新聞」の独自記事や、その記者たちが一般メディアで書く記事は、たいてい単独スクープだった。あまり注目されなかったが。

「空白の30年」が深刻化していった後半は、第1次安倍政権のスタートと重なる。しかし安倍氏や自民党が懇意にしていた統一教会に限った空白ではない。つまり「政治の力」だけの問題ではなく、メディア側の姿勢や体質の問題も大きい。

「勧誘に注意」、でも団体名は伏せる

前編で登場した「摂理」(キリスト教福音宣教会)の問題が大きく報じられた2006年以降、全国の大学にカルト対策が広まった。一般紙が春先に「カルト勧誘に注意」と呼びかけたり、大学関係者などによる取り組みを紹介したりするケースも散見されるようになった。

ここで奇っ怪な現象が生まれる。注意喚起の記事なのに、具体的な問題団体を名指ししない新聞記事が多数発生したのだ。これでは、何に注意すればいいのかわからない。

大学関係者の間で話題に上る団体は、おおむね決まっている。オウム真理教、統一教会、摂理、浄土真宗親鸞会、顕正会などだ。niftyの「新聞・雑誌記事横断検索」で「カルト AND 勧誘 AND 注意」を検索すると、2007年以降、2022年12月19日までに154件の記事がヒットする。うち「オウム」というワードが登場する記事は3分の1程度しかない。

「統一教会」もほぼ同じで、「摂理」は21件。「親鸞会」は2件、「顕正会」1件あるが、いずれも一般紙での記事はゼロだ。

「摂理」は現在も日本で偽装勧誘を展開しており、2018年以降、全国の支部に当たる複数の教会が各府県でそれぞれに宗教法人格を取得している。信者数は2006年当時の2倍近い約4000人と見られる。宗教法人化については私自身が2019年に『デイリー新潮』でレポートしたが、それ以外の一般メディアでは話題になっていない。

2022年10月には、教祖が出所後に再び性的暴行を行ったとされる容疑で、韓国で逮捕された。

安倍氏の事件後も残る「不合理な慎重さ」

そんな中、状況が変わりつつあったのが2世問題だ。

安倍氏銃撃事件よりはるか前の2013年から、2世自身による手記の書籍出版が相次いでいた。2021年までに少なくともエホバ2世の手記が6冊、ヤマギシ会2世の手記が2冊。キンドルでの自主刊行ながら統一教会2世の手記もあった(『カルトの花嫁』として2022年11月に書籍化)。2世自身によるネット発信も活発化しており、2020年にはウェブサイト「宗教2世ホットライン」が開設される。

「静かなブーム」に目をつけたのか、2020年にAbemaTV(現ABEMA)が、2021年にはNHKが別々の番組で3本、2世問題を特集した。しかしいずれも団体名を伏せた。

クローズアップされたのは統一教会やエホバの2世。つまり組織的に深刻な問題を生み出してきた団体だ。しかしNHK「かんさい熱視線」の1本を除いて、組織側の問題にほとんど触れていなかった。中には、露骨に「親子の関係」に矮小化してみせる番組もあった。2世問題をネタにはするが、団体への批判に当たりそうなネガティブ要素は極力そぎ落とすという「不合理な慎重さ」だ。

そして前編で触れたように安倍氏銃撃事件後も、多くのメディアがエホバ2世による記者会見などがあっても団体名を報じない。不合理な慎重さが解除されたのは統一教会についてだけだ。

2022年2月には、「集英社マンガ削除問題」が起こる。さまざまな教団出身の2世たちの体験談を取り上げた菊池真理子氏のマンガ『「神様」のいる家で育ちました』が集英社のウェブサイトで連載されていたが、幸福の科学からの抗議をきっかけに集英社が全話を削除。3月に連載終了を発表する。

この時、「幸福の科学」を名指しした報道は、週刊誌『FLASH』のみ。文藝春秋からの単行本化がたまたま安倍氏銃撃事件後になったこともあって、この作品はあらためて注目される。ここで10月28日に毎日新聞が不可思議な記事をウェブ配信した。マンガの削除問題に触れているのに幸福の科学の名がないのだ。それでいて、記事にはこんな一節が。

〈今、菊池さんが危惧するのは、旧統一教会だけが追及されて終わること。「どんな宗教でも、家庭で子どもの信教の自由が侵害されていれば、それは人権問題です。決して旧統一教会だけの話じゃない」〉

これこそ、統一教会だけを追及して終わらせる記事ではないか。こんな自己矛盾をきたしてもなお不合理な慎重さを捨てきれずにいる。

ブームが過ぎたら元通り、では困る

「新聞・雑誌記事横断検索」では、安倍氏銃撃事件が起こった7月8日以降の約5カ月間で、「統一教会」「統一協会」が登場する記事は3万4143件(12月31日時点)。地下鉄サリン事件があった1995年の1年間のオウム真理教に関する報道3万2389件を、すでに上回った。一見、空白の30年が大きく崩れたかのように見える。

しかも今回は内容面でも、カルト的な集団について過去に繰り返されてきた瞬発的な時事報道とはまったく様相が異なる。政治家の問題、金銭被害、2世問題など多岐にわたるテーマで、独自の取材によって事実を掘り起こすものや、被害の救済や予防につながる問題提起的な報道が目立つ。それが事件から半年近く経っても収束しない。十分とはいえないものの政界も大きく動いた。

いま大手メディアは、優秀な人材を集めた組織ジャーナリズムの本領を遺憾なく発揮している。中央の大手に比べて体力的に余裕があるわけでもないはずの地方メディアも、同様だ。

しかしこれだけでは、ほかの宗教団体の報道ではいまだ残る不合理な慎重さを断ち切ることはできない。これができなければ、「統一教会ブーム」が落ち着いた後、再び暗黒の空白がやってくる。

事件の前も後も、現場の記者たちの熱意をそぐのは、各社の「上の人たち」だ。安倍氏銃撃事件が起こる1年ほど前、私は統一教会以外のカルト的な集団の報道をめぐって、大手新聞の記者からこんな言葉を聞かされた。

「訴訟にならなくても抗議文が来るだけで、社内で上司の責任問題になる」

各社の上の人たちには、こうした自社のあり方を再考し、現場の記者たちが存分に問題意識をはっきできるよう、しっかり守って後押ししてほしい。すでに発揮されている大手メディアの本領を、統一教会問題だけにとどめてしまうのはもったいない。

(藤倉 善郎 : ジャーナリスト)