それはともかく、1点差以内の試合が61.6%を占めるサッカーの特性と相性がいいのはリーグ戦で、トーナメント戦ではないことは明白だ。野球はそこまで接戦ではない。昨季のペナントレースに目をやれば、各球団143試合戦って、引き分け数はわずか平均2~3試合だ。野球はトーナメント戦との相性がサッカーより何倍もいい。競技の特性と高い親和性がある。甲子園の高校野球がトーナメント制で行われることは、サッカーの高校選手権がトーナメント制で行われることより、遙かに必然性がある。

 サッカー行事はなぜ、競技の特性と親和性が高いリーグ戦ではなく、そうではないトーナメント戦で行われるのか。答えは分かりやすい。短期間で済むからだ。期間限定での開催となるイベント性を優先すれば、どうしてもそこにしわ寄せが行く。

 サッカーのW杯も、筆者が初めて取材に出かけた1982年大会までは16チームで開催されていて、2次リーグを行う余裕があった。トーナメントは準決勝と決勝に限られていた。本大会出場国は1986年から24チーム、1998年から32チームに増えた。次回2026年大会からは48チームに増えるのだという。48チームを32チームに絞るところまでをリーグ戦で行い、そこからは、あらかじめ山組が決まっているトーナメント制で、一気に日程を消化するのだという。期間は32チームで争われたこれまで同様、およそ1ヶ月だ。PK戦は今大会の発生率がこれまでの12試合で4試合(3割3分3厘)なので、次回の32試合では10試合を超えるだろう。

 サッカーの特性からこれまで以上にかけ離れた大会になる。そこで目標はと問われた時、ベスト16とか、ベスト8以上と言われても、ハイそうですかと納得することはできない。数字のみを目標にし、ベスト8以上を収めれば、「新しい景色を見た」とすることに抵抗を覚える。あくまでも数字は一つの目標に過ぎないのである。問われるべきは中身だ。スペイン、ドイツ、クロアチアと10試合戦って何回勝てそうか。1勝なのか、2勝なのか、推理するしかない。PK戦に勝つ方法を考えるのもいい。点取り虫になるのもいいが、国力を知る方法として、W杯のみに頼ることは、そろそろやめるべきではないかと考える。別の価値観を持ち合わせていないと、日本の現在位置は明らかにならない。

 ベスト16以降の決勝トーナメントが、ホーム&アウェー戦で争われるチャンピオンズリーグ(CL)と比べると、W杯のフロック率は2倍だ。クロアチアにPK戦負けしし、ベスト16に終わった今回の結果を、惜しかったと残念がる気持ちは湧かない。もしPKに勝ち、準々決勝に進んでいたら、日本は狂喜乱舞していたに違いないが、トーナメント戦の結果に一喜一憂する姿は、サッカー的とは言えないのだ。問われているのは、複合的にものを見る目だ。代表監督選びもそうでなくてはならない。本来、幅広い議論が求められているはずだが、こちらの思いとは別の方に進んでいる様子が、遠くドーハの地から透けて見える。W杯至上主義から脱するタイミングだと筆者はみている。

 蛇足ながら、W杯至上主義を貫くのであれば、なぜ、続投の意思があるらしい森保監督以下、日本代表スタッフはベスト16で敗退するや、さっさと帰国してしまうのか。現場でベスト8以降の戦いを見て、糧にしようとしないのか。情けないし、どこか嘘臭い話とはこのことである。