不採用からの復活劇 戦闘機F/A-18「ホーネット」初飛行-1978.11.18 二大メーカーの法廷闘争の行方は?
原型の愛称は「コブラ」って知ってた?
永遠のライバル F-16との初顔合わせ
1978(昭和53)年11月18日、アメリカ製の艦上戦闘機F/A-18「ホーネット」が初飛行しました。双発エンジンと、外側に傾斜した2つの垂直尾翼を備えているのが特徴のこの機体は、長らくアメリカ海軍や同海兵隊の主力戦闘機として重用されています。
空母に着艦するアメリカ海兵隊のF/A-18C「ホーネット」(画像:アメリカ海兵隊)。
アメリカ海軍の艦載機といえば、映画『トップガン』などで一躍知られるようになったF-14「トムキャット」の方がメジャーかもしれませんが、数の上で主力を務めていたのはこのF/A-18「ホーネット」の方でした。
この機体は、アメリカのマクダネル・ダグラス(現ボーイング)が開発しましたが、実はノースロップ社が開発したYF-17「コブラ」という戦闘機が原点になります。また、いまでこそF/A-18はアメリカ海軍機というイメージが付くようになりましたが、原型のYF-17はアメリカ空軍向けに作られた陸上機だったのです。
YF-17「コブラ」はアメリカ空軍が打ち出したLWF(軽量戦闘機)計画に則って開発された機体でした。この計画は、後にACF(空戦戦闘機)計画へと変わり、YF-17はジェネラル・ダイナミクス社(現ロッキード・マーチン社)のYF-16とともに競争試作に供されます。その結果、空軍が選んだのはYF-16の方。この機体は後にF-16「ファイティングファルコン」として世界的ベストセラー戦闘機へと成長していきました。
こうしてYF-17は空軍機としては不採用となりますが、「捨てる神あれば拾う神あり」で、なんと海軍が艦載機として興味を持ちます。海軍は同時期に次世代の戦闘攻撃機開発を目指すNACF(海軍航空戦闘機)計画を進めており、空軍のACF計画の候補機から採用することにしたのです。そして、YF-16とYF-17を比較した結果、艦載機としてはYF-17が採用されることになりました。YF-17が選ばれた理由のひとつは、単発のYF-16に対して、YF-17が双発エンジンで信頼性が高いことが大きかったからだとも言われています。
“ファイター”と“アタッカー”の二刀流
ただ、YF-17は前述したように陸上機として設計・製作されていたため、艦載機として通用するよう作り直す必要がありました。具体的には、艦載機として必須となる強化された着陸脚や、アレスティングフックの増設、翼面積の拡大と折り畳み機構の新設などです。なお、この改修作業には設計元のノースロップに加えてマクダネル・ダグラスも加わって進められたそう。加えて、エンジン並びにレーダーも、より高性能なものへと変更、こうしてF/A-18A「ホーネット」が誕生しました。
F/A-18の原点となった試作機YF-17「コブラ」(画像:アメリカ空軍)。
当初、アメリカ海軍の計画では、F/A-18は対空戦闘用のF-18、対地攻撃用のA-18、それに複座訓練用のTF-18、この3種類が作られる予定でした。しかし、技術の進歩によってレーダーなどのアビオニクスが高性能になり、単一の機体で対空と対地の両方が実施可能であると判断されたことから、F-18とA-18は統合されることになったのです。
こうして、ファイター(対空)とアタッカー(対地)の両方の名前を持つ、今日のF/A-18という型式名が生まれました。ちなみに、TF-18の名称は複座型の名称として一時的に使われましたが、最終的には単座型をA型、複座型をB型と呼ぶようになっています。
1980(昭和55)年には量産初号機がアメリカ海軍に納入され、運用と空母適合性テストが実施されます。1982(昭和57)年にはパイロットを教育するための艦隊転換飛行隊に配備が始まり、翌1983(昭和58)年にはアメリカ海兵隊において実任務部隊での運用を始めました。
艦載機として実績を積み上げていく一方で、原型機を作ったノースロップ社は陸上機として、別モデルの開発を進めます。F/A-18に追加された艦載機としての装備は陸上機として運用する場合には不要な物であり、ノースロップ社はこれを取り払って軽量化した陸上専用機を生産。空母を持たないアメリカ以外の外国軍隊へ輸出することを目指しました。
6年も続いた法廷闘争の結末は?
元々、F/A-18の生産ではマクダネル・ダグラスとノースロップが半分ずつ担当していましたが、艦載機の主契約社と最終組立はマクダネル・ダグラスが担っており、ノースロップは原型機を開発したとはいえ、得られる利益は少なく抑えられていました。そこで、ノースロップは自社が主導権を握れる仕事として、この陸上型を開発することを決めます。
HC-130Jと並んで飛ぶアメリカ海兵隊のF/A-18C「ホーネット」(画像:アメリカ海軍)。
この陸上型はモデル名「F-18L」と呼ばれ、カナダやギリシャ、スペインなどに売り込みが掛けられました。しかし結局、どの国も具体的な契約を結ぶことはありませんでした。さらに、不調な海外セールスからの焦りからか、ノースロップはマクダネル・ダグラスのF/A-18が輸出の障害になると考え、1979(昭和54)年には同社に訴訟を起こす自体にまで発展したのです。
この時の詳しい経緯は諸説ありますが、約6年の歳月を経て最終的にはマクダネル・ダグラスが約5000万ドルを支払って和解。その後、F/A-18の生産でも引き続きノースロップは下請け企業として部品の生産を担いましたが、陸上型F-18Lの海外セールスは不発に終わり、和解の時点で開発も打ち切られています。
法廷闘争にまで発展したF/A-18ですが、その後の生産と開発は順調に継続されていきます。1987(昭和62)年からは性能が向上したC/D型の生産がスタート。裁判での和解によって海外セールスも堂々とできるようになったため、オーストラリア、カナダ、フィンランド、マレーシアなどへ輸出され、その総生産数は1480機にも膨らんでいます。
初飛行から40年以上が経ち、後継機であるF/A-18E/F「スーパーホーネット」が開発されたこともあって、現在は退役が進んでその数を減らしています。なお、一番のユーザーであったアメリカ海軍の空母からは2018年を最後に姿を消し、現在は一部の支援部隊でのみの運用となっていることから、「NAVY」と機体に入ったF/A-18「ホーネット」が現役で空を飛ぶのもあと少しなのかもしれません。