大阪にある少年野球チーム「山田西リトルウルフ」が話題だ。小学生部員120人の大所帯を束ねる“おばちゃん”こと棚原安子さんは82歳にして、現役のノッカー。子供に野球の技術を教えるだけでなく、ユニフォームを自分で洗わせ、監督への電話も子供本人にさせる。プレジデントFamily編集部が、子供が野球を通じて生きるうえで大切なことを学び、親がその成長を見守る様子をルポした――。

※本稿は、『プレジデントFamily2022夏号』の一部を再編集したものです。

撮影=森本真哉

■試合中1人だけ仁王立ちの82歳

ウワァーッという歓声と、両手に持つ赤い応援メガホンを打ち鳴らして、母親らがグランド内一塁側の応援エリアで盛り上がる。1回表の攻撃で山田西リトルウルフが、連続ヒットで2点を先制した場面だ。

2022年4月23日(土)午前10時半過ぎ、晴天に恵まれた大阪府高石市立高砂公園野球場。第42回全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメント大阪府予選の第1回戦、東大阪ヤングパワーズとの試合が行われていた。続く三塁手の西村多央(たお)( 12)のセンター前ヒットなどで2点を追加。ライトを守る熊野瑛太(12)が見逃し三振で攻守交代になったが、試合開始早々に一挙4点をあげた。

『プレジデントFamily2022年秋号』(プレジデント社)

30、40代の母親たちがキャンプ用のミニチェアに座って応援する後方で、終始仁王立ちの棚原安子(82)が異彩を放っていた。府大会でもベスト4の常連で、創部51年目を迎えた強豪チームを、彼女は夫の長一(ちょういち)(84・チーム名誉会長)とともに、イチからつくり上げた。

棚原自身は中学生から実業団までソフトボールの選手。29人の6年生が今春卒業しても総勢約120人という部員数は、少子化とサッカー人気に押され気味の少年野球では、全国的にも突出している。プロ野球オリックス・バファローズの強打者T‐岡田選手をはじめ、チームOBは1200人を超える。

だが、棚原に肩書はない。大人のコーチや小学1年の選手、保護者からも「おばちゃん」と呼ばれる。リトルウルフはその後も順調に加点し、10対2で5回コールド勝ちした。

■ユニフォームは子供自身に洗濯させるワケ

試合中に珍しい光景を目にした。

次戦に備えて球場外でウオーミングアップ中の他チームの小学生選手らが時折帽子をとり、棚原に金網越しに挨拶をしにやって来たこと。しかも彼らの視線が、有名なプロ野球選手を見るような憧れを宿していて、棚原はその度に「こんにちは」とにこやかに応じていた。

今年3月下旬のNHK総合テレビで放送されたドキュメンタリーで、棚原を軸にチームのユニークな取り組みが紹介されたからだろう。彼女は「自分のことは自分でする」をモットーに、小学1年生から練習や試合で使ったユニフォームは子供自身に洗濯させる。

週末の練習場所や時刻の確認も、子供が棚原に電話で行う場面などが放送された。年長者への挨拶や言葉遣いを、低学年から身につけさせるためだ。

撮影=森本真哉
大阪府予選第1回戦を大勝した山田西リトルウルフの小学6年生たちが、保護者らに大きな声でお礼の挨拶。 - 撮影=森本真哉

だが、母親に頼めばやってくれそうなことを、同世代にやらせている棚原に、他チームの子供たちが憧れる理由とは何か? おそらく80歳を超えてなお、内外野にゴロやフライを軽々と打ち分ける溌剌(はつらつ)とした姿や、野球への尽きない情熱と愛情を、子供たちなりの感性で受けとめた末の敬意の表れなのだろう。少年たちのあのきらきらとした眼差しは、それ以外に説明がつかない。

■高度な練習が、基本の大切さを教える

23日午後から2試合目を戦う6年生チームを離れ、棚原は大阪府吹田市内で予定される小学3年生以下の練習に向かった。自宅近くの小学校の運動場での、3時間の練習中に驚かされたことが二つある。

まずは2人1組のキャッチボール後に行われた、守備のランダウンプレー練習。2人の選手が塁間で走者をはさみ、ボールを持った選手がタッチアウトにするプレーだ。投手役の選手が三塁手に牽制(けんせい)球を投げ、三塁走者が飛び出し、本塁との間にはさまれた設定で練習が反復された。まだ1対1のキャッチボールさえうまくできない選手が、通常行うレベルの練習ではないはずだ。

ところが、反復するうちに捕手役と三塁手役の送球が正確さを少しずつ増し、逃げる走者に見事にタッチする回数が増え、子供たちから歓声が上がった。そうか、鬼ごっこの要素もある練習だと気づかされた。

撮影=森本真哉
まだ機敏に動けない3年生には、彼らが動かなくて済むようなゴロやフライを正確に打ち分ける。 - 撮影=森本真哉

「確実にアウトにするには、走者をよく見て、相手に正確なボールを投げるコントロールを身につける必要があります。一見地味なキャッチボールという基本に、子供たちに緊張感をもって取り組ませるためのツーランク上の練習です。でもね、ランダウンプレーの練習後に、再びキャッチボールをさせると、とんでもない悪送球を投げよる。まだ3年生やと集中力が長く続かへんねん」

棚原はそう言って苦笑した。

一方で、見学中の母親たちに近づくと、棚原は子供たち数人が食事時にお箸をグー握りで使っていた、と話し始めた。茶碗を持たない片手食べにも言及。社会人になって上司や取引先の人と会食する際、恥をかくのは本人だから、小学生の間に直しておくべきと強調した。何度も反復して体に覚えこませるのは、野球の基礎練習も礼儀作法も同じだから。

小学3年生部員の母親に話を聞くと、

「おばちゃんから『子供に口うるさく言わず、何事も自発的にやらせなアカン』と言われ、翌週の前半は私も口にチャックができているんです。でも後半になるとゆるんできて、つい口出ししてしまいます」と、正直に明かしてくれた。子供によるユニフォームの洗濯について尋ねると、ミニ洗濯板派や洗濯ネットに入れての手もみ派などがいた。

■親が信頼すれば子供は考えて行動する

23日夕方、午後の2回戦も辛勝した試合後、二つの家族に棚原宅に立ち寄ってもらい話を聞いた。冒頭紹介した熊野、西村両選手と両親。

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熊野健史・晶子・瑛太。 - 撮影=森本真哉

熊野瑛太は大学3年と高校3年の兄、中学2年の姉との4人兄姉(きょうだい)。2人はリトルウルフOBだ。小学1年で入部した瑛太は、週末の練習場所などをおばちゃんに電話で尋ねた際に、とても緊張したと振り返った。大人にかける初めての電話で、母親は何も教えてくれなかったからだ。

「最初は何て言えばいいのか、わからなくて……。年長者が電話を切ってから、自分が切るのが礼儀やというのも、そのときに教わりました」

副キャプテンを務める西村多央は、中学3年の兄と小学5年の妹の3人兄弟。「中学や高校で寮生活になっても、自分のことを自分でできたら、その分(野球の)練習時間も増やせると思います」と、将来も見すえた答えを口にした。2人とも人見知りしてモジモジなどせず、胸を張ってはきはきと答えていた。

瑛太の母親である熊野晶子は、自身が2人姉妹で育った分、長男の子育てには当初戸惑い、棚原の教えをもとに、親子で頭の構造を変えてもらっていったと話す。

ユニフォーム洗濯中の瑛太。(撮影=森本真哉)

「瑛太は朝起きるのが苦手です。でも、私が口やかましく起こすよりは、目覚まし時計のアラームを自分でセットして寝ると、起きてからも割とてきぱきとやるんですよ。まっ、目覚ましで起きるようになったんは、2日前からなんですけどね」

……えっ! 話にオチをつけようとするのは大阪人の習性。晶子は知らん顔で瑛太が遊びに出かける際の、自身の取り組みに話題を変えた。

「私が『どこへ行くの?』『誰と行くの?』と、つい根掘り葉掘り聞くと、子供も高学年になると嫌な顔をします。だから子供を信頼して、『夕ご飯は7時からやで』とだけ伝える。すると、7時前にはちゃんと帰ってきて、どこで誰と遊んできたとか瑛太から話してくれます。『あっ、おばちゃんの言う通りやったわ』って」

大学生の長男も先日アルバイト先で、大人への言葉遣いや挨拶がきちんとできると褒められたという。

「チームで教わったことで、本人は当たり前やと思ってたけど、他の学生が意外とできないから、『おばちゃんのおかげやな』と気づいたって、先日話してくれました」(晶子)

成果がすぐに見えない分、自立心の育成はわかりにくい。だが、普段の生活態度と野球のプレーはつながっているという見方もある。

■生活態度と野球のプレーの共通点

多央の母親である西村洋子は、おばちゃんの言う通り、親が普段細かく指図しないと動けない子に、野球の試合でだけ自分で考え、素早くプレーしろと言っても無理と話す。「宿題や、学校に翌日持っていくものの準備など、自分で考えてさっさとできなかった頃の多央は、野球の守備練習でも一歩目が遅い(一歩前に出てボールを素早く処理すること)部分がありました」(洋子)

父親の友宏も元野球少年だが、日常生活と野球とのつながりなど、当時の自分は意識したこともなかったと率直に語ってくれた。

練習用のお茶を入れる西村多央。(撮影=森本真哉)

チームは平日練習をしない。野球や家事以外にも友達と遊んだり、ゲームをしたり、もっと言えばダラダラしたりするのも、小学生の間にやらなあかんこと。それも含めていろいろなことを経験して大人になっていくから、野球だけを子供に強要してはいけないという、名誉会長の棚原長一の考え方に根ざしている。

そのシンプルな考え方にも友宏は影響を受けていると話す。

「僕も、他人に迷惑をかけないとか、命を危機にさらすようなことはしないなどに限定すれば、子供を叱る回数は自然に減っていきました」

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西村友宏・洋子・多央・帆乃。 - 撮影=森本真哉

それまで黙って聞いていた棚原が、ここで口を開いた。

「多くのお母さんたちは、週末の家事を手伝わない旦那さんをボロクソに言うのに、自分の子供には『勉強しろ』とは言っても、『家の用事を手伝え』とは言わない。小学生で手伝わないと、中学生で反抗期が来たら絶対やりませんよ。その子がそのまま社会に出たら、旦那さんの二の舞になるとわかるはずやのに、なぜかそこがつながらない」(棚原)

■子供を「守る」親と「見守る」親

チーム総監督11年目の棚原徹(55)はおばちゃんの三男。4男1女の3番目だ。4歳の頃に花火が右目に当たる不慮の事故以降、右目の視力が著しく悪い。それでもおばちゃんは5歳の徹をチームに入れ、他の子たちと一緒に練習させた。手加減は一切なしで見守った。

時々試合に出る補欠選手のまま卒部。高校まで野球を続けたが、卒業後はチームとの接点は皆無だった。後に転居で吹田市内に戻り、長男が小学4年でチームに入部後、徹はひょんなことから3年のチームコーチを始めた。

当時ある母親が自分の子を退部させると言いに来た。練習も頑張っているのに試合に一度も出してもらえない、もう我慢できませんと。

「こういう親は今も多いんですが、おばちゃん(安子)がえらい剣幕で怒ったんです。『あんた以上に悔しい思いをしているのはあの子やろ! それでも守備のときはベンチから、攻撃のときには一塁コーチとして大きな声で、仲間に声援や指示を送ってくれている。

試合に出たい気持ちをこらえて、少しでもチームの力になろうとしてくれている、あの子の頑張りがあんたには見えてへんのか。子供が我慢を重ねているのに、親のあんたが我慢できひんとは、一体どういうことなんや!』と」(徹)

指導者としてのおばちゃんの本気にそばで初めて触れたことが、徹が少年野球に本腰を入れてみようと決心した理由の一つ。従来は子供の親たちが年度ごとに監督やコーチを務めていたのをやめ、徹はチームOBやその父親たち約30人を監督やコーチにすえ、おばちゃんの役割を組織として分担できる仕組みに移行してきた。

撮影=森本真哉
チーム総監督11年目の棚原徹(55)はおばちゃんの三男 - 撮影=森本真哉

選手9人で10対0で完勝する野球ではダメなんですと、徹は続けた。

「たとえ10対9まで追い上げられても、控え選手全員を出場させ、経験を積ませる洞察力と度量が監督には求められます。打撃と守備は頼りなくても足が速ければ代走に起用し、その子が追加点のホームを踏めばハイタッチして、『次は守備を頑張ろな』と言えば、子供は自発的な努力を惜しまなくなる。そんな経験を積ませるのがウチの野球です」

冒頭の1回戦でも選手14人全員を出場させていた。

一方のおばちゃんは、120人もの部員がいるから、1、2人辞めてもかまわないとはけっして考えない。

「子供たちは世の中の預りものやから、子供をチームから辞めさせようとする親御さんにも、私は必死のパッチで立ち向かっていくんです」

小学生時代は補欠でも、中学や高校でレギュラーになる選手も多い。社会に出れば、努力をしても試合に出られない以上に理不尽なことが待ちうけている。徹は言う。

『プレジデントFamily 中学受験大百科2022』

「多くの親御さんは、思うようにいかない現実に直面すると、『うちの子がかわいそうや』という気持ちが先走り、子供を抱え込んで守ろうとしてしまう。でも、子供が頑張っている以上、親も距離をとって見守るべきなんです。その『守る』と『見守る』の使い分けが苦手ですね」

親の過干渉を減らし、子離れと親離れをうながして社会に出ても苦境に屈しない、自立心旺盛な20歳に育て上げる。小学生の生活力育成と野球技術の向上を両輪に、チームが見すえる目線の長い人間教育がそこにある。コロナ禍で3年前からできていないが、中高生のチームOBをおばちゃん宅に招いてクリスマス会を毎年開催。卒部生たちのその後にも目を配ってきた。

1200人を超える子供たちを、50年以上も見守ってきたおばちゃんは、「大人が考えている以上に子供たちは賢いし、高い能力を秘めているんやからね」と締めくくった。(文中敬称略)

(ルポライター 荒川 龍)