全国に気動車急行を普及させたキハ58系は、エンジンが旧式で出力が低く、冷房化が難しいという問題も。そこで1969年、新型キハ65形気動車が登場します。この形式、後にかなりユニークなバリエーションも生まれました。

特急形以上の500馬力エンジンを搭載

 国鉄の気動車開発は、エンジンに悩まされた歴史でした。国鉄は1960(昭和35)年より特急形気動車キハ80系を登場させ、翌年に同じエンジンの急行型気動車キハ58系を登場させたのですが、この両者のエンジンは、1台180馬力とパワーがありませんでした。

 なぜならこのエンジンの基本設計は戦前に遡り、設計が旧式だったからです。1935(昭和10)年製のガソリンエンジンをディーゼルエンジン化したものが、1951(昭和26)年に完成したDHM17形というエンジンですが、出力は150馬力のままでした。その後1958(昭和33)年に180馬力へと改良されたものの、過給機での出力向上も失敗してしまいます。


JR予讃線で使われていた頃のキハ65形気動車(画像:写真AC)。

 国鉄はキハ80系登場と同じ1960年に400馬力のエンジンを試作しますが、試験結果は思わしくなく、結果的にキハ80系とキハ58系にはDMH17形が2台搭載され、計360馬力とされたのでした。

 しかし1960年代中期より、急行列車でも冷房装置の搭載が求められるようになります。ただ2台エンジンのキハ58系(形)は床下が埋まっており、冷房用エンジンの搭載が不可能でした。特に勾配路線では冷房用の電源車となるキハ28形も連結できず、冷房化はなかなか進みません。

 また、搭載した変速機の問題から「勾配路線では自転車に抜かれる」ほど出力が低下し、これは気動車特急・急行の競争力を低めていました。そして2台エンジンであることは、保守や車両製作コストの点でも問題でした。

 1966(昭和41)年、国鉄は新型エンジン1台を搭載したキハ90形(300馬力)と、キハ91形(500馬力)を試作します。このキハ91形の仕様を基本として、1969(昭和44)年に登場したのが、キハ65形急行形気動車です。

新幹線整備や電化など、時代の波に洗われ…

 キハ65形は500馬力のDML30HSD形エンジンを1台搭載し、さらに冷房用エンジンも搭載しました。キハ58形と異なり、空気ばね台車を採用して乗り心地も向上させています。

 側窓は同時期の12系客車と同じ、上段下降・下段上昇のユニット窓に変更。側扉も12系客車と同じ2段式折戸を採用しています。座席間隔もキハ58系の1470mmから1580mmに拡大したため、指定席車として多く使われました。なお、キハ58系との併結が前提のため、便所と洗面所は設けられず、最高速度は95km/hのままでした。

 キハ65形は暖地仕様の0番台85両と、寒地仕様の500番台17両が製作され、中央線の急行「アルプス」「きそ」など、北海道・東北・関東を除く各地に投入されます。


キハ65形の車内(安藤昌季撮影)。

 しかし路線の電化により、投入されて数年で165系電車に置き換えられる急行が登場するなど、順風満帆とはいえませんでした。加えて1980年代に入ると、新幹線の建設や急行の特急格上げなどにより急行が大幅に削減され、キハ65形はローカル線用の普通列車としても起用されます。

 しかし、大出力エンジンは普通列車用としては性能過剰で、かつ保守点検にも手間がかかるなどの問題がありました。さらに折戸が災いして、通勤用としての改造がしづらいことや、トイレがないことなども普通列車としての運用を難しくしました。一方で四国鉄道文化館の加藤館長によると、「ブレーキの効きがキハ58形よりもよいので、通勤用としても運転はしやすかった」とのことです。

 それほど古くないこともあり、キハ65形は団体列車や特急用として活用するための改造も行われます。1986(昭和61)年、国鉄は七尾線直通のいわゆるジョイフルトレイン、特急「ゆぅトピア和倉」用として、側窓を固定化して展望席を設け、さらに便所と洗面所、リクライニングシートを設けたキロ65形を登場させます。

観光列車やトロッコ列車へも改造

 キロ65形は485系特急形電車と併結し、120km/h運転に対応するために台車・連結器の交換も行っています(併結時は無動力とし、ブレーキのみ協調)。

 前面に展望席を設置して、特急形に匹敵する接客設備を持たせたのが「ゴールデンエクスプレスアストル」(団体用)や「エーデル丹後」(電車特急「北近畿」併結用)、「エーデル鳥取」、「エーデル北近畿」でした。これらは接客設備の改善が主で、走行性能は基本的に急行時代と同じでした。

 また1989(平成元)年、JR東海は急行「かすが」用のキハ58・65形の座席をリクライニングシートに交換。そして1991(平成3)年に快速「みえ」用として、台車枠を交換し110km/h運転に対応した改造車5000番台を投入します。キハ65形の大出力エンジンが高速化に貢献した事例でしたが、2001(平成13)年にキハ75形に置き換えられ、廃車されました。

 なお、リクライニングシート化は、JR西日本の急行「砂丘」、JR九州の急行「由布」「火の山」「えびの」(一部は回転式クロスシート)用のキハ65形にも施行されました。


「ゆふいんの森」(I世)に使われるキハ71形。キハ58・65形の改造(画像:JR九州)。

 中でも徹底的な改造が行われたのは、1989(平成元)年に登場した、特急「ゆふいんの森」用JR九州キハ71形でしょう。2003(平成15)年にエンジンまでも換装されたとはいえ、台車のみ現役です。

 同社のほかの改造例を見てみます。1988(昭和63)年より団体列車「サルーンエクスプレス」「ジョイフルトレイン長崎」「ふれあいGO」用として改造されますが、こちらは1994(平成6)年に廃車され短命で終わりました。その後は2003(平成15)年、トロッコ列車「TORO-Q」牽引用としてキハ65形36号車が登場。大分〜由布院間で運行されますが2013(平成25)年の廃車をもって、キハ65形は形式消滅しました。

 このように各地で活躍したキハ65形ですが、速度や接客設備を含め「気動車急行」というサービスがやや時代に追いつかず、早期に撤退に追い込まれたことは惜しまれます。

 2022年現在、保存されているキハ65形は四国鉄道文化館(愛媛県西条市)の34号車のみです。34号車は座席のバケットシート化がなされている以外はほぼ原形であり、在りし日の急行形気動車を観察することが可能です。