“鉄道の後始末”続くニュータウン 桃花台のピーチライナーなぜ15年で廃止 地域は呪縛から解放?
愛知県にて、わずか15年半で廃止された「ピーチライナー」こと桃花台新交通の施設撤去工事が進行中。短期間で廃止に至った鉄道と引き換えに代替バスを得た地域はいま、利便性が向上しています。
営業期間は15年半、撤去に10〜15年?「ピーチライナー」の廃線跡を巡る
2022年現在、愛知県小牧市で 「ピーチライナー」こと桃花台新交通・桃花台線の高架線や駅施設の解体工事が進められています。
ピーチライナーは小牧駅から、北東の丘陵地に広がる桃花台ニュータウン内の「桃花台東駅」までの全長7.4km。東京のゆりかもめなどと同じく、ゴムタイヤの車両で、コンクリート造の高架上を走行していました。2006(平成18)年の廃止後も撤去費用の分担が定まらず設備の大半が残されていましたが、2015(平成27)年に愛知県から全区間撤去の方針が打ち出され、近年ようやく作業が本格化しつつあります。
終点だった桃花台東駅跡ではループ状の折り返し設備の撤去が続く(宮武和多哉撮影)。
名古屋鉄道(名鉄)小牧駅の西側にあったピーチライナーの小牧駅は、更地化がほぼ完了。ループ状の折り返し設備の下部にあり、柱に阻まれ窮屈そうだった駐輪場はすでに閉鎖されていますが、撤去工事ののちまた駐輪場として活用されるそうです。なお駅跡地は新しいバスターミナル・タクシーロータリーに転用されます。
また桃花台ニュータウン内では、終点である桃花台東駅の手前の中央自動車道と交差する約100m区間が先行して撤去済み。現在では、桃花台東駅や変電所の更地化がほぼ完了しています。今後はここを工事作業のスペースとして活用し、終端部の折り返しループ橋の撤去にかかる予定です。
ただこのループ橋は橋脚6基が100m強の鋼製橋桁を支える構成で、高さは目の前にある8階建てのマンションの5階ほど。2022年度にはループ橋手前を、翌年には残り部分を撤去するという大掛かりな工事スケジュールとなっています。
ピーチライナーが開業したのは1991(平成3)年、そこから2006年の廃止まで、運行期間は15年少々でした。撤去には約10〜15年間、約130億円を費やす見込みです。建設の目的を果たしたと言い難いピーチライナーは、どこで目算が狂ったのでしょうか。
鉄道失敗の原因は「小牧線の接続問題」だけではなかった!
ピーチライナーが伸び悩んだ最大の要因は、やはり桃花台ニュータウンの人口の伸び悩みでしょう。1971(昭和46)年の計画発表当初、5.4万人と見込まれていた人口は、オイルショックの影響をもろに受けて1978(昭和53)年には4.7万人、1983(昭和58)年には4万人と計画を縮小、実際には最盛期でも2.8万人ほどに留まりました。
このためピーチライナーは桃花台から名古屋市内への移動シェアを獲得できず、1日約3万人が利用するという当初見込みに対し2000〜3000人ほど。低迷の原因は、決して人口だけではなく、「名古屋市内と直接つながっていなかった」「そもそも団地をほとんどカバーしていなかった」ことが挙げられます。
桃花台西駅はまだ手付かずで残っている(宮武和多哉撮影)。
小牧駅で接続する名鉄小牧線は、地下鉄上飯田線と直通する現在と違って、終点の上飯田駅から地下鉄名城線の平安通駅まで800mの徒歩連絡が必要でした。この問題は通勤手段として鉄道が選ばれないだけでなく、居住地として桃花台が選ばれない遠因ともなりました。
またニュータウンは約300ヘクタールと広大であるにもかかわらず、ピーチライナーでカバーされていたのは一部地域のみ。ニュータウン内は駅から離れた場所も多く、起伏もあり、桃花台の住民のうち鉄道を利用していたのは、わずか6%ほど。国道155号に近い地域の人々を中心に、マイカーの利用率が極めて高くなっていきました。
示されなかった「鉄道を作ってみた」の“次”
そして小牧市や県が進めたニュータウン周辺の開発のあり方も、鉄道の存在を忘れたかのようなものでした。ピーチライナー沿線は学校や集客施設から外れ、途中駅の周りは土地区分もが「工業地域」のままで、誘致されたのは鉄道利用に結びつきにくい物流企業ばかり。いずれも駅から1〜3kmほどの距離にある名古屋経済大学、尾関学園高校(現・誉高校)、小牧総合運動場などをめぐり、ピーチライナーの経営の悪化がかなり進んでから鉄道の利用促進策が検討されたものの、「時すでに遅し」状態でした。
建設当初の新聞・ニュースや各種資料を見ても、「桃花台〜小牧駅に鉄道を建設してみた」の“次の一手”(集客策や宅地→駅への輸送など)を検討した形跡がほぼなく、前出した2003(平成15)年の小牧線・地下鉄上飯田線の直通開始と同時に運賃値下げ(乗客は増加するも経営が全く好転せず)など、開業後の動きも場当たりなものが目立ちます。
名鉄小牧線の列車。味美駅にて(宮武和多哉撮影)。
加えて、運行システムが採用例の少ない規格(VONA)だったこともあり、設備の更新時期を乗り越えられず廃止に至りました。
なお小牧市ではこの他にも、ピーチライナーの開業に合わせて整備した小牧駅西口のペデストリアンデッキ(空中回廊)が老朽化により近年撤去されたばかり。こちらも集客の多い複合施設「ラピオ」から駅まで つながっておらず、通過人数が1日200人以下という利用実態も問題となっていました。
後始末が続く鉄道 かたや地域は「バス転換で便利になった」?
鉄道廃止から16年が経過したいま、桃花台ニュータウンには鉄道の代替バスとなる小牧駅行き(ピーチバス)の他に、JR中央本線の高蔵寺駅、春日井駅方面、そして名古屋市内直通のバスが発着しています。
しかしこれらのバスは、かつてほとんど存在せず、バス路線開設の要望も「鉄道があるから」との理由で却下続き。桃花台新交通の主要株主が名鉄ということもあってか、地域最大手の名鉄バス(子会社)が動く気配はなく、ニュータウンの将来に影を落としていました。
この状況に痺れを切らした桃花台の自治会は、地元のタクシー会社に委託する形で、JR春日井駅方面方面への会員制バスの運行を開始(その後路線バスに移行)、現在の廃止代替バス「ピーチバス」につながっています。
桃花台東駅前に停車する「ピーチバス」。バス停名は「大城」(宮武和多哉撮影)。
なおピーチライナーの廃止後に廃止代替バスへ移行した際は、JR春日井駅、高蔵寺駅方面、栄・名古屋駅方面直通などの系統は想定より実績を伸ばし、廃止路線と同じルートをたどる桃花台〜小牧駅間は今ひとつだったとのこと。桃花台〜小牧駅という移動ルートそのものが伸び悩んでいたことが伺えます。
「鉄道→バス転換」は時として地域に大きな損失となるケースもありますが、ピーチライナーの場合は「バス転換で便利になった」という声も強く、鉄道がある意味“呪縛”となっていた節も見られます。建設に至ったものの「どう使われるのか」という前提がなく、実力を発揮できなかったピーチライナー。その名残が消えるまで、あと十年ほどかかりそうです。