「こんなクルマのために働けない」女性社員に愛想を尽かされた社長が乗っていた車種【2022編集部セレクション】
※本稿は、小宮一慶『経営が必ずうまくいく考え方』の一部を再編集したものです。
■急成長企業に起きた異変
独立して2年目、1997年のこと。お客さまの一つだったその中小企業は、勢いに満ちていた。私たちはその会社で、主に社員教育を月に1、2度行なっていた。
雑貨を取り扱う商社で、年間の売上高は約40億円。利益も数億円出ていた。中小企業としては上々の成績だ。東京都心に小さいながらも3棟のビルを所有し、大阪にも事務所があった。
一代でこれだけの会社を作った社長は、かなりの才覚と手腕の持ち主だったと言える。いつ会っても、事業欲とアイデアとエネルギーに満ちあふれていた。
その目的は、ひたすら、もっと儲けて会社を大きくすること。事業欲が強く、目的がそこに終始していることに一抹の危うさを感じないではなかったが、業績の好調ぶりがすべての危惧を打ち消していた。駆け出しのコンサルタントの私も、それに惑わされていた。
社員の給与も高かった。当時の私には、従業員の満足度も高いように思えた。志がないわけではなかったが、「事業を大きくして稼ぐ」という社長の思いに皆が従っているように見えた。
ところが、同年の夏に状況が一変する。突然社長から「資金繰りが苦しい」と聞かされた。わけを聞くと、銀行から厳しい対応を迫られているのだという。
■バブル崩壊の「貸し剥がし」で資金繰りが悪化
背景には同年の金融危機がある。銀行の健全性を保つため、銀行は一定水準の自己資本比率を維持すべし、とする国際的なルールが制定されることとなったのだ。
銀行としては、利益を上げて、自己資本を高めることが、これに対応するベストな方策である。しかし、バブル崩壊による不良債権処理で危機に瀕している金融機関は、もっと手っとり早い方法を選んだ。総資産の圧縮だ。そのために、銀行は「貸し渋り」と「貸し剝がし」に走った。
この会社も、その対象となった。
都心の3棟のビルは、バブル期にほぼ全額を借金して購入したものだった。バブル崩壊後は資産価値が3分の1に下落。銀行から見れば、不良債権以外の何物でもない。期日がくるたびに全額返済を言い渡された。
私も社長と一緒にいくつかの銀行を回ったが、対応は予想以上に厳しかった。メインバンクは、3棟のビルのみならず、社長の自宅や家族の住まいまでも担保にとっており、その回収をはかってくる。準メイン以下の銀行も、当然、融資をしてくれない。燃料の補給が断たれ、残された燃料が尽きるまで、どれだけ飛びつづけられるかの問題になった。
■給料が遅延し、社員の退職が相次いだ
こういうときにまずやるべきは、正確な資金繰り表を作ることだ。そして、それと横にらみで、とにかくやるべきことをやらないといけない。
しのげる限りしのいだが、12月にはいよいよ危うくなってきた。
このころになると、社員も危機を察していた。資金難を知った卸業者が商品を納入しないため、異変が起きていることを感じざるをえない。
11月にナンバー2の専務が退職したのを皮切りに、社員の退職も相次いだ。
給料の支払いが遅延し、ボーナスもなし。それにもかかわらず、社員の仕事量は減らなかった。人数が減った分、残された社員の負担はむしろ増していた。
日に日に寒くなる中、オフィスで長時間の残業をする社員たちを痛ましい思いで見た。
■社長の金儲けのために働く人はいない
クリスマス直前に、最後の研修をした。
社長は決して最後とは言わなかったが、私は資金繰りを知っていたので、翌月は研修ができないことが明らかだった。顧問料が入ってこないことも分かっていた。プレゼントのつもりで、最後の仕事に臨んだ。
寒い土曜日だった。冬至に近い季節、しかも雨天とあって、午後4時でも外は暗かった。
すっかり人数の減った社員を見渡し、最初に、一人ずつ、今の思いを語ってもらうことにした。このことは、その後の私のコンサルタント人生に大きな影響を与えている。
一人目は、ベテランの男性社員。口ごもりながら、ゆっくり話しはじめた。
「長年お世話になった会社だし、仕事も面白い。自分にはある程度の蓄えもあることだし、この仕事を続けられたらと願ってはいます。しかし、そんな自分でさえ、時々見失うんです。自分が何のためにこの仕事をしているのか、なぜ毎晩遅くまで忙しくしているのか、分からなくなってきました」
何のために、という言葉が刺さった。
社長は、資金繰りに困るようになって、とにかく稼ぐことに必死になった。もともと志がなかったわけでもないだろうが、資金繰りに困った会社はとにかく稼ぐことが第一となりがちだ。
■社長の「セルシオ」に向けられた厳しい視線
続けて立ったのは、まだ入社2年目の女性。
彼女の言葉を、私は一生忘れない。彼女は開口一番、こう言ったのだ。
「社長のセルシオのために働いていると思うと、アホらしくって働けない」
社長の高級車は私も知っていた。銀行回りのとき、同乗させてもらったことがあったからだ。だが、あの車が彼女にそんな思いを抱かせていたとは、想像だにしなかった。
実際のところ、若い彼女は会社の全体を当然知らない。会社を立て直すには、億単位のお金が必要だった。たかだか数百万円にしかならない中古のセルシオを売ったところで何の意味もない。
しかし、一社員の目から見ると、あの車は贅沢の象徴だったのだろう。それを売って、数万円でも良いから給料を払ってほしかったのだろう。
■理念なき経営は金の切れ目が縁の切れ目
この会社は、理念も志もはっきりしなかった。社長はお金や自身の事業欲のために会社を経営した。とくに、資金繰りに困ってからはその傾向が強くなった。そして、金の切れ目とともに多くの社員が去った。残った者は、苦しんだだけだった。
社長の金儲けのために働こうと思う社員などいない。それは社長が受けとる恩恵であり、社員はそこに関心など持たない。
社長が自らの仕事に社会的な意義を見出し、志を社員に語り、皆で共有していたなら、この危機にあっても頑張れたかもしれない。もしかすると、社員の踏ん張りで奇跡を起こせたかもしれない。もっと言えば、高い志や理念があれば、こんな危機に陥らなかったかもしれない。
もちろん、奇跡は起こらなかった。翌1998年の1月最初の営業日、会社は倒産した。年末に期日を迎えた手形を落とせなかったのだ。銀行の仕事始めだったその日が、最後の日となった。
この一件を経て、私は以前にも増して、経営者の志や会社のビジョンや理念を重要視するようになった。
会社の強さの原動力となるのは、そこで働く人たちの「働きがい」にほかならない。働きがいの一番の源泉は、お客さまや働く仲間、ひいては社会に喜んでもらうことだ。もちろん、お金も働きがいの源泉とはなるが、仕事そのものの喜びを感じることが先決だ。
「働きがい」という言葉を思うとき、私の頭の中には、いつもあの白いセルシオがよみがえる。
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小宮 一慶(こみや・かずよし)
小宮コンサルタンツ会長CEO
京都大学法学部卒業。米国ダートマス大学タック経営大学院留学、東京銀行などを経て独立。『小宮一慶の「日経新聞」深読み講座2020年版』など著書多数。
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(小宮コンサルタンツ会長CEO 小宮 一慶)