中島みゆき、囁かれる“引退説”を初めて語った! 吉田拓郎の引退には「キャハハ」と笑みを浮かべて
間違いなく日本の音楽史に名を刻んだ、生きる伝説のシンガー・ソングライター、中島みゆき。『地上の星』や『糸』など、数々のヒット曲を世に送り出してきたことは改めて言うまでもないだろう。
【貴重写真】メディア露出が少ない中島みゆきを独占直撃!(2022年8月)
今年2月で古希を迎えた彼女だが、'20年に“ラストツアー”と銘打った全国ツアーを開催するも、新型コロナの影響で中止になった。そこから2年半─中島の動向がいっさい聞こえてこないままだ。
「日本音楽界のシンガー・ソングライターのパイオニアである吉田拓郎さんは、年内で歌手活動を終了する予定です。昭和歌謡界のスターである加山雄三さんも、今年いっぱいでコンサートは引退。井上陽水さんにも引退するのではとの報道がありましたが、中島さんも70歳と高齢ですから続けて……と業界関係者たちの間では囁かれています」(スポーツ紙記者)
メディア露出も減、公に発信する場はなくなって
一世を風靡したスターたちが引退し、ひとつの“時代”が終わろうとしている─。
北海道出身の中島は、'75年に歌手デビューの登竜門であった『ポピュラーソング・コンテスト』で入賞。同年ファーストシングル『アザミ嬢のララバイ』でメジャーデビュー。'77年にリリースした『わかれうた』がミリオンセラーに。一躍、人気歌手の仲間入りを果たしたが、その私生活はベールに包まれている。
「中島さんは、メディアへの露出がとっても少ないんです。'02年と'14年に出場した『NHK紅白歌合戦』でも、スタジオではなく中継での出演でした。一方で、'13年にスタートしたラジオ番組は約5年間にわたって続けていました。それも'18年に終了しており、中島さんが公に発信する場所がなくなってしまいました。理由は、ライフワークである『夜会』に集中したいということでしたが……」(前出・スポーツ紙記者)
『夜会』とは中島が'89年から行っている音楽劇のこと。
「『夜会』は中島さんが、脚本から舞台で歌われる曲の作詞作曲、主演までも務めています。舞台のために中島さんが書き下ろした新曲が歌われるのです。というのも、誰も聴いたことのない曲が、どれだけ観客に届くのか“言葉の実験場”として行っているそうです」(音楽ライター)
現在も不定期開催としているが、
「一部報道では、全国ツアーはもうやりませんが、単発でのコンサートは行っていくとのこと。もちろん『夜会』も続けていきたいと中島さんが話しているそう。全国ツアーは連日の移動から、その間も喉のケアなど繊細な体調管理が求められます。ほかの大物歌手もそうですが、高齢となった中島さんにだって大きな負担となるはずです。中島さんの生歌を聴きたいと思っている人は全国にいるでしょうから、今後は単発のコンサートでいいので活動を続けることを期待したいのですが……」(同・音楽ライター)
しかし、こんな話も。
「中島さんは拓郎さんの大ファンなんです。かつては追っかけまでしていたそうですから、拓郎さんの引退を機に自分も“歌じまい”と考えたのかもしれませんね。デビューして45年以上たちますし、一緒にコンサートを作ってきたスタッフも高齢になって引退する人も少なくありません」(レコード会社関係者)
さまざまな臆測が飛び交うが、本人の胸の内は─。
8月中旬、中島の姿は36℃を超える猛暑日となった東京・渋谷にあった。
私もいい年ですからねぇ
白のレースカーディガンを羽織り、スリムジーンズというラフな格好。足元はイタリアのセレブなマダムに人気のブランド『ルコライン』のスニーカー。片手で引いているキャリーバッグは“高齢者向けではない、若者に向けたデザイン”を売り文句にしたスペイン発のブランドだ。
気になるのは、その荷物の多さ。キャリーバッグのほかにも、大きなボストンバッグを肩にかけ、警視庁のマスコットキャラクター『ピーポくん』のキーホルダーが取り付けられたリュックサックを背負い、ネックポーチまでぶら下げている。
ただし、通り過ぎる人はもちろん、中島とは気がつかない。そこで週刊女性が話を聞こうと声をかけると、
「あらあら、暑いのに……本当にご苦労さまですねぇ」
と、低音の歌声とはまったく違う、甲高い声でおっとり話す。引退説の真相は?
「アハハハ! 私もいい年ですからねぇ。アハハハハ!」
と笑うだけ。ならば、今後の予定は決まっているの?
「ツアーはラストでしたけど、コンサート自体はもう予定が入っているんですよ。それに今はアルバムのレコーディングをしています。出るのは来年の2月か3月かしら」
どうやら今後も活動は続けていくよう。中島みゆきの歌声を、また聴くことができそうでひと安心だ。さらには、拓郎の引退に話が及ぶと、
「その引退ってホントかなぁ?(笑)。また気が向いたら、キャハハ、なんかするかもしれないわよねぇ?」
と、いたずらっぽい笑顔を浮かべた。
「不安な世の中ですけど……お元気で」
かつては拓郎のファンであった中島だが、今ではお互いを認め合う関係に。
「拓郎さんから“遺書のような曲を”と依頼されて作ったのが'95年に発表された『永遠の嘘をついてくれ』という曲です」(前出・音楽ライター)
依頼するキッカケとなったのが中島が'94年に発表した名曲『ファイト!』だった。
「スランプに陥っていたころの拓郎さんが『ファイト!』を聴いて“自分にこんな曲はもう作れない”とこぼしたそう。『永遠の嘘〜』は、そんな拓郎さんを励ますために中島さんが書いたといわれています。また、病気で入院していた拓郎さんを、中島さんは足しげく見舞い、励ましていたこともあったそうですよ」(同・前)
話したことを“あぁ、あれは嘘だから”と過去、何度も撤回してきた吉田拓郎。憧れ続けた人だからこそ、中島は今回も嘘だと思いたいのかも。
昨年は工藤静香に楽曲提供しているが、今後も続けていくのだろうか?
「もし、チャンスがあったらね。でも、今は自分のアルバムを作っていますから」
現在は自身の楽曲制作に全力投球しているようだ。最後にファンに向けたメッセージを求めると、
「不安な世の中ですけど……お元気で。ぜひ、ライブでお会いしたいですね!」
偉大なスターが表舞台から去る一方で中島はこれからも闘い続ける。ファイト!