7月9日に開幕した大阪大会は、18日に大阪桐蔭と履正社が揃って登場する。今年も大阪の夏はこの2校を軸に進んでいくだろう。ただ、これまでの夏と大きく違うことは、履正社の指揮官がこれまで35年率いた岡田龍生(現・東洋大姫路監督)から多田晃に代わったことだ。

 現在44歳の多田は2006年からコーチに就き、昨年は部長を務めるなど、いわば内部昇格だ。コーチ時代から多田を知るが、常に前向きで、聞き上手。練習グラウンドではいつも汗まみれになりながらノックを打ち、熱い声を飛ばしていた。


岡田龍生氏に代わり履正社の指揮を執ることになった多田晃氏(写真左)

後輩の快挙に指導者を志す

 多田は履正社が初めて甲子園に出た1997年の前年のキャプテンで捕手。卒業後は東芝の工場で冷蔵庫をつくりながら、社の軟式チームでプレー。その合間に履正社の練習に顔を出し、後輩のサポートを続けた。その頃から数えると、野球部との関わりは四半世紀になる。

「高校時代、岡田監督にはほんとに情熱をもって指導していただいて、ものすごくお世話になったんです。卒業しても『もっと一緒に野球がしたい』『お返しをしたい』という気持ちが強く、時間さえあればグラウンドに行ってお手伝いをしていました」

 ストレートに師への思いを語るところに、人柄のよさが伝わってくる。多田の現役時代は、岡田も血気盛んな時期。相当に厳しかったはずだ。実際、1年の頃はあまりの厳しさに、朝、玄関まで来るが外には出られない。母の説得でなんとか学校へ向かうという日が何度もあったという。

 しかし3年になる頃には、岡田の思いがしっかり選手たちに届き、「甲子園出場を決めて、みんなで岡田監督を胴上げしようと、団結していました」と振り返る。最後の夏は、大阪大会準々決勝で東海大仰星に敗れたが、多田のなかに高校野球への熱い思いが残った。

 当時の履正社は専用グラウンドを持たず、校庭で他部と共有しながらの練習がほとんどだった。指導者も岡田と外部コーチのふたりだけ。ところが、多田がサポートに加わってから4カ月、後輩たちが大阪の夏をあれよあれよと勝ち上がり、まさかの甲子園出場を決めたのだ。

 体重60キロに満たないエースが7試合をひとりで投げ抜き、わずか5失点。一方の打撃陣は、打率.268、0本塁打ながら30犠打と手堅い野球で、守ってもノーエラーの堅守で連日の1点差ゲームをものにした。この戦いが、多田の気持ちにスイッチを入れた。

 もっと高校野球をやりたい──高校時代に描いた指導者への思いが再燃。相談した岡田からも背中を押され、心は決まった。

受け継がれた「岡田イズム」

 仕事と2つの野球の間に猛勉強の生活を4年続け、教員免許を取得。26歳になる年の春から、履正社野球部卒としては「たぶん初めて」という教員になり、教壇に立った。

 そこから非常勤として桜宮高校で5年。最初の2年は野球部でコーチを務め、3年目からは桜宮で授業が終わると履正社に移動し、野球部の練習を手伝った。桜宮は岡田が履正社の前に勤務していた公立校であり、そのつながりを生かし、多田が動きやすい環境をつくってくれた。

 履正社の野球部に正式に関わったのは、T−岡田(オリックス)の卒業の翌年、土井健大(元オリックス、巨人/現・東大阪大柏原高校監督)がキャプテンの2006年から。

「岡田先生の教えを一番聞いてきたのは、自分だという気持ちはずっと持っていました」

 もちろん、野球については数えきれないほど多くのことを学んだが、監督となり、より強く思い出すのは野球以外のことだ。

「岡田先生は、僕が現役の頃からミーティングになると、8〜9割は野球以外の話でした。『人間性がよくならないと技術も積み上がっていかへんぞ』『学校生活がしっかりできないヤツは社会に出ても苦労する。そこがあっての野球。一事が万事やぞ!』と。そこはずっと変わらず言われていて、いまあらためてその部分が大事だと、僕も繰り返し生徒に伝えるようになっています」

 監督となり、生徒たちとより密にコミュニケーションをとるようになったという。

「一方通行にならないように、生徒らには試合中でも思うことがあったら、どんどん言ってきてくれと伝えています。コミュニケーションを密にして、信頼関係を築いていかないと、いい言葉を言っても入っていかないですからね。僕と選手の間だけでなく、選手同士でもコミュニケーションがとれるチームになろうとやってきました」

 聞き上手な指揮官らしいこだわりで、練習中も積極的に選手と言葉を交わしていた。調整能力に長け、個々の力を引き出すことに優れた指導者像が浮かぶ。

 岡田退任のニュースが流れた時には、周囲から「履正社は大丈夫か?」「野球部の強化をやめるのか?」といった不安の声が上がった。多田へ直接問い合わせてきた中学のクラブチーム関係者もいたという。そんな声に多田は、「これまでと何も変わることはありませんし、これからより強化していけるよう、しっかり結果を出していきます」と返した。

 その言葉どおり、公式戦初采配となった春の大阪大会で準優勝。興国、東海大仰星、大商大堺といった実力校を倒し、決勝で大阪桐蔭に敗れるも1点差の好ゲームを演じた。

この夏の目標は「13連勝」

 そして新生・履正社として挑む初めての夏。やはり、目の前に立ちはだかるのは大阪桐蔭だ。昨年は大阪大会準決勝で対戦し3対5、春は決勝で2対3。ただ、秋はスコア以上の差を感じたが、春については紙一重の勝負に思えた。しかし多田は、この1点差に大阪桐蔭の強さを感じたと振り返った。

「3回に2点を先制したあとのチャンスで追加点を奪えず、その裏に松尾(汐恩)くんの1発ですぐ1点差にされた。2対0のままもう少しイニングが進んでいたら、展開も違ったはずですけど、そうさせないゲーム運びのうまさ、選手の底力......結果は1点差でしたけど、そのなかに桐蔭さんの強さを感じたのがあのゲームでした」

 春以降は大阪桐蔭との差を埋めるべく、取れなかった1点、防げなかった1点に徹底してこだわってきた。

 近年は大阪桐蔭と"2強"として語られる履正社だが、夏の直接対決となると圧倒的に分が悪い。一昨年の代替大会では勝利したものの、甲子園がかかった夏となると現在11連敗中。

「僕らの1つ下のチームが初めて甲子園に出た時(97年)に勝って、その2年後も勝ったんです。寝屋川球場で僕も見に行っていましたが、すごい乱打戦で。大阪桐蔭は西谷(浩一)さんが監督になって初めての夏でした。でも、そこから夏はまったく勝てなくなって、僕が指導者になってからは1回も勝っていません」

 監督も選手も、最大のライバルへの思いをストレートに語るようになり、打倒・大阪桐蔭への思いはより強くなっている。そんななか、チームとして掲げた今年の夏の目標は「13連勝」。大阪で最大7試合、そして甲子園で最大6試合を勝ち抜くことであり、つまり全国制覇である。

「大阪はほかにも力を持ったチームがたくさんありますから、大阪桐蔭だけを見ていて勝てるのか......ということも当然あります。ただ、そこだけを見ているくらいでないと勝てないのが、今の大阪桐蔭の強さです」

 いよいよ始まる本番を前に、監督や選手たちから伝わってくるのは、重圧よりも沸き立つ期待感であり、軽やかな空気である。

「春の大会中もベンチで『どうや?』って聞いたら、選手は『めっちゃ楽しいです』って言うんです。それを聞いて『そうやろ。やっぱり公式戦は違うな。オレも楽しいわ』って。夏はプレッシャーはかかるでしょうけど、選手たちと一緒になってとにかく前へ。僕も気持ちだけは絶対に引くことなく戦いたいと思います」

 名将が交代した直後のチームが大きな結果を出すということは、高校野球界にはよくあることだ。そこへ、今年の履正社は学校創立、野球部創部100年という節目も重なる。

 新生・履正社の13連勝へ向けた戦いが、いよいよ幕を開ける。

(文中敬称略)