※この記事は2019年07月25日にBLOGOSで公開されたものです

先日、ふと思い立ってFacebookで「がんばったね会」と銘打ったグループを作りました。これは、グループ内で誰かが自分の頑張りを投稿すれば、ただちに他の参加者が手放しで褒めてくれるという、ただそれだけの会です。やることはシンプルなので禁止事項もシンプル。「それは頑張りとは言えないのでは?」などと人の頑張りにケチをつけないこと、そして余計な議論をしないことです。

参加者は、私のフィードでこんな風に募りました。

すごく頑張ったけど報われない気分のとき、それをポストすると他の人から「がんばったね!」というねぎらいの言葉をかけてもらえる秘密のグループに参加したい人はいいねをお願いします。

※頑張りを打ち明けるというのはそれなりに自己開示が必要なので、最低限の安心を得るためひとまず知人限定のポストにしました。

すると直後から面白がって沢山の友人が参加してくれました。10人くらい参加者が集まったところで最初の投稿をしました。

すると何がおきたかというと、こういうことがおきました。

インターネット上にいまだかつてこれほどまでに優しい世界が存在したでしょうか。うどんしか作っていなくても、大スターのように絶賛される様子はさながらユートピアです。参加者の皆さんは新規投稿で好きなときに自分の頑張りを投稿することができるようにしました。すると、すべての投稿で例外なく、上の画像のような優しい世界が展開されるのです。

"通常出社"に驚嘆の声が寄せられる

「仕事をそっちのけで吉本社長の会見を5時間半見通してしまいました」という投稿には「意志が強い!」「好奇心が強い!」などといった褒め言葉が並び、「出社しました」という投稿には「そんなまさか……出社を!?」と驚嘆の声が寄せられる。

「3ヶ月行かなかったジムを解約してきました」という投稿には「息子が行かなくなった空手の会費を3年間払い続けていた人(それは私なのですが)」や「見もしない有料衛星チャンネルを2年間払い続けていた人」、「ヨガ教室の会費を1年半払い続けていた人」や「5年間一度も通えていないジムの会費を未だに払い続けている人」などから次々と解約したことを称賛する声が届くのです。

このグループに身を置く限り、私達が人間として生きるハードルは地面スレスレまで下がり、生きとし生けるあらゆる者は、天才で、超人で、神で、他者に勇気を与える尊い存在になることができます。つまるところ、生きているだけでえらいと褒められるようになるのです。

また何より、このグループを体感する良さというのは褒められることだけでなく、褒める側に回るということにもあります。自分の持ち得るあらゆるボキャブラリーを使って、ときに過剰なまでに褒め立てる。これをやった人というのは、直後は妙なハイ状態に陥ります。ほかならぬ私自身もそうでした。まさか、人を褒めるということによってこんな躁状態が得られるとは思いもよらず原因は一体なんだろう?と考えてみると、ある種の“開放”ではないかと思い至りました。

ポリティカル・コレクトネスや脱フェイクニュースのあおりを受け、私達は常日頃から、間違ったことを言ってはならない、ソースの不確かなことを言ってはならない、誰かを傷つけることを言ってはならない、と意識するようになりました。これが悪いことだとは思わないけれど、これらを意識しながらも、同時に言葉で、コミュニケーションで「遊ぶ」「ハメを外す」と言ったことに取り組むのは、なかなか高度なテクニックを要します。

その結果、今や決して少なくない人が少なくともひと目に付く場所で、言葉を使って「遊ぶ」ことや、「ハメを外す」といったことそのものを、極力避けている印象さえあります。

そんな中、「褒める」という行為は、私達に残された最後の秘境とも呼び得る、遊びのポテンシャルに満ち満ちた場であったといえるのではないでしょうか。というのも、相手の労をねぎらい、できる限りハッピーにするというゲーム的なルールの課された空間で、自らの語彙と想像力を働かせて、他の人があっと驚く角度から、褒める。ここには、限りなくローリスクで遊ぶ余地があるのです。実際、いかに褒めるかを考えるのは、とにかく信じられないくらい楽しい。麻薬的な魅力があるんです。

現在このクローズドなグループには、約140人が参加してくれていますが、褒め・褒められハイもあいまって、Twitterにも沢山の参加者の方々が、楽しさを紹介するツイートをしてくれました。その一部をご紹介させていただきます。


頑張っている人と応援したい人を、最も簡単にマッチングする

そもそも私がなぜこのグループをやってみようと思ったかというと、ここ最近、生活の中で色々な困難を抱えた人の話を聞いていて、彼らの日常の大変さがあまりにも世の中の人に届いていないと感じたからです。

生活の中にある困難は容易に次の困難に繋がりやすく、何層にも積み重なった困難で、社会からすっかり孤立してしまったような人もいます。彼らがなんとか気軽に人と繋がり合い「本当によくやっているよ」とねぎらいを受ける場があればと思いました。そして同時に、病名がついていたり、特別なケアを必要としたりしない人であっても、自分の頑張りが認められていないと絶望的な気持ちになることは、きっと誰にも少なからずあることでしょう。その人達にも同樣に、褒められ、ねぎられる場があれば、と。

一方で、Twitterを見ていると、誰かを励ましたい、勇気づけたいという人も大勢いることがわかります。そしてその気持ちには共感するところが多分にあります。感謝されたり喜ばれたりすれば嬉しいし、「あなたのおかげで生きる勇気がわきました」なんて言ってもらえたら、逆に褒める側も、この世に生きててオッケーだよ!と暫定的にお墨付きをもらえたような気にさえなるでしょう。

とても頑張っているのにその頑張りを認められない人。そして、頑張っている誰かを応援したい人。こういった人たちを、どうにかうまくマッチングできないかと思ったんです。

あなたにも「がんばったね会」は作れる

Photo by Ezra Comeau-Jeffrey on Unsplash

一日やってみて、今はまだ少しスタートダッシュが効きすぎている感がありますが、それはそれで悪いものではなく、適切な温度や速度というのは、今後続いていく中で、自然と見つかっていくといいなと思っています。

またこの会の存在をTwitterで知ってくださった方がFacebook経由で参加申請を送ってくださることがあるのですが、記事の初めでも書いたとおり、ある程度の自己開示を必要とする性質上、私の開いた会は現在、私と直接面識がある人に限っています。

……なので、私と面識のない方はぜひ「がんばったね会」をご自身の周りの人たちと作っていただけるといいと思うんです。作り方、始め方は最初の章に書いたとおりです。なにか不明な点があればTwitterなどで質問してください。

「こんな頑張りじゃ全然足りない……」と日頃、むやみやたらとハードルを上げがちな私達が、ただ生きているだけで許される場所を、世の中にひとつ、またひとつと増やしていく。そうすることで、わずかでも世の中の空気に影響を与えることができるのではないかと、密かに期待している次第です。