愛しい我が子の育児と、やりがいのある仕事。

多忙ながらも充実した日々を送る、働くママたち。

…けれど、そんなキラキラした“ママ”たちの世界には、驚くほど深い嫉妬と闇がうずまいているのだ。

ある日、1人の幸せな女性に、得体の知れない悪意が忍び寄る―。

悪いのは、一体ダレ…?

◆これまでのあらすじ

裕福で幸せな家庭、順調な仕事、気のおけないママ友、誰もが羨む幸福を手に入れた麻紀。

ある日、彼女が経営する会社のSNSアカウントに、中傷コメントが書き込まれて…。

▶前回:幸せな家庭と仕事を持つ完璧ママ。身に覚えのない誹謗中傷から始まる悪夢とは




「あ、麻紀さん。おはよう。今日も寒いわねー」

1月の終わり。寒さでしんと澄んだ空気に差し込んだ朝日が、辺りに残った朝露に反射してキラキラと美しい。

保育園に息子の海を送りに来た麻紀は、後ろから聞き慣れた声で呼び止められた。

声の主は、大手IT企業でバリバリと働いているママ友の進藤理恵。Max Maraの黒いロングコートにエルメスのスカーフを合わせ、凍える寒さの中でも背筋をピンと伸ばしている。

「本当、毎日外に出るのが嫌になるよね…」

麻紀が振り返って挨拶を返すと、そこに南田陽菜が娘の結愛を連れて現れた。

「あ、麻紀さん、理恵さん、おはよう!もう、寒くて嫌になっちゃう!」

同じことを繰り返す陽菜に、麻紀と理恵はふふっと笑い合う。すると、理恵が麻紀の服装に気がついたのか、少し怪訝な顔をして声を上げた。

「ちょっと麻紀さん、マフラーもしてないの!?妊婦なんだから冷やしちゃダメだよ!足元ももっと暖かくしないと。顔色も良くないけど、ちゃんと食べて休んでる!?」

矢継ぎ早に問い詰める理恵に圧倒された麻紀を見て、陽菜が助け舟を出してくれた。

「ふふ、理恵さん、お母さんみたいだよ。でも、少し顔色悪いみたいだけど大丈夫?」

優しい陽菜の口調で自分のペースを取り戻した麻紀は、「そうかな、大丈夫だよ」と柔らかく微笑む。

だが最近は、“あること”のせいで寝不足が続いているのだった。


寝不足の麻紀。原因となった“あること”とは?


昨夜。

自宅のリビングで自身の会社が運用するInstagramのコメント欄を開いた麻紀は、じわりと足元が痺れるような感覚に襲われた。

『誰が買うの?安っぽい生地と雑な縫製の製品なんて、売らないでほしい』
『旦那の金で経営できているだけで、本当ならとっくに潰れてる会社』
『ここのファンだったんですけど、購入した商品が微妙だったので損した気分です』




容赦無く書き込まれた、ひどい言葉たち。明らかに悪意のあるものから、実際の購入者の声なのか判別がつかないものまである。

こういったコメントが徐々に増えていることに、麻紀はずっと悩んでいたのだ。

― どこが気に入らなかったんだろう?本当に購入後の感想なのか、それともただの悪意…?

初めは気にするほどでもないと思い、商品へのコメント以外は放置して様子を見ることにした。しかしこれが裏目に出たのか、どんどんマイナスな言葉が目立つようになってきたのだ。

さらに、こんな書き込みを見つけてしまった。

『育児放棄するような人が、ベビー用品なんて。怖くてとても使えない』

それは、麻紀自身の子育てに対する誹謗中傷だったのだ。

― どうして、こんなことを言われるんだろう…?

少しでもメディアに出るということは、このような悪念を向けられることは当然の代償なのかもしれない。

けれども、人生で初めて経験する誰かわからない人たちからの敵意は、真面目な性格の麻紀にとって、どうしても軽く流せなかった。

― この人たちは、私の何を知っているのだろう?子育てをしていないなんて、ひどい言われよう…。適当に言っているのか、それとも…?

一瞬、嫌な妄想が頭をよぎり、背中に冷気を感じる。

― 私に直接、恨みのある人が書いている…?もしかして、私の知っている人?それとも、間接的な知り合い…?

最悪の想像とともに、知り合いの顔を浮かべては「違う、そんな人じゃない…」と無意識に犯人探しをしてしまう。

麻紀があれこれと思いあぐねていると、突然、目の前から声がした。

「ママぁ…怖い顔して、どうしたの?」

息子の声に全身がピクンと小さく跳ねる。スマホを握りしめて硬直している麻紀の前に、いつの間にか、寝ていたはずの海が立っていたのだ。

「あ、ご、ごめんね。どうしたの?」
「お水飲んでいい?喉が渇いて眠れないんだー」
「わかった、今いれるね」

海の純粋で愛おしい顔を見た途端、麻紀は全身の力がふわりと抜け、血が通って温かくなるのを感じる。

丸みのある頬っぺたは、角張った心も丸くしてくれるのか。

― 子どもは悪意とは真逆の生き物だな。こんなにも純粋で真っさらで、疑うことを知らない…。私は今、何をしていたんだろう…。

そう思うと、恥ずかしさと息子への愛おしさで心が溢れていった。

水をゴクゴクと勢いよく飲んで「ぷはぁーっ」とわざとパパのまねをする息子は、何とも愛らしい。

「ねぇ、ママにぎゅうってさせて?」
「えー、仕方ないなぁ。いいよ」

恥ずかしがりながらも嬉しさが滲み出ている笑顔に癒されながら、麻紀は、自分の半分ほどの背丈の息子を力いっぱい抱きしめる。

全身で感じる肌の温もりと、子ども特有の、人を落ち着かせる可愛らしい匂いに、麻紀は冷えていた心まで血が巡っていくように思うのだった。

― 何と言われようとも、大切にこの子を育てているし、心から愛している。あんなコメントなんかに動揺して我を失うなんて。

海のおかげで心が落ち着いた麻紀は、息子が再び寝たあと、先ほど見ていたInstagramをまた開き一人ひとりに丁寧にコメントを返していった。

『ご不快にさせてしまい、大変申し訳ありません。よろしければ、ご購入された商品や問題のあった点などを、ダイレクトメッセージかこちらのホームページの問い合わせ欄までご意見頂けたら幸いです』

購入者と思われるコメントには丁寧に返し、返信のし難い悪口のようなコメントにも『いいね』をハートマークで残し、もう一度様子を見ることにした。


息子の海に助けられた麻紀だったが、今度は息子の海に異変が…?


それから数日後。

その後も麻紀の会社への誹謗中傷のコメントは止まらなかった。

企業アカウントのTwitterやFacebook、さらには麻紀の個人アカウントのInstagramまで、すべてのSNSに攻撃的なコメントが送られてくるようになっていた。

『たいした会社でもないのに調子に乗るな』
『どうせ旦那の金でしょう?』
『こんな人が母親なんて、子どもが可哀想』

初めこそ商品への不満のようなコメントもあったが、それは徐々にただの誹謗中傷へと変わってきている。

結局、ダイレクトメッセージや問い合わせ欄への詳細を記入をしてくれる人はおらず、これらが購入者なのかただのアンチなのかわからない。

目に余るアカウントはブロックし、不快なコメントの削除など対策をしているにもかかわらず、日に日に悪意あるコメントは増えていく。

― どうして…?コメント欄を一旦、閉鎖した方がいいのかな…。

なかには擁護をしてくれる人もいる。だが、そんな人たちの好意を踏みにじるように、今度は擁護コメントに対してもけんか腰に返すなど、コメント欄で言い争いが起きていた。

さらには、アンチコメントのせいか、最近売り上げが徐々に減ってきているのだ。

「あ、もうこんな時間!海のお迎えに行かなきゃ!」

慌てて上着を羽織った麻紀は、先日理恵に言われた言葉を思い出し、最近買ったばかりのロエベのマフラーを巻いて保育園へと急いだ。




「礼子先生、ありがとうございました。海、いい子でしたか?」
「こんばんは、いい子でしたよ。今日は何だかおとなしかったです」

いつもの挨拶をしていると、海が「ねぇ、早く帰ろうよ」と麻紀の手を引いてくる。

「わかったわかった、海、お腹減ったのかな?ありがとうございました。また明日!」

もう少し話そうとする麻紀を無理矢理引っ張り、海は保育園から早く離れたいかのように足早に帰ろうとする。

「どうしたの?何かあった?」
「…」
「今日は誰と遊んだの?何が楽しかった?」
「…」

― 聞こえていないのか何かを考えているのか…。いつもは機嫌よく園から帰ってくるのに珍しい。何かあったのかな?

不安になる麻紀をよそに、海が急に明るい声をあげてニコッと笑った。

「今日のごはんは何?帰ったらおやつ食べてもいい?」

そのやんちゃそうな笑顔は、いつもと変わらない海だ。

― 良かった、いつもの海だ…。

最近のアンチコメントのせいで心が不安定になっているのか、小さなことでもすぐに不安に感じてしまう。

― もっと強くならなきゃ。

「いいよー。じゃあ、海の大好きなチョコの入ったクッキー、お母さんと一緒に食べようか!」
「わーい!ねぇ、そのあと一緒にレゴで遊ぼう?」

心配する必要など何もないような元気な海につられて、麻紀も先ほどの鬱屈した気分を少しだけ忘れることができた。

しかし、翌日。

「僕、保育園、行きたくない!」

朝の6時50分。保育園まで海と歩いて20分ちょっとかかるので、あと少しで家を出なければならない。それなのに、急にぐずり始めたのだ。

「えー、もうすぐ行くよー?」
「やだー、行きたくない!今日はお家でママと一緒にいる!」

海がこんなことを言い出すなんて。息子は昔から手がかからない子で、保育園にもすんなりと慣れて登園拒否とは程遠いと思っていたのに。

「海、どうした?何で行きたくないの?」

そこへ、髭を剃りながら夫の寛人がやってきた。朝は麻紀か寛人が、ミーティングなどの都合に合わせて交代で送っている。

「だって行きたくないんだもん。家がいい!ママといたい!」

海が頑として動こうとしない。今日は朝からミーティングもあるので、忙しい時にこうなってしまうと本当に困ってしまう。

しばらく麻紀がなだめても一向に機嫌を直してくれない海に、寛人が笑顔でこう提案した。

「じゃあ、パパと一緒に行こうか。競争だよ!どっちが早く準備ができるかな?保育園までは忍者ごっこで行こう!」
「競争…?僕が一番ね!僕が忍者になるからパパは敵になってね!」

寛人の上手な誘導で、海は嬉しそうに靴を履いて行く気になってくれたようだ。

「うわー、早いな、負けちゃったよ。バッグ取ってくるから待ってて!」

寛人はちらりと麻紀の方を見て「今日は僕が連れて行くね」と囁き、海に素早く上着を着せてくれた。

こういうとき、本当に頼もしいな、と思う。楽しそうな2人の姿を見送った麻紀は、ほっと一安心して仕事に取り掛かるのだった。

しかし、その日の夜。麻紀は海の深く悲しむ顔を初めて目の当たりにするのだった。

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最愛の息子の様子がおかしい。一体、何があったのか…?