女にとって、33歳とは……。

32歳までの“20代の延長戦”が終わり、30代という現実に向き合い始める年齢だ。

結婚、キャリア、人間関係―

これは、33歳を意識する女たちが、それぞれの課題に向かって奮闘する2話完結の物語だ。

▶前回:「このままだと、結婚できませんよ」32歳・金融マンの衝撃発言。アラサー女の婚活が厳しいワケ




33歳までに転職したい女・高野有紀(31歳)【前編】


金曜日、午前11時半。品川のオフィス。

「高野さん、ちょっといい?」

ミーティングを終えて自席に戻ると、見計らったかのように、部長から声をかけられ会議室呼び出された。

「はい!」

突然のことに一瞬戸惑ったものの、慌てて返事して立ち上がる。私の勤める大手食品メーカーは、いわゆる縦割り社会。直接の上席である課長を飛び越えて、部長と話をすることは稀だ。“ある場合”を除いて。

― もしかして、人事異動!?

生産管理部に配属になって、まる6年。商品企画部に異動希望を毎年出しているが、ついに通ったのだろうか。部長の後ろを歩きながら、あれこれ想像を巡らせていた。

会議室に入ると、部長は「さっそくだけど」と切り出した。

「人事のことで、高野さんに話がきていてね」

― やった!やっぱり異動だ。

神妙な表情で「そうなんですね」と返事しつつも、内心すごくテンションが高まっていた。ずっと希望していた商品企画部に配属だろうか。どうか、そうでありますように…。

しかし、部長の口から出た言葉は、私の期待を裏切るものだった。

「生産管理部と兼務で、来年度の新卒採用のリクルーターをやってほしいと、人事部から依頼がきているんだ。君も、採用業務の重要性はわかるだろう。やってくれるね?」

「…あ、はい…」

高揚していた気分が、一気にしぼむ。

社内で“やりがい搾取”ともっぱら評判の採用リクルーターなんて…まったく、本意ではなかった。


不本意な業務に気落ちする有紀。自身の社会人人生を振り返る…


― リクルーターかぁ…。厄介な仕事が回ってきたなあ。

会議室を出て席に戻ったが、仕事に集中できず、早めのランチをすることにした。ビル上層階の社員食堂で、ハンバーグを口に運びながらため息をつく。

この会社のリクルーターは、人事部の影で採用活動のサポートをする役割だ。学生の中でも特に優秀な人材を確実に入社させるために、採用イベントへの参加や学生との面談、時には会食などが求められ、拘束時間は非常に長い。

― 今の業務と兼務だから…採用業務と並行して、生産管理部の業務も通常通りこなさなきゃいけないのよね…。

中にはリクルーターの活動に憧れて、自ら立候補する人もいる。しかし、その業務負荷の大きさから、一部では“やりがい搾取”と言われているのだ。私の気持ちは沈んだ。




私がこの会社に新卒入社して、9年目が終わろうとしている。

早稲田の商学部を出て、学んだことを活かしてマーケティングをやってみたいと、日本を代表する大手食品メーカーに入社した。

最初は、営業部に配属された。

小売店への営業なんてやりたくはなかったが、「現場を知ることも大切」と自分を納得させた。やるからには少しでも成果を出そうと頑張るうちに、徐々に仕事が面白くなっていった。

4年目の26歳のとき、生産管理部に異動になった。本社と工場を行き来しながら、製造量の調整をする仕事だ。異動した当初は、「これも経験のうち」と自分に言い聞かせ、もくもくと働いた。

だんだんと部内でも古株になり、周りからも頼られるようになったが、いまだに企画の仕事への憧れは捨てきれない。




正午を過ぎたからか、社員食堂に人が増えてきた。

入り口から入ってきたある男性が目に留まり、嫌な記憶がよみがえった。

彼は、健司。私の同期だ。隣にいるのは彼の後輩だろうか、ケイト・スペードのピンクの財布を持った若い女性と一緒にいる。

食券の列に並びながら仲睦まじそうに話し合う彼らを見ていると、物悲しい気持ちが心を支配した。

― 2年前、私は健司と結婚するものだと思っていたけれど。人生って、わからないものね。

そう、私はかつて、健司と真剣に交際していたのだ。

理系・院卒の健司の最初の配属は、相模原の研究所だった。だからあまり接点はなく、入社した当初はそれほど親しいわけでもなかった。でも、26歳の時に開催された研修で同じグループになり、急接近。ほどなくして交際が始まり、関係は順調に続いた。

そして忘れもしない2019年12月…29歳の時、彼からプロポーズを受けたのだ。

「実は、技術営業職として、海外転勤の内示が出たんだ。少なくとも3年…長くて5年以上、アメリカに行くことになる。有紀、俺と結婚して付いてきてくれないか」

プロポーズ自体は、すごく嬉しかった。でも、それと同時にものすごく迷った。

2年前の私は、いつまでたっても希望の部署に異動できないことに業を煮やして、転職活動をしていた。そして、無事に同業他社の商品企画部採用で内定を得ていた。今の会社よりも少しグレードは劣る中堅企業だが、希望していた仕事がようやくできることになり、とても嬉しかった。

愛する人との結婚と、希望の仕事。

迷った末、私は健司を選んだ。

長い人生、自分が求める仕事が巡ってくるチャンスはまたあるかもしれない。でも、大好きな健司との結婚は、今を逃したらできないと考えたのだ。だから内定は、泣く泣く辞退した。

でも…思わぬ落とし穴があった。


2年前、健司との結婚を決めた有紀。2人を待ち受けていたのは…


年が明けた2020年。

新型コロナウイルスの影響で、私たちを取り巻く環境は一気に変わった。

先の見えない情勢の中で、健司のアメリカ転勤の話は流れてしまい、彼はすっかり気落ちしていた。

「結局、相模原に残留かあ。有紀は品川勤務で、いいよなあ…」

時折こぼす愚痴に対して、私は恨み節を返さずにはいられなかった。

「自分だけがつらいみたいに言わないでよ。私だって、アメリカ行きのために転職あきらめたのよ。憧れの商品企画の仕事だったのに」

「そんなふうには思ってないよ。それに、内定を辞退することを選んだのは有紀だろ?俺のせいみたいに言わないでくれよ」

海外勤務を諦めた健司と、転職を諦めた私。

行き場をなくしたやるせなさを、互いにぶつけ合うようになってしまった。関係はぎくしゃくしてしまい、結局、別れることになったのだ。




― どうせ別れることになるんだったら、内定を蹴らなければよかったなぁ…。

健司との顛末を思い出しながら、ハンバーグの最後のひとかけらを口に運ぶ。

ふと顔を上げると、健司たちが食事をしながら、スマホで何かを見せ合い楽しそうに会話している様子が目に入ってきた。

彼は今年から、販売促進部の配属になった。商品のパッケージや販促イベントなどを手掛ける、華やかな部門だ。部署内で彼女ができたともっぱらの噂だから、隣にいるのはもしかしたら新しい恋人かもしれない。

「なんか…健司ばっかり順調で、悔しい…」

少しくたびれた革財布をなんとなく撫でながら、ぼそりとつぶやく。27歳の時に購入したサンローランのキルトウォレットは、開け口のロゴが少しくすんできている。

彼と別れたこの1年はなんのやる気も起きず、ただ家と会社を往復するだけの日々だった。かたや健司は、仕事も恋も順風満帆だというのに。

― 私だって、やりたい仕事をしたい。今度こそ、チャンスを掴みたい…!

悔しさはそのまま、「現状を変えたい」という強い思いに変わっていく。

私は、転職活動をすることに決めた。




転職面談へ


「ようこそお越しくださいました。黒谷と申します」

3日後。

転職サイトを通じて、食品や消費財業界に強いヘッドハンターに面談予約を入れた。担当の黒谷さんは、ジョルジオ アルマーニの黒縁眼鏡に、腕にはオーデマ ピゲのロイヤル オークを身に着けている。いかにも敏腕そうな印象だ。

「31歳で、未経験の商品企画職をご希望、ですか…。マネジメント経験はないんですよね?厳しい転職活動になるかもしれません」

私の経歴書を眺めながら、彼は難しそうな顔をしている。意外なコメントに、私は驚いた。2年前の転職活動では、学歴や勤め先の社格が評価されて、すんなりと内定が出たからだ。その話をした上で、黒谷さんに切り出した。

「以前に内定をいただいた会社と同じくらいのグレードの企業か、機会があれば外資系にも挑戦したいと思っていたのですが」

すると、黒谷さんは一層険しい顔を深めた。しばらく押し黙ったあと、言葉を選ぶように話し始める。

「高野さん。2年前の内定は、忘れましょう。企業が求職者を見る目は、年を重ねるごとに厳しくなります。今でも同じ内定を取れるとは、思わない方が賢明です」

「…!」

それは私にとって、青天の霹靂とも言える発言だった。絶句していると、黒谷さんは、「それからもう1つ」と前置きして、話を続ける。

「一刻も早く動きましょう。高野さんが考えている以上に、未経験で企画職での採用は門戸が狭い。今も十分に厳しいですが、1年経つごとに、ハードルはどんどん上がっていきます。外資系でしたらなおさら、『日系企業出身者の採用は32歳まで』と決めている企業もあります」

黒谷さんの目が、まっすぐと私を捉える。黒縁眼鏡がきらりと光った。

「もうすぐ32歳ということですので…あと1年。33歳になるまでには、絶対に転職を決めましょう」

「わ、わかりました」

黒谷さんの迫力に気圧されつつ、なんとか返事をする。

つい先ほどまでは、「1年以内には、転職できたらいいな」なんて悠長に考えていた。

けれど、「1年以内」はマストだという現実を突きつけられた。

「1年以内に転職しなければ、希望の職には二度と就けないかもしれない」この事実を、私は受け入れざるを得ないようだった。

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転職市場の厳しさに愕然とする有紀。それでも果敢に応募するものの…