これは男と女の思惑が交差する、ある夜の物語だ。

デートの後、男の誘いに乗って一夜を共にした日。一方で、あえて抱かれなかった夜。

女たちはなぜ、その決断に至ったのだろうか。

実は男の前で“従順なフリ”をしていても、腹の底では全く別のことを考えているのだ。

彼女たちは今日も「こうやって口説かれ、抱かれたい…」と思いを巡らせていて…?

▶前回:「32歳年上の、信頼できる大人の男」だと思ってたのに…。彼の部屋に行った夜、起きてしまったコト




ケース12:チャンスを狙う女・千田望子(30歳)


「蘭さん、ご指名です!」

ある金曜日の19時。黒服の声にリップを塗り直していた私は立ち上がり、煌びやかなシャンデリアの先にある螺旋階段を登る。

「…どなた?」

「蘭さんのインスタを見て来てくださった、VIPのお客様です」

大手外資系企業や大使館などがひしめき合うエリアから、1本入ったところにひっそりとたたずむビル。

入館するのにも会員証や指紋認証が必要な、西麻布の高級ラウンジ『firefly』で、私は1年3ヶ月連続ナンバーワンに君臨している。

真っ白な膝丈ワンピースに身を包んだ私は、VIPルームへ入るなり小さくお辞儀をした。

「ご指名ありがとうございます。蘭です」

煌めくシャンデリアの先にある、VIPルーム。ここは年間100万円の会費を払える人だけが入れる、特別な空間なのだ。

「やっと来てくれたね。ナンバーワンだって?さぁ、座りなさい」

白髪交じりの男性が、大理石のテーブルの向こう側で微笑みながら手招きしている。大手家具メーカーの葛城社長は、VIPルームの常連だ。

その隣で社長の知人と思われる男が、ウイスキーを飲みながら私を品定めするような目で見ていた。胸には大きなシルバーアクセサリーが光り、靴の先はナイフのように尖っている。

「初めまして、田中浩紀です。蘭さん、インスタで見るより綺麗だね」

そう言って彼は、照れくさそうに笑った。私は冷静を装い、彼の切れ長の目をジッと見つめながら「初めまして」と微笑む。

― あぁ、やっと会えた!

…そう。この男と私は、初めて会ったわけじゃないのだ。


「初めまして」じゃない女の正体は…


「次は、クリュッグ入れようか!」

1時間後。すっかりできあがった葛城社長は、どんどんボトルを追加していく。

「社長、飲みすぎないで下さいよ。明日の打ち合わせに響きます」

饒舌にビジネスについて語る葛城社長の隣で、冷静な発言をしていた浩紀。かと思えば突然、私の太ももに手を置いてきた。

彼は品川区に本社を構える、大手建築会社の経営企画室に勤務しているという。そして「30歳の若さで重要な役割を任されている」という話を、延々と私にしてきた。

「すごいですね。まだお若いのに」

「いや、まだまだだよ。蘭ちゃんここは何年目なの?」

「5年目です。…実は私、浩紀さんに会いたくてラウンジ嬢になったんですよ?だから、インスタで浩紀さんにDMを送ったんです」

そう言ってニッコリ微笑んだ私を前に、彼は嬉しさを隠しきれない様子だった。



その晩。LINEを交換した浩紀から、さっそくメッセージが届いた。

浩紀:蘭ちゃん、今日はありがとう。また会いたいな。
R:私も、すぐにお会いしたいです。明日18時からはどうですか?

突然の誘いだったにも関わらず、彼からは間髪入れず「もちろん!」と返信があった。

そして翌日。私と浩紀はバーで1杯飲んだあと、西麻布交差点を歩きながら店へと向かっていた。

「浩紀さん、会員になられたのですね」

「うん、社長の紹介でね。もちろん蘭ちゃん目当てだよ?こんなに気が合う女性は、初めてだなと思ったんだ」

そう言って彼は、私の肩を抱き寄せた。

それから浩紀は葛城社長がいなくとも、会社の経費で店に来るようになったのだ。その事実を知っても、幻滅はしなかった。

…私は、彼がどういう人間か知っていたからだ。




あるとき、浩紀が神妙な面持ちで店にやって来た。連日のラウンジ通いで経費を使い込んでいたことが、経理にバレたらしい。

「ごめんね。でもお店に来られなくなっても、俺とは会ってくれるよね?」

「うん。私にとって、浩紀さんは特別なの」

その言葉に彼は、ギュッと手を握りしめると「今日は最後だから、たくさん飲もう。好きなのを頼んでいいよ」と言った。

…その日が、きた。

私は1本数十万円もするドン・ペリニヨンを頼み、最初のグラスを一気に飲み干す。いつもとは明らかに違う私の様子に、浩紀は動揺しているようだ。

「蘭、どうしちゃったの…?」

「ねえ。次はアルマン・ドのブラック入れていい?」

「そ、それなら…。交換条件。今夜、君を抱きたい」

私は答えず、黒服に注文を入れた。この店でもなかなか開けられることのないブラックボトルが運ばれてくると同時に、閉店前を告げる蛍の光が聞こえてくる。

「うわあ、懐かしい。蛍の光を聞くと、思い出すな…」

顔を真っ赤にした浩紀は、私を見つめながら語り始めた。

「中学の卒業式で、蛍の光を歌ったんだ。みんなと離れるのが嫌で、号泣したなあ。茨城から東京の進学校を受験したの、俺だけだったからさ」

「私も、蛍の光を歌って号泣したよ。…やっと田中浩紀から解放されるんだって」

そう言って私はポーチからメイク落としシートを取り出すと、顔を拭き始めた。

つけまつげを取り、メイクを完全に落とす。さらに黒い丸メガネを装着し、ブラウンの巻き髪をほどいた。

「えっ!?ま、まさか君って…」


高級ラウンジ嬢・蘭の秘密


「久しぶり、田中くん。やっと思い出してくれた?」

グラスを持ったまま唖然とする浩紀を前に、私は「目はちょっといじったけど」と含み笑いを浮かべる。

「もしかして、千田望子…?」

震える声で、彼がその名前を口にした瞬間。私は堰を切ったように語り始めた。

「そう。やっと思い出してくれたね、田中くん。中3以来だから、15年ぶりかな?

…ねえ、覚えてる?中1の夏休み明けにあなたに告白したこと。勇気を出して告白したのに、田中くんは『お前みたいな奴が、よく俺に告白できたな』って、笑ってたよね」

目の前の浩紀は完全に酔いがさめたようで、引き攣った顔をしている。

「次の日、学校に行ったらクラス全員が私のことをからかってきて、ビックリしたよ。クラスの女子からは距離置かれるようになっちゃったしさ…」

何も言葉を発しない彼。一方の私は、伝えたいことがありすぎて口が止まらなかった。

「裏でこっそり“千田餅子”ってからかってたのも、知ってたよ?…でも、しょうがないよね。私、当時はお餅みたいにすごく太ってたもん。

でも田中くんのおかげで、私は誰も知っている人がいない高校に進学しようって決めた。卒業したあとは頑張って、ダイエットと整形もしたんだよ」




「今もイジメられてたトラウマで、男性を信じることができないんだ。だからもう一度だけ会って、恨みを晴らしたいってずっと思ってた!

そうしたら半年前、偶然田中くんのインスタを見つけて…。盛れてる写真をたくさん投稿してるアカウントからDMを送ったら、すぐに返信くれたよね。チョロかったなあ」

先ほどまで、酔って真っ赤になっていた浩紀の顔が、だんだんと青ざめていく。それを見ていると気分がよくなってきて、私はさらに饒舌になった。

「ラウンジ嬢に本気で恋しちゃうところも、会社の経費に平気で手を付けちゃう頭の悪さも全然変わってなくて、笑っちゃったよ。

今日、田中くんがこっそりお店に来たことは、会社に話しておいたから。来月から減給だって。それにお店も出禁だよ?」

「お会計、こちらになります」

私が話し終わるのと同時に、黒服が伝票を運んでくる。呆然とする浩紀を横目に、私はグラスに残ったアルマン・ドを飲み干した。

「田中くん。私があなたなんかに抱かれるわけ、ないでしょう?」

好意を抱いた相手から酷い形でフラれ、さらにプライドをズタズタにされるような言葉を浴びせられる。

さらに「抱きたい」と思わせて、抱かれない。これこそが、私からの“最大の復讐”だった。

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