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全部デコトラで吹っ飛ばそうぜ!

ついに開幕した東京パラリンピック。世間的な注目度が低いのか、あるいはこの大会の意義については広くご賛同いただけているのか、大きな混乱なくこの日を迎えることができました。引きつづきコロナ禍という未曾有の危機が迫る世界ですが、こんな時分だからこそパラリンピックには一層の意義があると確信しています。日本でこの大会を再び開けるのがありがたいことだと感謝します。

今、誰もが求め欲する、困難から立ち上がり、逆境に立ち向かうチカラ。そのチカラを、生き様を持って示してくれる先生たちがこのパラリンピックには集っています。そのすべてを知る由はありませんが、その一部を知っただけでも、自分の世界が広がらざるを得ない、そういう感覚があります。

生まれてすぐに足を失った、左目は矢に貫かれ右目はロバに蹴られて光を失った、地雷によって大きな怪我を負った、家が爆撃された、パラリンピックに臨むアスリートたちが出会ったひとつひとつの困難と逆境は想像を軽々と超えていくものです。一方で、彼らのたくましさや前向きさ、困難や逆境を乗り越えるさまざまな方法もまた想像を鮮やかに超えていくものです。「できる、できない」ではなく「どうにかしてやる」という強さがある。

それを見させていただく機会を得た。それを自分たちの街に迎えさせていただく機会を得た。不自由があるとかないとかではなく、生きている以上誰もが直面せずにはおれない「大変だけど、頑張って生きる」ということの想像を超えた次元のものを、自分事として、楽しく、見させていただくことができる。アスリートたちと一緒に、その光を世界に届ける仕事ができる。嬉しくて、ありがたいことです。ホストの役得だなと思います!

↓今、すべての人に必要なものが、たぶんこの舞台には満ちている!


いよいよ開会式が始まるぞ、という冒頭。カウントダウンダンスのセンターポジションには、はるな愛さんの姿が。日本在住のみなさんの頭のなかにだけ「共立美容外科……共立美容外科……」という歌が鳴り響くなか、国立競技場を最後のゼロに見立てたカウントダウンが行なわれます。美しい花火と煌めく東京の街。誇らしい、東京パラリンピックの幕開けです。

天皇陛下とIPCパーソンズ会長を「可能な方は起立して」お迎えすると、辻井伸行さんの奏でるピアノとともに、パラリンピアン・マセソン美季さんやオリンピアン・伊調馨さんらが運ぶ日の丸がやってきます。そのなかには両大腿切断・義足で陸上競技に挑むアスリート湯口英理菜さんの姿もあります。大きな不自由であるがゆえに湯口さんには同クラスの競技者が少なく、パラリンピックでは自身が世界記録を持つ種目が実施されません。競技者としてパラリンピックに出場することは叶いませんでしたが、別の形でこの舞台に立ちました。「どうにかして」近づく、ひとつの方法はなくなってもそれがすべてではない、そんなことを感じます。

↓スリーアギトスのバルーンと花火が打ち上がりました!


リオ閉会式で流れた映像と同じコンセプトで作られた「アスリートたちが東京の街を背景に競技に臨む」コンセプト映像、各競技の紹介映像、会場を「パラエアポート」に見立てて選手団をお迎えする導入映像など、映像での演出も上品でスマートです。規模縮小やら予算削減やらで苦心惨憺であっただろう五輪開会式と比べると、パラリンピック開会式は目指したものに素直にたどりついたのだろうなと感じます。雰囲気よくアスリートをお迎えできます。

「本当に世界はいろいろだな」と感じる入場行進。今まさに紛争のなかで参加が叶わなかったアフガニスタン選手団や、感染抑止のために開会式への参加を取りやめたニュージーランド選手団、何やらお祭り騒ぎのようになっているベネズエラ選手団、本当にいろいろです。そして、それ以上にひとりひとりがいろいろです。国籍、人種、姿形、肌の色、LGBTQといったことも含みつつ、それ以上に「ひとりひとりが違うんだ」ということがわかりやすく伝わってきます。「車いすの人」「杖の人」程度ではざっくりし過ぎているのだということを改めて感じさせられます。

そのことはこれからの観戦のなかでも感じていくことになります。競技として成立させるため、パラスポーツのクラス分けは非常にさまざまです。ただ、なるべく同じ条件の人で競えるように区分けはされているものの、同じ条件で区切るのはとても難しく、ときには「少し不利かもしれない」を飲み込むことになる選手も出てきます。同じ「見えない」でも「あるとき視力を失った」と「はじめから見えなかった」では大きな差があります。ある意味で不公平に見える瞬間もあります。

ただ、それでもアスリートたちは試合に臨みます。「少し不利かもしれない」を追及するよりも、「大体同じ感じで競い合える相手がいる」ということのほうが大事なのです。完全に一致しなくても、これなら飲み込めるという範囲の違いであれば、どうにかこうにか「試合」ができるのです。分断よりも融和のほうが価値があるのです。

そういう姿を見ていると、「違うところ」を一生懸命に探している自分がしょうもないことをしているように感じてきます。ひとりひとりが違うのですから、誰とも完全に重なるはずもなく、ただ誰とも完全に重ならないわけでもありません。違っているところは違っているところとして「いろいろだな」と思い、重なっているところは重なっているところとして「おぉそうか」と思う。そうやってつながっていけるほうが世界や可能性は広がるな、そう思います。

↓本当に世界はいろいろです!


↓盲導犬も入場してきました!


↓「左目弓矢、右目ロバ」のシコンゴ選手の半生を紹介する記事です!


↓入場を盛り上げるキャストはタケコプターみたいな帽子を装備しています!


↓世界中から「風」が集いました!

「風邪が集った」とか言う輩がいそうですが、違いますからね!

まぁ、輩はパラリンピックとか見てなさそうですが!



選手入場を終えると式典は「片翼の小さな飛行機」を描く物語のパートへ。片方の翼がなく、自分は飛べない、飛ぶのが怖いと思っている小さな飛行機は、少女の姿をしています。風は飛ぶことを後押ししようとしますが、飛行機は首を振って諦めてしまいます。

しかし、このパラエアポートにはたくさんのいろいろな飛行機が飛び交っています。車輪がひとつしかない飛行機、とても小さな翼しか持たない飛行機、逆に長い長い翼の飛行機、目が見えない飛行機、本当にさまざまです。そうした飛行機が飛ぶ姿を見せ、片翼の小さな飛行機を空へ誘います。

「こ、ここからどうなるんや!」

と思った、イイところで何と物語パートは一旦終了。ここで橋本聖子組織委員会会長と、IPCパーソンズ会長によるご挨拶が始まります。「も、物語のつづきは!?」という声に応えるように、ふたりは簡潔に必要な話をします。特にパーソンズ会長は強くて明確なメッセージで世界に語りかけます。映し出される「#WeThe15」のハッシュタグ。これは世界の人々の15%が何らかの障がいを持っている、ということを示すタグです。障がいは特別なことではなく、ごくありふれたことである。15%は「無きがごとく」に過ごすことはできない大きさである。そんな現実を直視させられます。

「日本にパラリンピック大会のレガシーとして、障がいを持つ人々に対する新たな認識を残す」と宣言するパーソンズ会長。「違いは強みであって、弱さではない」というパーソンズ会長の言葉は、障がい、差別、コロナ禍、さまざまなことに通じる意識だと感じます。それを発信する機会を用意してくれたことに「アリガトウジャパン、アリガトウトーキョー」と日本語で呼び掛けてくれたことをしっかりと受け止めて、閉会の日にもう一度その言葉で別れられるように願いたいと思います。

↓お話のあとは、陛下の開会宣言を賜りました!


この式典のために結成されたというパラ楽団によるライブパフォーマンスでは、坂本美雨さんの歌も響きます。お父さんの龍一さんはバルセロナ五輪で音楽・指揮をつとめましたが、親子二代での式典参加となりました。楽団の演奏をバックに、パラリンピアン・瀬立モニカさん、富田宇宙さんらがパラリンピック旗を運んできます。先んじて掲揚され、掲揚直後は何故か縦向きになっていた日の丸も、今は美しく風にたなびいています。アップになると大粒の雨も映りますが、まさしく美雨と言ったところ。

国枝慎吾さん、浦田理恵さんらによるパラリンピック宣誓では、浦田さんの堂々たる姿に震える想いがします。ほかの宣誓者は手元にメモを備えていますが、浦田さんは視覚に不自由があるゴールボール選手です。原稿があっても見て読めるわけではないですし、モニターにカンペを映しても仕方ありません。この大役を、自らの記憶と自らの言葉で淀みなくつとめている姿の美しさたるや。アスリートの強さ、競技外でも感じる思いです。

↓そして式典は再び「片翼の小さな飛行機」の物語パート後編へ!


物語後半が開始すると、先ほどイイところで途切れた物語は思いがけない展開を迎えます。何やら悩んでいるような片翼の飛行機の前に、突然光り輝くデコトラがやってきたのです。運転席と屋根の上にはマッドマックスの世界を超えるデコ人が乗り、側面には伊藤若冲が不思議な動物たちを描いた「樹花鳥獣図屏風」が描かれています。視聴者が「?」という大きな疑問を頭に抱えたままの状態で、デコトラに悩みを打ち明ける片翼の飛行機。「この人らに人生相談するんか…?」「この感じで登場して、では早速人生相談を…ってなるかな?」「マッドマックスならドンパチ始まる場面だが…?」などと次々に疑問が押し寄せてきます。



そして、その疑問を見越したかのように、デコトラは「片翼の飛行機の悩み」を笑い飛ばします。荷台が開くと、聞き慣れた「キル・ビル」のイントロに乗せて、変わった人、変わった人、変わった人、変わった人、変わった人が登場してきました。そのなかのひとりは、まさかの布袋寅泰さん!ギタリズムのギターを抱えた布袋さんは、布袋スタイルでギターを弾きまくります。アトランタ五輪開会式が脳裏に甦るパフォーマンスです。

気づけば布袋さん以外にも色とりどりのバンドメンバーやダンサーが世界を盛り上げています。まさに「悩みを笑い飛ばして」います。「俺は飛行機じゃなくクルマだ」「しかもこんなにギラギラ光ってる」「ヘンテコな絵が描いてあるし、乗っているのは布袋だ」「何もかもが変わっているだろう」「もちろん飛べないぞ」「で、それが何か問題でも?」とでも言わんばかり。

そして片翼の飛行機は思うのです。「逃げよう」…じゃなくて「飛ぼう」と。片翼だから、そんな理由で飛べるかどうか悩むのではなく、飛びたい気持ちのままに飛ぼうと。それが自分であり、自分自身の光なのだと。プロジェクションマッピングで描かれた滑走路を駆けていくと、片翼の飛行機はついに大空に飛び立ちました。デコトラ以降の意味は全然わかりませんでしたが、わからなくていいんだということは感じました!

↓よくわかんないけど、デコトラと布袋で全部吹き飛びました!

全然わかんなかったんですけど、感動しました!

デコトラと布袋で小さいことが吹き飛びました!

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全世界が「ポカーン」でひとつになった瞬間、それはアスリートで言えば「ゾーン」というヤツでしょうか。頭はクリアになり、心からは迷いがなくなりました。よくわからんけどやるしかない!そんな気持ちにさせられます。その熱い気持ちを胸に、式典は最後の聖火点火へ。パラリンピック発祥の地であるイギリス・ストークマンデビルからのものを含め、全国から集められた火を束ねて作った聖火を聖火台に灯すのです。

最終点火者は上地結衣さん、内田峻介さん、森崎可林さんの3人のアスリート。内田さんと森崎さんは今大会には出場しませんが、次回大会以降での活躍が期待されるアスリートで、「未来」を意識した点火者となりました。初めて出会う3人が「共生」を願って火を点けると、美しい火柱が上がり、東京パラリンピックが燃え上がりました。

↓よーーーーーーし、やったるぞ!何かを!


↓NHKによるハイライト動画はコチラでどうぞ!


この開会式を見ていると、パラリンピックの素晴らしさや可能性を感じる想いがします。どうにもとっ散らかった感じが否めなかった五輪開会式と比して、パラリンピック開会式のまとまりのよさは「不自由さ」の生んだものなのかもしれないなと思うのです。

予算規模や掛けられる労力で言えば、圧倒的に五輪のほうが大きかったはずです。人選に関しても、五輪のほうが自由度はあったはずです。極論すれば「何をやってもいい」のですから。それが「いろんな横槍」となった側面もありますが、自由度はありました。しかし、パラリンピックでは「何でも、誰でも」ということにはならないでしょう。

ただ、それが制限となるのではなく、思考を整理し、コンセプトに集中させるいい補助線になっていたように思います。それは字数制限のある和歌や俳句のようなもので、制限があるからこそ表現の可能性が広がっていく、そんな心の性質を感じるのです。できないことがあるから、できることが鮮明に浮かび上がる。できないことがあるから、固定観念を破って飛び出すことができる。そういう逆説的な効果が。

コンセプトとして掲げられた「翼がある」の言葉、これは事実ではありません。僕の知る限り、翼を持った人間はひとりも存在しません。しかし、人間は空を飛びます。宇宙にも行きます。はじめから翼があったなら考えもしなかっただろう高さまで飛んで行きます。はじめからできたわけではなかったから、はじめからできた生物をも飛び越えてしまったのです。

この大会で世界はそうした「飛躍」を数多く見ることになるでしょう。「そうきたか」「その発想はなかったわ」「想像を超えてきた」と唸る飛躍を。それは今まさに「できない」に直面する人にこそ必要なチカラです。「できない」から「できる」へと、飛び越えるチカラを求める人にこそ必要なチカラです。そんな翼を得られるように、祈って13日間の滑走路を駆け抜けたいと思います!



「デコトラから布袋」を考えた人は名乗り出てください!怒らないから!