社会の幸福度はいかに「裕福」かではなく、いかに「平等」かで決まる(写真:MaCC/PIXTA)

「痛みなくして、得るものなし」。これはボディビルダーの世界でもっとも有名な言葉だ。1980年代、アーノルド・シュワルツェネッガーのはげしいトレーニングの日課がフィットネスの世界でたいへんな話題を呼び、彼が好んで口にしていたこの格言が、スポーツジムで大人気の標語になった。

偶然だが、この標語は20世紀末の支配的な経済思想を簡潔に言い表してもいる。国は社会的な痛みを乗り越えずして、より豊かで、より平等な社会を国民全員のために築くことはできないという思想だ。
不平等の拡大は、あくまで政策の選択の結果だ。そういう政策の選択はむしろ国家の進歩をさまざまな面で妨げる。

なぜ「不平等」を瑣末な問題として扱うべきでないのか。

「成長しなくても繁栄できる『ドーナツ経済』の正体」(8月1日配信)、「お金が『人の価値観を狂わせてしまう」明確な根拠」(8月8日配信)に続いて、従来の成長依存から脱却し、限りある地球上の資源の中で、全ての人が幸福に暮らす社会を築き上げることを目標とするという経済モデルを提唱するケイト・ラワース氏の著書『ドーナツ経済』(黒輪篤嗣訳)より、一部抜粋、再構成してお届けする。

なぜ不平等が問題か?

不平等を避けることは可能なはずだが、最近まで、新自由主義の脚本に沿って、不平等は警戒すべきものとは見なされず、適切な政策目標にならないといい切られてきた。「健全な経済学に有害なあらゆる傾向のなかで、もっとも誘惑されやすく、私見ではもっとも害がはなはだしいのは、分配の問題にこだわることだ」と、有力な経済学者であるロバート・ルーカスは2004年に述べている。

世界銀行の主任経済学者ブランコ・ミラノヴィッチによれば、世界銀行ではこれまでのおよそ20年間、「不平等という言葉ですら、政治的に受け入れられていなかった。その言葉がばかげたこと、あるいは社会主義者のいうことと思われていたからだ」という。

あるいは、社会的な不平等をどの程度まで受け入れられるかは、個人的または政治的な好みの問題にもされた。例えば、イギリスの元首相トニー・ブレアは英国のスターサッカー選手に関する発言で、「わたしはデイヴィッド・ベッカムの報酬を減らすことに情熱を燃やそうとは思わない」と述べた。しかし過去10年で、社会や政治、環境、経済にもたらすその甚大な影響が明らかになるにつれ、不平等に対する見かたは一変した。

社会は所得の不平等によって著しく損なわれうる。2009年に『平等社会』を著した疫学者リチャード・ウィルキンソンとケイト・ピケットは、さまざまな高所得国の実態を調べて、社会の幸福を何より左右するのは、国の富ではなく、国内の不平等であることを発見した。

その調査によると、不平等な国ほど、10代の妊娠、精神疾患、ドラッグの使用、肥満、囚人、退学、地域社会の崩壊が多く、寿命が短く、女性の地位が低く、相互の信頼の度合いが低かったという。

「不平等の影響は貧しい人たちだけに及ぶわけではない。社会構造全体がダメージを被る」と2人は結論づけた。平等な社会ほど、社会が富んでいても貧しくても、健全で、幸せであることを2人の調査は明らかにしている。

民主主義もやはり、不平等によって危機にさらされる。不平等は権力を少数に集中させ、市場を政治の強い影響下に置くからだ。おそらく今、その傾向がもっともはっきり見られるのは、2015年現在、ビリオネアが500人以上いるアメリカだろう。

「最近、ビリオネアたちがかつてなかったほど積極的に選挙に影響力を行使しようとしている」と、政治アナリスト、ダレル・ウェストは指摘する。アメリカの大富豪たちの振る舞いを研究しているウェストによると、「彼らは何千万ドル、何億ドルという資金を投じて、党利党略を追求している。たいていは公衆の目からは隠れたところで」という。元副大統領アル・ゴアも同意見で、「アメリカの民主主義は選挙資金という斧で、ずたずたにされている」と指摘する。

不平等な社会ほど環境破壊が進む

不平等の程度が大きい国では、環境破壊が進みやすい傾向が見られることもわかっている。なぜか? 1つには、社会的な不平等はステータスの競争や見せびらかしの消費に人々を駆り立てるからだ。「もっとも多くのおもちゃを抱えて死んだ者が勝者だ」などという冗談めかしたアメリカのバンパーステッカーにそのことはよく示されている。

しかしまた、環境を守る法律を求め、制定し、施行するためには集団行動が欠かせないが、不平等はそういう集団行動を支える社会資本──コミュニティの結びつき、信頼、規範によって築かれるもの──を侵害するからでもある。

コスタリカの家庭の水道使用量とアメリカの家庭のエネルギー使用量を調べた研究によると、自分たちを仲間どうしだと考えているコミュニティではそうではないコミュニティに比べて、コミュニティの規範に従って、使用量を減らすよう求める社会的なプレッシャーがはるかに強いという。

またアメリカ全50州を対象にした調査では、勢力──所得と人種にもとづく──の不平等が顕著な州ほど、環境対策が貧弱で、環境破壊が進んでいるという結果が出ている。さらには、不平等な国ほど、生物多様性が危機に瀕しやすいという、50カ国で実施された調査の結果もある。

資産が一握りの人々に集中すれば、経済の安定性も損なわれる。そのことは2008年の金融危機で明らかになったとおりだ。高所得者が低所得者たちの身の丈を超えた住宅ローンの債券の束だとは知らずに、高リスクの資産に手を出したことで、システムはもろくなり、金融崩壊が発生した。IMFの経済学者マイケル・カムホフとロマン・ランシエールが、金融崩壊前の25年間を分析した結果、不気味なほど、1929年の大恐慌前の25年間と似ていることがわかった。どちらの期間にも、富裕層の所得シェアの著しい増大があり、金融部門の急成長があり、それ以外の層の負債の著しい増大があった。そしてそれらがやがて金融と社会の危機を招いていた。

所得の格差は必要悪なのか?

したがって、所得格差がさまざまな悪影響を及ぼすことはもはや明白だ。低所得国では、かつては、経済成長を加速させるためには不平等が欠かせず、所得の格差はそのための必要悪だと見なされていたが、その神話もくつがえされた。開発経済学で説かれていることとはちがい、不平等の効果で経済成長が速まることはない。むしろ鈍ってしまう。なぜなら、多くの人の潜在的な能力がむだにされるからだ。

教師や、市場のトレーダーや、看護師や、実業家になって、コミュニティの富と福祉に積極的に貢献できたはずの人が、ただ家族のぎりぎりの生活を維持するためだけに必死で働かなくてはならない。最貧困層の家族がお金がなくて生活の必需品を買えなければ、最貧困層の労働者はそれらの必需品を提供する仕事を失い、市場の活性化をもっとも必要とする人たちのあいだで市場が停滞する。

このような直感的な推測が正しいことは、データの分析によっても裏づけられている。さまざまな国々で不平等がGDPの成長を妨げていることは、IMFの経済学者たちの調査ですでに証明済みだ。

調査を指揮した経済学者ジョナサン・オストリーは次のように述べている。「不平等な社会ほど、経済成長は遅く、脆弱だ。経済成長に重点を置き、不平等の問題は成り行きにまかせていいと考えるのはまちがっている」。これはきわめて重要なメッセージだ。とりわけ低・中所得国の政策立案者は真剣に耳を傾ける必要がある。「痛みなくして、得るものなし」という従来の経済学の迷信もはっきりと否定されている。

所得の再分配と富の再分配

20世紀の後半に実施されてきた国内の再分配政策は、大きく3つに分類できる。累進所得税と所得移転、最低賃金などの労働市場の保護、それに医療や教育や公営住宅などの公共サービスの提供の3つだ。1980年代からは3つとも、新自由主義の脚本を書く者たちの抵抗を受けるようになった。

所得税を引き上げたら、高賃金労働者の労働意欲を低下させるのではないか、生活保護費を増やしたら、低賃金労働者たちの働く気持ちを奪い去るのではないかと、はげしい議論が持ち上がった。最低賃金と労働組合は最貧困層の労働者を保護するものとしてではなく、それらの労働者の雇用を阻むものとして語られるようになった。

さらには、国家が国民に質の高い教育や、皆保険、手ごろな価格の住宅を提供する役割も、許容できない大きな支出をもたらすものとして、あるいは国民の依存心を強めるものとして、話題にされることがしだいに増えていった。

しかし21世紀に入ると、不平等の拡大に対する人々の怒りが世界的に噴出し、再分配を強化しようという気運がふたたび高まってきた。高所得国の多くの主流派経済学者は今、最高限界税率の引き上げや、利子や賃料や配当への課税額の引き上げを主張している。

社会活動家は世界中で、企業や政府に対して、生活できる賃金を払うよう圧力を強めている。例えば、アジア各国で衣料品産業の労働者の生活賃金を求めるアジア最低賃金同盟などがそうだ。

あるいは、最高賃金の制定を求める声も上がっている。重役の報酬額を減らして、企業の利益がもっと平等に従業員に行きわたるよう、最高賃金を社内のもっとも低い賃金の20倍から50倍以内にせよという要求だ。

一部の政府は就業保障を始めている。例えばインドには、地方部の全世帯に対して、毎年、100日間の最低賃金による雇用を保障する制度がある。またオーストラリアや米国、南アフリカ、スロヴェニアなどの国々では、職に就いていてもいなくても、すべての人が生活に必要な収入を得られるよう、ベーシックインカムの導入を求める声が市民のあいだから上がっている。

分断経済を分配経済に転換する

以上のような再分配政策はその恩恵に与る人には、人生を一変させるような効果をもたらす。しかしこれらの政策だけでは経済的な不平等の根は絶てない。所得に重点を置いていて、所得を生み出す富についてはまだ手つかずだからだ。不平等を根本的に解消するためには、富の所有権の民主化が必要だと、歴史学者で経済学者のガー・アルペロヴィッツは唱える。なぜなら「政治経済のシステムは主に、資産の所有と支配のされかたによって決まる」からだ。


したがって、所得の再分配に加えて、富の源の再分配にも経済学者の関心を向けなくてはならない。今世紀には分配的な設計によって、富の所有権の構造を大きく変える未曾有のチャンスがある。なかでも注目すべきは、土地、貨幣創造、企業、技術、知識という5つの富の所有のありかたを変革するチャンスだ。

それらのチャンスのなかには、国家主導の改革に頼るものもある。その場合には、長期的な変化の過程の一部と見なさなくてはいけないだろう。しかし、一般の人々の草の根運動で始められるもの、したがって今すぐに着手できるものもある。もちろん、すでにスタートしている試みも多い。それらの革新的な取り組みは、富のダイナミクスを根本的に変えることで、分断経済を分配経済に転換し、ひいては貧困と不平等の両方を減らすことができる。