1989年生まれのふみくんは、自身は働かず彼女に生活費を負担してもらう「ヒモ」生活を13年間続けている。なぜ働かないのか。ふみくん『超プロヒモ理論 浮いた家賃は1000万、寄生生活13年の逃げきり幸福論』(二見書房)から一部をお届けしよう――。

■予想外のコメント「こいつはヒモとは呼べない」

浮かせた家賃は1000万円超。衣服などの生活必需品から仕事で使うパソコン、ゲーム機の娯楽品に至るまで、そのほとんどは女性からのもらいもの。

ヒモ生活の記事が発表された時には、『これは主夫』の言葉も。多くが肯定的なコメントだったことに自分自身が驚きましたふみくん(写真=筆者提供)

僕は人生で一度も会社に勤めたことがなく、早稲田大学在学中からこれまでずっと女性に助けられて生きながらえてきた「ヒモ」です。

しかも「お前の生活態度はクズだから特集を組もう」と知り合いのライターさんにいわれてはじめて「ヒモ」を自覚したので、いわば「ナチュラルボーンヒモ」、よりタチの悪いヒモでもあるのでしょう。

そのライターさんが書いてくれた僕のヒモ生活の記事がYahoo!ニュースで発表され、どんな罵詈雑言が浴びせられているのか、おそるおそるコメント欄をのぞいたら、

「こいつはヒモとは呼べない」
「これは主夫」

など、予想に反して肯定的なコメントが多く、僕はますます自分が何者なのか混乱することになりました。

ヒモになった経緯やなぜ彼女が変わってもヒモ生活を送ることができるのか、これまでの例も出しつつ長い自己紹介をしようと考えているのですが……。

そもそも「ヒモ」とは、「プロヒモ」とはいったいなんでしょうか?

■家事はするが、主夫ではない

大前提としてこの記事における「ヒモ(僕の場合)」を定義することにします。

ふみくん『超プロヒモ理論 浮いた家賃は1000万、寄生生活13年の逃げきり幸福論』(二見書房)

大辞林第三版によれば「ヒモ」とは、

女を働かせ金品をみつがせている情夫を俗にいう語

だそうです。

僕は「同棲する彼女の給料で家賃を払って借りる家」に転がりこんで生きています。

彼女との外食でのお会計のときにも、僕は「ワォン!」と電子マネーの決済音をまねることしかしません。

たしかに僕は辞書的な意味の「ヒモ」にあてはまるような気もします。

しかしややこしいのは、僕が世間一般のイメージ、たとえば同棲している女性からむしりとったお金をギャンブルに使い、あげくダークネスな商売に突きおとす……といったヒモではないことです。

料理をする時でも彼女を喜ばせてあげるのがプロヒモ流(写真=筆者提供)

「お金をくれ」
「貢いでほしい」

などといったことも一度もありません。正直に白状すれば借金は頻繁にしますが、ライター業を細々とこなすことで自分のおこづかいは自分で稼いでいます。

「これは主夫」のコメントのとおり、朝・晩の食事はもちろん、彼女がお昼に会社で食べるお弁当も作ります。掃除・洗濯の家事のほか、駅までのお見送りやお迎え、会社での愚痴を聞くことも僕の日課です。

そのような行動だけを見れば、たしかに主夫のようにも思えますが、結婚をしたことは一度もないので(いまのところは)主夫でもないでしょう(専門的に家事をやる人に対し、なぜ性別を強調するような名前をつけるのかもわからないので、正直主夫と呼ばれることにも違和感をおぼえています)。

■彼女に「買ってあげようか?」ときかれる

また主夫とちがい、「ヒモ」は職業ではありません。彼氏のいち「状態」であるように思います。

なので、正確に僕を表現するとこのようになります。

僕自身は物欲はほとんどありません。服やスマホも、ボロボロになったものを使っているのを不憫に思った彼女が買い与えてくれたものです(写真=筆者提供)

“同棲をしたうえで、女性が働くかたわら家事で彼女をサポートすることを得意とし、屋根・壁代を払わずにすんでいる彼氏”

ここでは、そういった状態の彼氏(僕)を「ヒモ」と定義することにします。

また、自分自身をヒモ状態であると説明することにも合点がいっています。「ヒモ」という言葉自体に「不当に得をしている」イメージがついているからです。

家賃・光熱費といった生きるうえで絶対に必要となるお金をこれまでずっと払わずに済んできたほか、彼女と買い物に行った際には服を試着するたびに、「買ってあげようか?」ときかれるシーンを切りとって見ても、やっぱり普通の「彼氏彼女」の関係ではなく、僕が「ヒモ状態」であることがわかります。

ときに「私のお金で海外留学するか?」なんて血迷った提案をされることもありますが、いずれの場合も僕は極力拒否をします。

それはやはり、

「ヒモの僕がいうのもおかしな話だが、お金の使い方を考えてくれ! エコノミーな僕を長く飼ってくれ!」

と強く思っているからです。

■彼女を何度変えてもヒモでありつづけた

まったく苦に思わない家事をやることで会社に行かずにすむうえ、生きるうえでの必要経費がかからずに生活できてしまえることは、やっぱり少しズルい生き方であるという自覚はあります。

それでは、「プロヒモ」とはどういうことでしょうか。

「プロヒモ」に対し「アマヒモ」がいるわけでもありません。

「これまでとは一味ちがうヒモだぜ!」と強調したかった理由による造語にほかなりませんが、なにが「一味ちがう」のでしょうか。

僕は、「当方ボーカル、それ以外募集」と音楽になにも造詣がないのにもかかわらず武道館でのライブを夢にかかげたり、パチスロに行ったりすることが日課のイケメンでもありません。

モテた経験はこれまで一切ありません。みなさんが想像するヒモ像から一番遠いイメージに僕は位置しているといっていいでしょう(写真=筆者提供)

みなさんが想像されるテンプレートなヒモ像とも異なりますが、それは別に「プロ」と呼ぶための材料にはならなそうです。

ヒモは一人の女性に「ベタ惚れ」させ、切っても切れないドロドロした関係のなかで女性に養われているような印象があるかもしれませんが、僕は彼女を何度変えてもその女性の家に転がりこみつづけることに成功してきました。

それだけ「モテる」といいたいわけではありません。

何度も経由してきたということは、それだけ「フラれてきた」ことも意味するのです。

最後は「お前との未来が見えない」「待てども待てどもお前は会社に勤めない」と結構あっさりと関係は終わってきました。

それでも飼ってくれそうな女性を見きわめ、その人の家に寄生しつづける努力だけは惜しまなかったことで、次の飼い主がまえの飼い主の家まで車で僕を迎えにきたこともあります(まるでペットの引きわたしと変わりません)。

■ヒモ生活で浮かせた家賃は1560万円

さらには浮かせたお金の額にも「プロ」が見いだせるかもしれません。

女性の家によっても異なりますが、家賃は6万〜22万といったところでしょうか。プラス光熱費と食費が13年分浮いた計算になります。これまでの寄生先を順に並べると、こんな感じです。

1軒目 所沢のマンション 家賃7万円
2軒目 明大前の木造アパート 家賃6万円
3軒目 勝どきタワマン 家賃22万円
4軒目 上野のマンション 家賃12万円
5軒目 松戸のマンション 家賃8万円
6軒目 中野のアパート 家賃6万円

紆余曲折あり、いまは沖縄の家賃7万円のマンションに住んでいます。光熱費をふくめ平均約10万円が毎月浮いたとして、12カ月が13年なので……、10万円×156カ月=1560万円くらいでしょうか。

写真=筆者提供
ふみくんはゲームをしつつそれを題材に記事を書き、おこづかいを稼いでいる - 写真=筆者提供

これ、ひと財産ですよね。

とはいえ具体的な家賃を聞いたことも、金額を数えていたわけでもありません。

取材のときに初めて計算し、だれよりも自分が一番驚きました。

そんな金額、口座にマックスで20万しか入ったことがない僕からしてみれば天文学的な数字です。ゲームやテレビ番組以外で見たことがありません。

他人事のようですが、僕自身「プロヒモ」とはなんなのかわかっていません。

理解してもらいやすいように自称していますが、僕は「ヒモ界で天下をとってやる!」なんて誓ったおぼえもありません。

自分自身「ヒモの強い版」くらいにしかとらえていないのです。

■人生の「嫌なこと」から逃げつづけた

なぜ僕は、このようなヒモ生活に至るようになったのでしょうか。

あたりまえのことですが、ほとんどの人にとってみればヒモは架空の生き物です。

ふみくんの手料理(写真=筆者提供)

マンガやドラマなど作り話で見かけることはあったとしても、そうそう周りにいるものではありません。ヒモであることを公言しているヒモも少ないので、見つけることも難しいと思います。

僕自身、好奇心から……またお説教の前フリとして……「なんでヒモになったの?」と周りからたずねられることも非常に多いです。が、正直なところわかりません。

小さいころからヒモになりたい願望を持っていたわけではないですし、「ヒモになって楽してやるぜ〜!」と思ったこともありません。

振りかえって考えると、人生におけるさまざまな「嫌なこと」から逃げつづけた結果ヒモ生活に漂流していた。そう表現することが正しいように思います。

■定刻に決まった場所に行くことがどうしてもできなかった

僕をヒモ生活にいざなった「嫌なこと」があります。

なにか明確なできごとがあったわけではないのですが、僕は幼いころからずっと「同じ場所に同じ時間に行くこと」に対してものすごい抵抗を感じて生きてきました。

相手のリクエストを聞き、栄養バランス、カロリー、相手の食の好み、前日に食べたものなどをすべて検討して毎食作っている(写真=筆者提供)

会社勤めこそしたことはありませんが、まったく働いてこなかったわけではありません。いまはライターのフリをしていますが、放送作家見習いをしていた時期もあります。

放送作家はひとつの番組にかかわると週に1回必ず定例会議があるのですが、その1回ですら僕にとっては「嫌なこと」でした。

会議は1週間のうちの2〜3時間くらいなので会議自体に強いストレスを感じていたわけではありません。

会議が終わった瞬間、次の会議が定刻に予定されていることが僕にとっての「嫌なこと」でした。次回の会議が近づくにつれ、なぜ「心的拘束給」が発生しないのか疑問に思うくらいに気が重くなってしまうのです。

つまり、週1の定例会議に苛まれる時間は会議そのものが行われる2〜3時間ではなく、僕にとっては1週間まるまるでもあるといえるのです。

1週間にひとつでも定刻に決まった場所に行かなくてはならない状況では、長期海外旅行にも出かけられません。

無尽蔵にお金があるわけではないので実際にはそんな頻繁に海外旅行ができるわけでもないのですが、僕のむこう1週間に楔めいたものが打ちこまれ、行動の選択肢が減ってしまうことにストレスを感じるのです。

そんな僕が会社勤めをできるはずもありません。運よく会社に入れたとしても2日もたなかったんじゃないかな? と考えています。

企業側だって、「社会人の基礎の基礎が無理なんです」なんて人間を雇いたいとは思わないでしょう。

■発端は幼少期に行かされた学習塾

振りかえれば僕は、幼稚園から大学までまともに通えていた時代がありません。

釣りに行ったときに釣れた魚でアクアパッツァを作りました。ビギナーズラックでたくさん釣れたので、この週はずっと魚料理でした(写真=筆者提供)

高校3年生のときなど朝のホームルームから帰りのホームルームまでいた日数は6日でしたし、大学も卒業までに7年を要しました。

これまで30種類くらいのアルバイトを転々としてきましたが、どれも長つづきしませんでした。ステーキハウスに居酒屋、ファストフード店の飲食業で働いていた時期もあれば、交通量調査員としてカチカチカウンターを押していた日もあります。早朝に銭湯浴場を清掃したあと、建設現場で鉄筋に付着したコンクリートをかたっぱしから破壊していた夏もあります。

東北地方まで木の高さを測りに行き、「この作業のどこにお金が発生しているのか」疑問に思いながら獣道を長靴で歩いたこともありました。

内容はどれも面白かったのですが、結局同じところに同じ時間に行くことに耐えられなかったがためにやめてしまったのでした。

「同じ場所に同じ時間に行く」という、みんながあたりまえにできることがなぜ僕には できないのでしょうか。

いまさら幼いころの教育環境に原因を追及するつもりもありませんが、同じ場所に同じ時間に行かされることをはじめとする「あたりまえ」に拒否反応を示しはじめたのは、幼少期の学習塾が発端でした。

いわゆる教育ママの元に育った僕は、2歳のころから公文式に通わせてもらっていました。

絵を描くことが好きな子どもだったこともあり鉛筆や紙にはなじんでいたはずなのですが、入塾前に渡されたペーパーテストに、

問 点Aから点Bまで線を引っ張れ

という指令が書かれていたことに、ものすごく窮屈な気持ちになってしまったのです。ものごころつくのが早かったからか、なにかその紙に「義務感めいたもの」を感じたうえに

「この線を引っ張ってしまったらこれから先、厄介な紙がたくさんやってくる」と直観的に感じとってしまいました。

■「僕サラリーマンむりだわ!」と4歳で悟る

その場で泣きだした記憶こそありますが、なんせ2歳でしたので「お母さん、息子の意志を尊重してくれ。むしろペーパーテストを疑問視するこの姿勢に賭けてみよう」などと切りかえすこともできず、結局僕は公文式に通うことになりました。

体型を気にする女性も多いので、水分を多く含むサラダと野菜たっぷりのおみそ汁は欠かせません(写真=筆者提供)

ここでも勉強する内容自体を嫌いになることはなく、ほめられることがうれしくて算数も国語も漢字の書きとりもどんどんすすんでいきました。

転機は4歳のときでした。学習塾からの帰り道、「僕サラリーマンむりだわ!」と突如天啓のようなものが降ってきたのです。

マセていた僕は、大人は月から金の間、同じ時間に同じところに通う生活を送っていることを知っていました。そして決められた毎日がつづくであろうこれからの将来に対してえもいわれぬ不安が襲ってきたのです。

月曜と水曜に必ず学習塾に行かされていることと、2歳のころの直感的な「義務感めいたもの」が同じ違和感として重なったのだとも思います。

■皆がお遊戯をしているのをのぞき見る不気味な幼稚園児だった

これから増えていく「義務」からどう逃げるかで頭がいっぱいになり、自分の意思に反する「やらなくてはいけないこと」にこのときから抵抗していくことになりました。

今は沖縄在住のふみくん。郷土料理のゴーヤチャンプルーもよく作る。(写真=筆者提供)

幼稚園はバスが迎えにくるため登園から逃れることはできませんでしたが、お遊戯に参加した記憶はありません。

「一挙手一投足、指示通りに動かなくてはいけない」こと、それを「疑問なく受け入れる」周りに異様な不気味さをおぼえ、裏山に逃げかくれお遊戯がすすめられていく教室をのぞき見る不気味な園児でしたが、小中高と学校生活自体にはなにも不満を感じていませんでした。

たくさんの習いごとをさせられていた僕は、習いごとの数だけ「つづける/逃げる」の判断を行う訓練もくりかえしていました。

毎週長時間の活動をするボーイスカウトに入団させられそうになれば、「この服を着たくない」とはねかえし、英語教室に通わされれば「あそこにはお化けが出るから行きたくない」など、嫌な習いごとにはありとあらゆる方向から抵抗の姿勢を見せてきました。

■しかし、好きな習いごとはつづけられた

なかでも逃げに逃げたのは剣道です。毎週日曜早朝6時に道場に行き、2時間の座禅をしたあとは道場の掃除を1時間、昼まで稽古……。

高校生のころからずっとやってきた食事作り。たいていの料理は作ることができるという。(写真=筆者提供)

子どもの精神を鍛えることに重きをおいた剣道場は真心から子どもの成長を願う先生たちが運営していましたが、こんなきついこと、僕に耐えられるはずがありません。

取りたてていいわけをするでもなく、「きつい! 無理! やめる!」と伝えたところ、母からは「やめたいなら自分の口でやめることを伝えなさい、それが武士道」との答え。

まったく話が通じていません。僕はあの道場になんとしてでも近づきたくないのです。

苦肉の策で僕はやめる旨を手紙に書き、道場の戸口にはさむことにしました。

生半可な言葉では「たるんでる!」と連れもどされてしまうかもしれないため、「まったくやる気がありません! つづける気力がまるでなくてごめんなさい!」と強気の逃げメッセージを記したことをおぼえています。

「どうか僕を見捨ててほしい!」という願いは先生の心をくじき、電話がかかってくることもなく無事見放されることに成功しました。

「そんな逃げてばっかじゃロクな大人になれない、あなたより小さくてもがんばっている子もいるのに……」なんて母親に嫌味もいわれましたし(事実ロクな大人に育っていませんが)、水泳やお絵かき教室など好きな習いごとはいっさいやめようとは思いませんでした。

僕にとってみれば、嫌なことをつづけるよりも、好きな習いごとをすることや友達と遊ぶことの方がよっぽど重要だったのです。

■やるべきことから目を背けることにまったく抵抗を感じなかった

中学高校も「なにかに青春を燃やした」経験がまったくありませんし、大学受験も本当は美大・芸大に行きたいという希望を持っていましたが、入試科目のデッサンを乗り越えることもデッサンの練習を毎日つづけることも不可能だと自覚しリタイア。

会社に勤めることはできませんが、苦に思わない家事をすることで毎日雨風がしのげるのなら僕は十分です(写真=筆者提供)

母の「早稲田以上の大学ならお金を払う」という言葉に、「タダで4年間のモラトリアムを手に入れられる」とそのとき取りうるもっとも楽な道と感じての大学進学でした。周囲の異様にギラついた雰囲気になじめず受験塾には1年で2日しか行きませんでしたし、大学も所沢キャンパスへの往復4時間の通学時間に心がくじけ、早々に通わなくなりました。

大学卒業後もヒモ生活を続行しつつ、しばらくは放送作家事務所でリサーチ業務やバラエティ番組で出題される簡単なクイズを考えたりイベント現場に行ったりしていましたが、テレビ番組の会議の見えざるタテ社会の窮屈さにたえられなくなり、事務所通いも長くはつづきませんでした(テレビ局の人間、製作会社やフリーの放送作家が数十人集まってすすめられるのですが、あまりに大人数のため、だれが偉いかわからない……。大人を叱る見えない「大大人」のような見えざる大きな存在にビクビクしながらすすめられていくんです)。

そんな生活をしていれば、普通は「このままではマズい」とどこかで思い立つのだと思います。僕も「このままではマズい」と思うタイミングがやってくるものだと考えていました。

しかし、僕は部活で汗を流しているクラスメイトや就活生に囲まれながらもボンヤリしつづけることだけは筋金入りでしたし、やるべきことから目を背けることにまったく抵抗を感じませんでした。

■ヒモ生活は“あるべき像”から逃げつづけた結果

さらに「このままではマズい」と思わなかった僕ですから、計画性だってありません。

パン派の彼女への朝ごはんによく作るフレンチトースト(写真=筆者提供)

「その日を自分なりに楽しく終えられればいい」ということだけを念頭に生きてきた結果、僕は自分がストレスに感じない家事能力などを必要とされる人に使うことで居場所をつくりだす生活スタイルに流れつきました。

世間ではこの生活を「ヒモ」と呼ぶということを知ったのは、他人から指摘を受けたあとのことです。

教育ママの意向むなしく、

「母のいうことを守って勉学に励み、いい大学に行き、大企業に勤める」

“あるべき像”から逃げつづけるようになった僕の姿勢は、ある種現実逃避をする引きこもりにも通ずるものがあるかもしれません。

しかし、大学卒業後も実家に居れば会社に勤めていない僕のもとに、母親から毎日のように就職情報が届けられることも安易に想像できたので、家の中にこもりきる生活もストレスに感じてしまいそうです。

「嫌」を発端とする原動力が内向きに現れ「ひきこもる」のではなく、僕の場合は女性の家に「出ずっぱる」。単に外に向く力として現れただけなように思います。

■どうすれば悔いなく生きられるか

こんな生活をいつまでもつづけることはできないのかもしれません。しかし計画性も皆無な僕は、人生設計など考えたこともありません。

写真=筆者提供

「人生を悔いなく生きろ!」とよくいいますが、僕も本当にそのとおりだと思います。しかし、この言葉を真正面から受け止めるなら、「どうすれば悔いなく生きられるか」を自分で判断したり、都合よく解釈したりすることも同じくらい大事だと思っています。

僕の場合は、本来なら通過しなければならなかった雑事から逃げきることができれば、死ぬ直前に悔いがないような気がしているのです。

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ふみくん(ふみくん)
プロヒモ
1989年生まれ。本業プロヒモ、副業ライター。早稲田大学人間科学部卒。在学中からこれまで一度も会社勤めをせず、10年以上10人の女性に家事を施しヒモとして生活を送ってきた。現在は沖縄の家で南国暮らしを満喫中。日刊SPA! にてヒモ生活が取りあげられ、注目をあびる。
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(プロヒモ ふみくん)